離宮は日頃使われていないせいか閑散としていたし、木製のくせに風通しが良く、早春と言うこともあり夜になれば少し寒かった。ただその寒さに反しての弾く竪琴の音色と、彼女の高い声音は柔らかい。

 灯りにの長い銀色の髪が淡い金色に光る。寝転がったまま、寝台に座る彼女の腰を軽く引き寄せるそぶりを見せると、彼女は竪琴を近くに置く。



「なに?もう眠い?」

「おまえ眠くねぇの?」

「お昼寝したからかな。」



 川に落ちた時、薪の前で昼寝をしたため、あまり眠たくはないらしい。ジュダルは枕に頭を預けながら、の頭を引き寄せ、唇を重ねる。は不思議そうな顔をしたが、嫌がらなかった。

 それは自分だからか、それともがそこそこ従順だからなのか。

 自分のこと、どう思っているのだろうか。



「なあ、。」



 ジュダルが呼びかけると、彼女は小首を傾げる。



「ん?」



 無邪気な翡翠の瞳がこちらを映している。

 好きだと思ってもらえているとわかれば、ふつふつとわき上がる不安は解消されるだろうが、嫌いと言われたらと想像すると胸が酷く痛む。だがよく考えてみたら、嫌いだと言われたらどうするのだろう。を追い出す気など今更さらさらない。気まずくなるだけだ。

 紅玉のお互いが好きでなければいけないとか、そういう話は確かに必要なのかも知れないが、ジュダルにはやはりよくわからない。

 相手がどう思っているか、悲しんでいるか、傷つけていないか、なんて、考えていては、ジュダルは生きていけない。組織の中のコマとして、あまりにたくさんの人を傷つけ、堕転させ、時には殺してきたのだから。



「どうしたの?」



 は間近にあるジュダルの頬に手をそえる。その拍子に白銀の髪がさらりと彼女の肩から滑り落ちた。



「なんでもねぇよ。」



 ジュダルはそう言いながら、の頭を手で引き寄せ、自分の額と彼女のそれとを合わせる。は大人しく目を閉じた。目元に影を作る、長い銀色の睫。シーツの上で長い白銀と漆黒の髪が混ざり合う。細い首筋に吸い寄せられるように、ジュダルは軽く噛みつく。



「んっ、」

「おまえ、紅炎と何話してたんだよ。」

「うっ、んー?おじさんは嫌って話?」

「なんだそりゃ。」

「なんか、難しい話は、わかんなかったかな。むーなんたら、とか、」

「一文字しか覚えてねぇのかよ。」




 それでは全く紅炎が何の話をしていたのか、推測しようがない。ただ自身もそれほど興味がなかったのだろう。




「な、なんか、世界が、一つとか、って話?」




 ジュダルが彼女の手を引っ張ると、の上半身がジュダルの方に乗っかる形になるが、それほど重たくはなかった。はジュダルの頭の横に手をついて、間近でジュダルを見下ろす。



「あぁ、その話か。」



 ジュダルは落ちてくる彼女の長い銀色の髪を耳にかけてやりながら笑ってしまった。

 世界を統一する。なんて王者らしい理想。紅炎が言いそうなことだ。ただ、には理解が難しかったらしい。

 根本的に優しいというか、世界の現実を知らないの理想と、現実的と言えば聞こえが良いが、現実を悲観的に見ている紅炎とでは、当然目指すものも、抱く理想も違うだろう。



「おまえはさぁ、王さまになったら、何がしたい?」



 彼女は既に金属器を持っている。要するに何らかの理想を、少なくとも記憶を失うまでには持っていたことになる。

 ジュダルが問うと、は僅かに目を瞠り、「んー…」と小さなうなり声を上げる。



「王さまになったら、どうしたいとかは、ないかな。王さまって何かわからないし。」



 王の資格とか、王さまになるとか、それ以前に、王さま自体がにはどういったものなのかがわからない。だからマギであるジュダルが王を定めるとか言われても、あまりそういったことに興味はなかった。



「でも、王さまがなんでもできて、国を作れるなら、わたしはみんなの願いが叶う国が良いかな。」



 は翡翠の瞳を細める。



「願い?」

「そう。例えば、王さまになりたい人が頑張ったら、王さまになれるし、学者になりたい人が、学者になれる国?」



 そうしたら、みんな努力すれば幸せになれるでしょう?高いくせに柔らかい声音で、彼女は自分の理想を語る。

 は恐らく人を人としてしか見ていない。

 王という者も、ただのちっぽけな人間がその地位に就く以上には考えていない。権力も、政治も、国家もヴァイス王国も、根本的にはわかっていない。ただ人の動き方を見て、人の願いを見て、何が良いか、人がどんな幸せを求めているのかをただ、見つめている。

 それは恐らく、が真面目に国制について考えたのが、ヴァイス王国についてだけだからと言うのもあるだろう。ヴァイス王国は三権分立を旨とし、国王の絶対的な権力を認めない。また、三権を持つ三者も、絶対かと言われればそれも違う。


 はそこに、国家の理想を見たのだ。


 そもそもは権力に疎く、誰かに権力関係故に何かをすると言うこともない。彼女の前では巨大な力を持つ紅炎も、アルスランのようなファナリスの奴隷も、何も関係ない。マギに興味があると言いながら、ジュダルに何ら特別な畏怖を抱かないのも、そのためだ。

 そして自分自身もまた、弱い自分そのひとりでしかないと知っている。



「変な夢、」




 ジュダルはを抱きしめて、ぽんぽんと彼女の背中を撫でた。

 の理想は自分が人々を引っ張っていくというものではない。進む人々の背中を押すような、そんな夢だ。自分の理想ではなく、他人の理想を応援するというのは、確かに眷属や臣下に似ているのかも知れない。

 だが、は誰かの夢に便乗する気はない。

 彼女の目指すという、努力さえすれば、なりたい自分になれるなんて、どんなに素敵な国だろう。マギ故に全てを奪われてきたジュダルにとってみれば、それは夢のような話でしかないが、の無邪気さが、その理想を口にすることを許すのだ。



「さて、話はしまいにしようぜ、」



 ジュダルはくるりと自分の上に乗っているの躰をひっくり返すと、彼女の躰の上に跨がる。



「えっと、やめたんじゃなかったの、かな。」

「いいじゃねぇか。」



 先ほど軽く噛んだところに舌を這わせると、彼女はくすぐったいと鈴を鳴らすような笑い声を漏らした。



「ジュダル、くすぐったいよっ、」

「おまえなぁ。本気でこしょばしてやろうか?」

「あはっ、ひゃっ、あははははっは、やめてよぅ!」



 本気で彼女の脇腹をくすぐると、もともとくすぐったがり屋の彼女はジュダルの肩を押して抵抗するが、そんなことで簡単にジュダルの手を止められるわけではない。一通りこしょばして満足したジュダルは、笑いすぎてぐったりしているを見下ろす。



「もう、酷ぃ、」



 は少しむっとして、ジュダルの腕をペちぺちと叩く。

 実につまらなく、退屈で緩慢な日常。それでもひとりなら孤独でも、ふたりなら、同じようにつまらなくても、退屈でも、悪くはないものだと、ジュダルは目を細めて、彼女の躰を強く抱きしめた。




かなうくに ゆめのくに