翌日、目を覚まし、隣にジュダルがいないのに慌てたを女官たちが宥め、着替えが終わると神官であるイスナーンが、恭しくに頭を下げた。



「マギは少し席を外しております。」

「え、起こしてくれれば良かったのに、」



 は口をとがらせて小さくぼやいた。

 だいたいはジュダルにべったりで、彼がいなくなると何故か急速に不安になる。別に彼がいないと動けないからとか、そういう理由ではない。途方もなく、ただただ不安なのだ。



「アルスランは?」




 は辺りを見回し、自分の従者であるファナリスの少年の姿も見えないことに気づく。



「荷運びに連れ出されております。」



 イスナーンは淡々と言ったが、それはの気分を害した。

 恐らくアルスランを荷運びにかり出したのは、ジュダルではない。ジュダルは自分がいない時、の身を心配し、アルスランをから離すことはない。イスナーンか、そのあたりの女官たちだろう。アルスランは元奴隷であり、それを蔑んで勝手に使う人間たちがいるのだ。彼もそれほどそれを嫌がらない。

 眉を寄せたのが見えたのだろう。取り繕うようにイスナーンは尋ねる。



「何かお食べになられますか?」



 は少し考えたけれど、あまりお腹がすいている気がしなくて、手を伸ばして近くにあった自分の魔法の杖をとった。

 銀色で先には球体の翡翠とそれを取り囲む三日月型の銀、そしてそれにくっついている滴型の飾りがいくつか。の身長よりもずっと大きなそれは、長く細く上へと伸びている。比較的短いジュダルの杖とは全く異なる作りだ。軽く作られているので、持つのはそれほど苦ではない。

 ただ室内にジュダルがいる限り、はそれを手にすることはほとんどなかった。



「魔法はお好きですか?」



 イスナーンが沈黙の落ちる部屋を消し去るように、尋ねる。

 彼はそういえば初めて会った時、彼はに魔法について学びたければ教授すると言っており、それをが断っていた。どうやら彼はに魔法を教えたいらしい。

 ただはその必要性はないと思っていた。



「んー、傷が治せるのは良いけど、あんまり好きじゃないかな。」



 誰かの傷を治したり、誰かの役に立てる魔法は好きだけれど、他の魔法はあまり好きではない。ジュダルに攻撃魔法を覚えろと言われたこともあるが、はそれを人に使いたくないと思ってしまったから、未だに覚えていない。

 それに基本的な魔法のことは、ジュダルにだいたい教えてもらっている。

 ジュダルとだいたい得意な魔法は同じであるが、は日頃の馬鹿さ加減と反比例して、数式などは得意な方で、魔法式の記憶や理解に関しては非常に優秀なようだった。

 基本的に魔法というのは万能で、魔法はいくつもの魔法式を組むことで、あらゆることが出来る。人の脳内を操ることも出来れば、人の命を操ることも、助けることも出来る。煌帝国などの国家は帝都に大きな結界を貼り、悪意のある者の侵入を拒むことも出来る。


 だが、生活の中で、が魔法を使うことはない。

 足が悪いので浮遊魔法を使うことはあるが、部屋にジュダルがいると彼が運んでくれるので、それも必要ない。そう、にとって魔法はそれほど必要ないのだ。

 それでも杖を持つのは、自分が不安な時と外に出る時。強制されている時。それだけだ。




「ジュダルがいないのはわかったから、帰って良いよ。」




 はイスナーンに視線をやり、ふわりと長椅子から浮遊魔法で浮く。



「いえ、様のことはくれぐれもと言われておりますから。」

「誰から?」

「…」



 イスナーンは黙り込んでしまった。じっとは彼の仮面で半分隠された顔を注意深く見つめる。ただ彼の瞳は偽りなくへの深い心配を映していて、少しだけ驚く。



「大丈夫かな、ここは離宮だし、皇族の人たちもたくさんいるし。」




 が言うと、彼は少し躊躇いながらも、の命令であるため頭を下げて退出した。

 実際の所を言うと、は神官たちが不気味で仕方なかった。

 魔法のことはよくわからないが、彼らは空っぽのことが多い。イスナーンはそういうわけではないが、神官たちは魔法式が透けて見えていて、人でありながら何か人ではないものを持っていた。別にに何かをした訳ではないので、嫌うのもおかしな話だが、彼らを見ると旨がざわついて仕方ないのだ。



「ジュダルを探そうかな、」



 日頃ジュダルに勝手に外に出るなと言われているため、一応机の上には「ジュダルを探しに行ってきます、」と書いた紙切れだけを置いた。

 は入り口に衛兵や、廊下に女官がいるのを確認して、窓を見やる。

 少しずつではあるが、は魔法を使えるようになっている。魔法の中には組み合わせれば分身がいるように見える幻覚を作り出すこともできる。は魔法を使って水蒸気に光をあて、窓辺に幻影を作る。

 離宮は禁城と違い、室内の壁こそ赤だが、気が黒に塗られており、落ち着いている。ただしヴァイス王国のように石造りではないため、柔らかさはあるし、窓に格子がはめられておらず、開きそうだった。



「よし、」



 浮遊しているので音もなく、は衛兵の影になるところを探しながらこっそりと窓から外へ出る。衛兵や女官にも隠れて出るのは初めてのことで、少し緊張しながら部屋に面した庭の茂みの中を進んだ。

 元が避暑のための離宮であり、ここには禁城と違い大きな壁や城壁はない。廊下に出たりして衛兵に会うと怒られそうなので、庭から庭へと廊下を横切って隠れながら行くと、いつの間にかは、気づかぬうちに、外までやってきていた。



「うーん、ジュダルどこにいるのかな。」



 人に見つからないところを浮いているが、人のいるところにいるであるジュダルに会えるはずもないのだが、そのことにも思い当たらぬまま、はきょろきょろと辺りを見回す。

 茂みから廊下の方を覗き見ると、そこにいるのは明らかに煌帝国とは違う服を着た人々だった。

 そういえば他の国々の国賓も来ていたはずだ。



「みんな違う服だ。」



 は人々を眺めながら、首を傾げる。

 ジュダルやもあまる煌帝国の服装に則っているわけではないが、彼らもまた同じで、鮮やかな装飾品と薄い服を着ていた。とはいえ、は珍しい服装の人を見たいわけではなく、ジュダルを探したいのだ。



「まあ、いいかな。」



 やはりひとりでジュダルを探そうというのは無理だと今更再認識したは、庭の茂みから出て、辺りを見回す。

 いつの間にか外に出てしまったらしい。全く見覚えもなく、衛兵や女官から隠れることを第一と考えたため、元に戻る道など覚えているはずもない。それでなくともは慣れた禁城でも迷子になっていたぐらいだ。自分で帰れるはずもない。



「どうしようかな。」



 ジュダルに怒られるかも知れないな、なんて思いながらも、ここで特別慌てることがないのがである。

 はあたりを見回したが、どうやら入り込んだ場所が悪かったらしく、森の中だ。こうなれば先ほどの変わった服を着た人々に頼んで、誰か衛兵を呼んでもらうしかないだろう。は木の陰でじっと人々を見守る。

 すると、声が聞こえてきた。



「まさか、予言の首席魔導士が戻ってくるとは、」



 それは白い薄着の集団だった。

 彼らはだいたい金色の髪をしていて、白い服、肩に色とりどりの布をかけ、帯なのかはわからないなにかで止めている。一様に同じ服であることから、同じ国の人なのだろう。が彼らの会話を聞き取ろうと努めたのは、「首席魔導士」という聞き慣れた言葉が耳に入ったからだ。

 首席魔導士というのは、ヴァイス王国独特の役職で、今それを与えられているのは自身。気になって、耳をそばだてていると、なお彼らが話を続けた。



「確かに、間違いない。あの銀髪碧眼、どう見ても首席魔導士本人だ。ましてや承認したのが煌帝国のマギとあっては、最高司祭様がなんとおっしゃるか。」



 何となく、事実を嘆いているか、焦っている、そんな感じの話し方だった。何に焦っているのだろう?とは隠れる必要もないのにしゃがみ込み、少し考える。

 マギに承認されたこと、煌帝国のマギはジュダルだ。ジュダルにが承認されたことが、彼らを嘆かせ、焦らせている。理由は、最高司祭様が困るから、なのだろう。彼らではなく、その最高司祭様が困る。



「だれかな。さこーしまさま?」



 は首を傾げる。その拍子に、白銀の長いお下げが肩から滑り落ち、地面に落ちた。お下げにはいつの間にか、細かい落ち葉やら木の葉がたくさんついていた。

 きっと、出会ったこともない人なのだろう。

 少しだけ不安になって、早く、早くジュダルに会いたいと思い、浮遊魔法を使って勢いよく立ち上がろうとしたが、後頭部を襲った衝撃に、思わずもう一度地面に膝をついてしまった。



「ぎゃっ!」

「ふっぐっ、いたたた、」





 は自分の後頭部を両手で押さえ、上を見上げる。そこには顎を押さえた男性が、同じく痛みに悶絶していた。

 きらきらと漏れる木漏れ日が揺れている。


 ささやかな風になどちっとも揺れない、固そうな紫色がかった長い髪を一つに束ねた男性は、少し悲しそうに、困ったように笑って見せた。







過去の人