ジュダルは武官のアルスランを連れてを先に部屋へと帰らせた。どうしても、シンドバッドに聞きたいことがあったからだ。




「まさかが、おまえらの国に見つかるとはな。」



 シンドバッドは重々しい口を開いて、空を見上げる。



「セピーデフさんとパズマーンさんは、やはり亡くなったのか。」



 最近の詳しい事情は知らないが、どうやらが辺境の村で、ファナリスの養父母に育てられていたことは知っているらしい。が煌帝国に出てきたと言うことは、ファナリスの養父母に何かあったと考えるのが自然だろう。



「・・・にはきちんと話してねぇけど、どっちもな。」




 ジュダルは目を伏せて、の養母・セピーデフの笑顔を思い出す。



 ――――――――あの子を人として死なせてあげて



 を煌帝国へと売るかたちで送り出し、ジュダルにを託して、ヴァイス王国の国王に殺されてしまった彼女は、もうこの世にはいない。父親もまた、同じように殺されてしまった。残酷な最期を、の前で口に出すことは出来ない。

 だが、ふたりはを守って死んだ。そしてもういない。それは確かだ。




「そうか。」





 低い声音には、かつての思い出の重みが含まれていた。



 ――――――――本当にありがとう。貴方に会えて、よかった



 セピーデフの優しい声音と、去って行く後ろ姿をジュダルは忘れられない。

 彼女が命を賭けて守っていた自分に託された初めての命と、感謝の気持ち。心からの言葉は、鼻で笑ってしまいそうなほど軽いし、一瞬だ。それでも、ジュダルの心に何故か深く刻みつけられてしまった。使者を悼むという気持ちをジュダルに与えた。



「おまえはと迷宮を攻略したらしいな、」



 ジュダルはまっすぐシンドバッドを見据える。彼はジュダルに視線を向けると、首を横に振った。



「その言い方には語弊がある。攻略、というほどのことはしていない。」



 が迷宮に落とされたのは、偶然だった。

 ヴァイス王国の国王が、魔導士としての資格を持たないが、司法権を司る次期首席魔導士として選ばれたのが疎ましかったのだろう。まだ4才で、足が悪く一人で歩くことも出来ないような幼子を、多くの人間が帰ってこなかった迷宮に放り込んだのだ。

 マフシードは半狂乱になって迷宮に入ろうとしたが部下のファナリスたちに止められ、何人かのファナリスたちが迷宮に入ったが、帰らなかった。シンドバッドがヴァイス王国を訪れた時、が迷宮に入って既に三日ほどたっていた。



「どういうことだよ。」



 ジュダルは言葉の意味がわからず、シンドバッドに尋ねる。



「そういうことだ。俺が迎えに行った時、は宝物庫で眠っていた。」

「もう攻略した後だったってことかよ。どうやって?」

「さぁな。俺にもわからない。俺が助けたのは、彼女を助けるべく入ったファナリスだけだ。」




 を助けようと迷宮に入ったファナリスの多くは、途中で倒れたり、怪我をして動けなくなっていた。彼らを助けながら宝物庫に行くと、ほぼ無傷のが眠っていたのだ。たくさんの迷宮生物たちとともに。

 既にジンと契約した後だった。

 シンドバッドがしたことと言えば、眠っていた彼女を起こし、彼女の前に傷ついたファナリスたちを並べ、彼女に治癒させた。あと彼女と迷宮を出る時、歩けない彼女をおんぶした。それくらいだ。




の足は、よかったのか?」

「いや、俺が初めて会った時から既に歩けなかった。生まれたときからだったと聞いている。」

「それっておかしいだろ。どうやって宝物庫まで行ったんだよ。」




 が宝物庫で眠っていたとして、歩けない彼女がどうやって一人でそこまで行ったのだ。



「わからん。ただあの子は人の手を借りるのがうまい。」

「人がいねぇだろ。人が。」

「さぁな。存外人間でなくてもよいのかも知れない。」




 シンドバッドの言葉はあんまりだったが、ならあり得そうだなとジュダルも思ってしまった。彼女は細かいことにこだわりなどないし、自分を運んでくれるならそれがなんであったとしてもどうでも良い些末なことだろう。

 臨機応変と言えば聞こえはよいが、ただ単に常識とこだわりがないだけだ。



「・・・昔は、ただ面白いと思っていただけだったが、多くの王を見て、金属器使いを見たが、やはりあの子は、不思議な子だ。」



 シンドバッドはしみじみと透き通った声で呟く。

 彼があの地を訪れたのはまだ国も持たぬ頃、国を追われた彼女を辺境の村に隠す以外に、方法がなかった。あれから、シンドバッドは多くの人を見た、王を見た。様々な方法、魅力で人を引きつける人を見た。だが、彼女のように、弱さで人を引きつけた人間は、誰もいなかった。



「俺は、あの子が辺境の村で一生を終えるなら、それで良いと思っていたんだ。」



 ファナリスたちの下、彼女があの辺境の村で一生を終えるならば、それが一番良いと思っていた。国を作ってから、彼女を迎えに行くべきか否か、ずっと迷っていた。

 金属器使いとは言え彼女は無邪気で、王として無自覚で、幼くて、戦いも権力も求めていなかった。どうしてもシンドリアに迎えれば、彼女は争いに大なり小なり巻き込まれることになるだろうし、力を役立ててもらわなければならなくなる。

 彼女には穏やかに生きて欲しかった。記憶を失ってしまったとしても、戦いのない温かい場所で笑って欲しかった。

 しかしながら運命は、彼女の平穏な生を許さないのだろう。



「おまえらは、をどうしたい。」



 シンドバッドはジュダルを睨み付ける。彼の質問の意味を、ジュダルは理解していた。

 彼が訪ねたいのはジュダルが彼女をどうしたいのかではない。組織、アル=サーメンがをどうしたいのか、ということだ。



「わかんねぇよ。」



 それ以外、ジュダルには答えが見つけられなかった。

 アル=サーメンはに何もしない。玉艶はに贈り物を贈り、生活の面倒を見たり、政治的な庇護を与えているが、可愛がる以外のことは別にしない。彼女の意思をできる限り尊重する気のようだ。直接的に手を出すこともない。



「でも、俺は、」



 どうやったら良いのか、なんてわからない。方法だって、彼女をどう扱えば良いかもわからない。だが、を側に置きたい。温かいから、自分にはわからなかった感情をたくさん与えてくれるから、だから、傍にいて欲しい。

 単純で些細で、酷く浅はかな願いを、ジュダルは否定できない。そして多分、もう知らなかったときに戻れない。

 シンドバッドはジュダルの言葉を聞いていたが、首を横に振る。




「俺は、おまえを信用できない。」




 長い確執がある。ジュダルを信用するのは不可能だし、当然、彼の言葉も信用できない。仮にを大切にしたいと言ったとしても、それが本当かなんて、判別することが出来ない。



「だが、の身の安全に関しては別だ。」



 シンドバッドはとともに数年の時を過ごした。彼女の性格はよく知っているし、それが今も変わっていないことを、彼女の無邪気な笑みで確信した。彼女が今、ジュダルの傍にいることを望んでいるから、シンドバッドも無理矢理手出しはしない。

 だが、もし彼女が助けを求めてくるのなら。



がもしも求めるなら、俺は力を貸す。今度こそ、命を賭けてでも、守ってみせる、」



 シンドバッドはぐっと拳を握りしめる。そこにある覚悟は、過去の悲劇をまっすぐ見据えた故だ。もしもが望めば彼は、命を賭けてを守るだろう。その自信も、力も、覚悟も全て、彼は持ち合わせている。 

 それを前にして初めて、ジュダルは不安とともに、自分に対して情けなさを感じた。

 アル=サーメンに囲われ、ただ利用されてきた。堕転したといっても組織のマギとして利用されるだけで、利用されるという運命から逃れられたわけでもない。そんなジュダルが、を守れると確信を持てるわけがない。

 もし本気でアル=サーメンや玉艶がに手を出そうとすれば、ジュダルは止められない。



は、」



 自分のものだと、いつもなら軽く口にしただろう。だから手を出すなと。だが、シンドバッドの覚悟を前にすれば、全てが小さくあせてしまう。ジュダルには何の確信も持てない、自信もない。覚悟もない。そして何よりも、力がない。

 自分には何もない。なにもないからこそ、自分の周りは冷た過ぎて、あの温かさを手放すことが出来ない。あの無邪気で、穏やかな温もりが恋しい。

 愕然とするような闇の中で、燦然と輝く光に手を伸ばすことを、やめられない。




よわさの終着