まどろむような柔らかい光の中、優しい夢を見た。

 穏やかに微笑む黒髪の男がいる。年の頃は20代後半くらいだろうか、漆黒の髪に長い三つ編みに、鼻筋の整った精悍な顔立ちをしているが、とはあまり似ていない。それでもジュダルが彼をの父親だと確信したのは、その翡翠の瞳の色合いが全く同じだったからだ。

 輝く金色のルフを纏う彼は、膝に頭を預けている少女にその優しい翡翠の眼差しを向ける。



 ・・・



 ジュダルは声を上げようとして、自分の声が出ないことに気づいた。




「2週間も眠っちゃったし、でね、なんか、熱が出ちゃってね、それからものすごくジュダルと白瑛が心配してるの、」




 がのんびりした声音で話すのは、最近のことだ。当たり前の日常。誰に会ったか、誰に優しくされたか、周囲がどんな反応をしたのか。が話すのは、まとまらない、とりとめもない言葉。それを彼は穏やかに、たまに相づちをうちながら楽しそうに聞く。

 彼が、が言う、夢で会えるという父親らしい。



「眠ってたことについて、なんか言われたか?」



 男は膝に乗っているの白銀の髪を優しく撫でながら尋ねる。



「うぅん。なんか、疲れてたんだろうって、白瑛が言ってた。でも、紅炎お兄さんは何か言いたそうだった。」



 はどうやら紅炎の態度に気づいていたらしい。



「ジュダルと白瑛がとても心配していたから、わたし、また、何かしたけど、忘れてるのかな。」



 ジュダルはの言葉に大きく目を瞠る。

 会話から推測するに、はのんびりしていて何も気づいていなさそうに見えて、存外多くのことを理解しているらしかった。確かに細かいことを知識として理解することはないかわりに、様々な事柄の整合性を、人の反応から読み取っている。



「あはは、ごめんなぁ。それは俺のせいだ。」



 男は、驚くほどあっさりとにそう白状した。



「え?お父さんのせいなの?」

「あぁ。おまえの躰借りて、首都の結界破っちまったからな。」

「ふぅん、」



 にとってその事実はあまり重要ではなかったらしく、相づちは実に適当だ。ただ、納得はしたようで、すりっと父親の膝に頬を寄せる。



「おまえはマギじゃねぇからな、やっぱ魔力引っ張ると躰に負担がかかる。」

「・・・?」

「そうだなぁ、おまえはいっぱい食べれるけど、胃は小さいってとこだな。マギは胃も大きいってことさ。」



 出来ることと、使えることは話が別だ。



「でも、ジュダルの方が小食だよ?」

「あははは、かもなぁ。おまえの大食は胃の強化みたいなもんだから仕方ねぇよ。」




 軽い調子で言うが、男の言うことはのいくつもの一面を示している。

 はマギと同じように周囲のものから無尽蔵に魔力を集めることが出来るが、躰に蓄積し、使用するには体が弱すぎる。だから、は魔法を使用すれば使用するほど、大量の食事を必要とする。それは足りない躰の強度を食事という別の方法で補おうとしていると言うことだ。



「じゃあ、お父さんも・・・」



 が何かを言おうとすると、男はの唇に人差し指を押しつける。



「もうそれは口に出しちゃ駄目だ。秘密だって、言っただろ。」



 しぃ、と。口にすることを止める。ただにはその意味がわかったらしい。



「マギってジュダルと全部で何人いるんだっけ?」

「俺、その話、したぜ。全部で3人だって・・・」



 少し呆れたように男は息を吐いて、の額に軽くデコピンを食らわせる。は自分の額を押さえたが、「んー、」と小さく唸るだけだ。

 どうやらジュダルの姿はと男には見えていないらしい。声を出すことも出来ないため、ジュダルは父娘の会話を、見守ることしか出来ない。それはジュダルの知らない、ありきたりで穏やかな親との時間。

 想像していたよりもずっとつまらなくて、退屈で、だからこそ、変に温かい。



「紅炎お兄さんが、いろいろなことを言うんだ、」

「あぁ、金属器を複数持ってる、赤い髪のあの強そうなヤツか。」

「え?お父さん知ってるの?」

「おまえの躰借りた時にな。」



 と彼が入れ替わったあの戦場には、紅炎とジュダル、紅覇、そして白瑛がおり、彼は紅炎に質問までしていたため覚えていたのだろう。とはいえ、彼が外に出たのは恐らくその時だけのようで、後はの言動からしか物事を把握していないようだった。

 少しだけジュダルは、安堵する。の目から彼女の意識を乗っ取って全てを見られているのならば、気持ちが悪いにも程がある。



「前も言ってたな。」

「うん。お兄さんはたぶん、わたしとジュダルがあんまり一緒にいてほしくないみたい、」




 は父親の方を彼の膝に頭を預けたまま見上げる。



「シンにも会ったけど、同じ感じな気がする、」

「シンって、シンドバッドか?そういやヴィルヘルムが選んだとか選ばないとか言ってたな、」



 僅かに眉を寄せて、彼はそう口にした。

 彼がと入れ替わった時、の中にいるのがの父親である彼だと理解していたヴァイス王国の国王・ヴィルヘルムは叫んでいた。



 ―――――――――――そんなことはありえないっ!そいつは、シンドバッドを選んだ!



 に記憶はないし、忘れっぽい彼女のことだ。ヴィルヘルムから直接聞いていたとしても、シンドバッドとシンが同じ人物だとは思わなかっただろう。ジュダルも半分忘れていたくらいだ。ただし、直接聞いていた男は覚えていたらしい。




「そのシンドバッドとか言う男は、金属器を持ってるのか?」

「・・・さあ。そうなのかな。それより、みんなわたしを心配して、ジュダルと離れた方が良いって言うの。理由はよくわかなんないけど。」



 は周囲の人間が何故ジュダルから離れろと言っているのか、アル=サーメンのことは理解していない。ただ、皆が政治的な理由ではなく、単にの事を心配し、ジュダルから離れろと言っていることはよくわかっているのだ。



「で、おまえはどうしたいんだよ。」



 男は温かい眼差しを娘に向け、の戸惑いを宥めるように頭を撫でる。



「どうもしないよ。ジュダルといるのは、変わらないかな。」

「じゃあ良いじゃん。何言いたいんだよ。おまえ結局、反対されてもそのジュダルってヤツと一緒にいるんだろ?だったらそれで話は終わりだろ。」



 男はの愚痴りたい内容がわからないらしく、首を傾げる。



「うん。そうだけど、でも、ジュダルが気にしてるかな。」



 はどうやら紅炎やシンドバッドから言われても、一向にジュダルから離れる気はないらしい。そのことにジュダルは心底安堵する。そして同時に、を手放すことを、ジュダルが周囲から望まれていると言うことに気づいているようだった。

 アル=サーメンは確かに、がジュダルの支配下にいることを望んでいる。だが、シンドバッドや紅炎もそうだが、できる限りをジュダルから引き離そうとしている。

 それは、ジュダルがを守るだけの力がないからだ。



「何か?そのジュダルもおまえを心配してるってことか?」

「すっごく心配してるよ。白瑛とかも。」

「んーーーん?要するに、おまえが言いたいのは、ジュダルってヤツも自分といることで危険が及ぶんじゃないかって、おまえのことを心配してるってことか?」

「そうなのかな、」

「おまえ、そういう話じゃねぇのかよ。」



 男はの長い銀色の髪を撫でて、仕方ないなぁとでも言うように破顔する。




「ま、あんま危なそうなら助けてやるさ。ずっとってわけにはいかねぇけどな。」

「え?ずっとじゃないの?」




 はぱっと驚きとともに顔を上げ、目尻を下げて「やだ、」と言った。



「どうして?だって誰もいないのに、」



 もう彼女を育てた養父母はない。実母も記憶にこそないが、亡くなっていることは間違いない。更に父親もずっと一緒にはいられないと言われれば、親の元々いないジュダルには到底わからないが、自分の後ろ盾がいなくなると言うのは、心細いのだろう。

 翡翠の瞳が潤んで、懇願するように父親を見上げている。だがぺしっと軽く、彼はの頭を叩いた。



「誰もいなくねぇだろ。おまえはジュダル君が大好きだし、白瑛とか、いろんなやつがいる。俺がいなくてもやってけてんじゃねぇか。」

「・・・まあ、そうだよ。」

「しばらくは一緒にいてやれるけど、親はいつかいなくなるもんだぜ。親より先に死ぬ方がずっと、親不孝なんだからな。」


 親は命を賭けても子供を守るもの、それはジュダルも物語や人々の行動でよく知っている。だが、同時に子供を見捨てて自分が助かろうとする親がいることも同様に真実である。その点で、の実母も、養父母も、のために死ぬのを厭わなかった。

 そしてこの目の前にいる彼女の父親だという男も一緒なのだろう。



「親がいなくたって、いつかおまえも誰かと家族になって、おまえが親になるんだぜ。それはな、」



 人として何かを残せる、すばらしい営みだ、と、膝の上にいるの頭を撫でる。彼女は父親を見上げていないため見えていないが、泣きそうな、愛おしそうな、そんな表情で、に柔らかい眼差しを向けていた。



 ―――――――――――――俺はただ、守りたいだけだ。



 彼はの躰を借りた時、はっきりとそう言っていた。

 の養父母も、実母も、そしてジュダルが見ることしか出来ないこの父親も、娘を守ろうとするのは、きっと当然の感情なのだろう。命を賭ける覚悟が、そこには確かにある。

 だが、ジュダルはどうなのだろう。



 ―――――――――――――今度こそ、命を賭けてでも、守ってみせる



 シンドバッドの言葉が、頭の中で繰り返し響く。

 彼女が自分といたいと思ってくれるのは嬉しい。だが、アル=サーメンと自分は繋がっている。玉艶が彼女の身の安全を保障している。だが、それも玉艶の好意に頼る不安定すぎる保障だ。さらに、イスナーンが玉艶と異なる意見であると言うところは、玉艶も口にしていた。

 単純に、ジュダルはとともにいたいと思った。でも自分の立場はあまりにもとともにいるには危険すぎる。

 命を賭けて彼女を守るだけの覚悟は、まだない。



「良いもん。ジュダルがいるから。」



 すねたようには寝返りを打って、そっぽを向く。そんなに苦笑して、彼はと同じ翡翠の瞳を細めて優しくの頭を撫でた。



「んとに、仕方のないヤツだな。」

「・・・」



 頭を撫でられて心地良いのか、もまた彼と同じように翡翠の瞳を細めた。






亡霊の願い事