迷宮というのは、見た感じピラミッドのような場所だった。
「大きいねぇ、」
三角形の頂上が淡い光を帯びている。入り口はいくつかあるようだが、入り口はのぞき込もうとしても中は何も見えず、ただ淡い光のみがそこを満たしている。は塔の周囲を一周しようとして浮遊魔法で絨毯から腰を上げようとして、ジュダルに首根っこを掴まれた。
「どこ行くんだよ。」
「まわりみたいかなって、」
「だめだ。危ねぇだろ。」
一言であっさりと拒否されてしまった。
「ねー、ね。ジュダルも行こうよ。」
がジュダルの首元の白い布を引っ張る。
「おいっ!おまえ、最近生意気だぜ。いい加減にしろよ。」
「だって、みんな用意長いんだもん。」
絨毯から下をのぞき込めば、紅炎の部下や紅覇などがたくさんの人々を連れて、中へ入る準備をしているところだった。
迷宮は危険で、一万人近くの人が挑戦し、死んでいった迷宮もあるのだという。ある意味でだからこそ、希少性が高いという点で迷宮攻略者というのは尊ばれ、同時にそれだけの力を手に入れるに値する存在として、金属器を持つのだ。
神官も何人か随行している。武官の数も多いが、多くの者がここに帰ってこられないだろうとジュダルは話していた。
「なんか、…」
武官たちにも、それなりに覚悟はあるのだろう。思い詰めた表情の彼らは自分の武器を握りしめ、塔を睨んでいた。は自分の魔法の杖を軽く振る。
「わたしは、」
かつての自分は迷宮の中に何を見つけ、その力に何を願ったのだろう。太ももに埋まっている、二つの金属器が僅かに熱を放っている気がした。
「ん、」
ふと、は視界にかすめた黒いルフを振り返る。
神官たちの隙間から黒い蛇が出てきていた。うにょうにょと気持ち悪い動きで地面を這うそれを、は目で追っていたが、それが紅炎たちの方へと向かうのを見て、自分の魔法の杖を小脇に抱えて、それを両手で掴んだ。
びちびちと抵抗するように蛇が躰をうねらせる。
「おいっ!!」
ジュダルがの持っているものに気づいて叫んだと同時に、神官たちもを振り返って目を瞠った。
「様、お離しを!」
神官のひとりが慌てた様子で言うが、辺境の村育ちで蛇など怖がる対象ではないは捕まえ方も心得ており、蛇の首元をしっかり押さえているため、噛まれたりはしなかった。
「早く離せって!!」
ジュダルも血相を変えて言うが、はじっくりと蛇を観察していた。
「なんだそれは、」
紅炎も騒ぎに気づいたのか、の方に歩み寄って蛇を見下ろす。彼は一瞬でそれが魔法で作られた“よくないもの”であることを理解したらしい。僅かに片方の眉を上へと上げたが、がどうするのかが気になったのか、注意はしなかった。
「何これ、変な魔法、やな感じ」
はその翡翠の瞳でじっと蛇を眺め、そう結論づける。
黒い蛇はどう見ても野生のものではない。漆黒のルフを纏っていて、目が金色でぎらぎらしている。何をするためのものなのかはわからないが、はそれをよくないものだと思った。
魔法式を眺め、それを指の端で引っかける。
「…とけるかな、」
前、は襲ってきた人間の極大魔法を解除したことがある。その時の感覚をなぞるように、蛇を眺める。
「あ、」
蛇が崩れるようにして黒いルフへと戻っていく。神官たちはぽかんとした表情でを見つめ、ジュダルもまた緋色の瞳を驚きで丸くした。
「何をしたんだ?」
紅炎は神官たちの表情を窺いながら、目の前で起きた事実を確認するように尋ねる。
「なんか、とけた。」
の言い方は軽かったが、それは軽いことではなかった。
魔法というのは当然ながら、魔法式をいくつも組み込むことで作られる。それを解除するためには魔法式を全て理解して、反転させる必要がある。それは下手をすれば魔法を作った本人ですらも出来ない。複雑であれば複雑であるほど、解除には針の先ほどの魔法式の構成が必要だからだ。
だが、はあっさりとそれをやってのける。
「イスナーンか。お知らせせねば。」
「そうだ、玉艶様に。」
神官たちが口々にそう呟き、ざわつく。ジュダルは彼らの会話に耳をそばだてながら、腕を組んで考える。
あの蛇は人を堕転させる手助けをする魔法だ。それをが解いたことは驚愕に値する。だがジュダルにとって見ればそのことよりも、イスナーンがそれを誰に差し向け、それを玉艶が面白く思っていないことの方が重要だった。
「…イスナーンは、」
彼は今回、迷宮に行くのを玉艶に反対され、参加を許されなかった。理由はがいるからだ。玉艶曰く、を傷つけては困るということらしい。
そのイスナーンが、堕転を促すための魔法をに差し向けた。玉艶は以下の神官たちはそれを疎ましく思っており、玉艶に報告しようとしている。ならばイスナーンと玉艶の相違は、を堕転させるかどうかの一点なのかも知れない。
そう考えて、ジュダルはぞっとした。
「を、」
堕転させる、それは自分自身が堕転したマギだというのに、酷く恐ろしい考えに思えた。
は長い銀色の髪を揺らし、長い白銀の魔法の杖を手に持って、無邪気な笑顔とともに、紅炎と何かを話している。紅炎と彼女が纏うきらきらとした金色の光は、鮮やかで強く、とても眩しい。それを漆黒に染めるというのか、
ぐっと拳を握りしめていると、紅炎と話していたがくるりとジュダルを振り返り、浮遊魔法でジュダルの元までやってくる。
「どうしたの?怖いお顔かな、」
はジュダルの手に自分の細い手を重ねる。その温もりはあまりに温かくて、ジュダルは彼女の手をとり、握った。
「何でもねぇよ。」
素っ気なく返したが、答えは決まっている。
「俺からあんま、離れんなよ。」
にはこの国に頼る人間はいない。ヴァイス王国の首席魔導士であったとしても、この国で第二皇女だったとしても、彼女の両親は死んでしまっている。彼女を守れるのも、彼女が頼れるのも、もう自分しかいないのだ。
でも、自分には力がない。アル=サーメンになど勝てっこないし、マギであるにもかかわらず利用される存在だ。
底冷えするような恐怖が這い上がってくるのを感じながら、黙り込んでいると、高い声が耳をくすぐる。
「ジュダル、」
の細い手がジュダルの頬に伸びてくる。ジュダルが視線を彼女に向けると、細い指先がジュダルの頬に触れて、びいっと横に引っ張った。成り行きを興味津々で見守っていた紅炎と紅覇がぽかんとする。だが当然、何よりも驚いたのはジュダルだった。
誰かにこんな無礼な振る舞いを受けたことは一度だってない。
「怖いお顔、よくないよ、」
はにっこりと笑って見せる。その無邪気な笑顔に一瞬何をされているのか忘れそうになったが、紅覇が吹き出したのを見て、自分がどんな顔をさせられているのか恥ずかしくなると同時に、苛立ちが広がる。
「ふ、ふざけんじゃねーよ!!」
「っ、いたっ、」
ジュダルは思い切りの頭を平手で叩く。彼女が痛みに頭を抱えたところに、追い打ちをかけるようにジュダルはのお下げを引っ張った。
「いたたたた、ジュダル!いたたたたた!」
「最近、すっげー生意気なんだよおまえ!」
「本当におまえら、飽きないな。」
心底呆れた紅炎の声を聞きながらも、二人のやりとりに呆れた視線を送った。
そしてジュダルは、を守ることばかりに終始して、一番重要な事実を、そのまま見落としてしまった。
迷宮