ヴァイス王国において司法をつく司る首席魔導士であったマフシード・スールマーズの一人娘であり、賢者によって次期首席魔導士に生まれながらにして指名された、現在の首席魔導士だ。

 幼い頃から何らかの魔法における治癒能力を保持し、4才で金属器を手に入れた、恐らく世界最年少の迷宮攻略者である。6,7才の頃、ヴァイス王国の政変によって母を殺され、それ以降記憶を失い、ヴァイス王国の辺境の村で隠されるようにファナリスの養父母によって育てられた。

 ヴァイス王国の国王に村が見つかったことにより、は一番違法で、隠された商業経路を持つ奴隷商人に売られ、遊郭を通じて竪琴の腕を買われ、芸妓として宮廷に引き取られた。

 さらにそのルフを見る目とマギに似た、周囲からマゴイを集める能力、そして何よりその容姿からジュダルに見初められ、神官付きの巫女となった後、現在はヴァイス王国での首席魔導士の地位を正式に認められ、さらには政治的な事情から煌帝国の第二皇女、白慧皇女として遇されている。


 それが、わかっている彼女の全てだ。



「俺はな、それなりに運命というものを信じてるんだ。」



 迷宮を進みながら、紅炎がぽつりと紅覇に零した。



「運命、ですか?」



 紅覇は兄の話の意図を掴みきれず、眉を寄せる。



「あぁ。だから、にも、あいつが持つ力にも、何らかの意味があるんだろう。」



 顎髭を撫でてから、迷宮の壁面に彫り込まれているトラン語の文字を、指でなぞった。そこにはどこかの民族の歴史がトラン語と絵として刻み込まれている。

 そこにあるのは、どこにでもよく見られる、大王が種族を束ねる物語だ。

 絵では王の隣には何人かの神官のような人物と、王の足下くらいまでくらいしかない小さな子供を連れている。トラン語によれば、その子供が傷ついた全ての人々の怪我を治し、守ったとある。その後王はその種族に特別な保護を与えた。



「この伝説と同じ、治癒能力を持つが、マギの生家として知られるスールマーズ家に生まれたのには、何らかの意味があるはずだ。」



 は歌とともに、人々を治癒し、時には人の力を増幅する。恐らくそれは本質的に同じで、要するに人間の持つ力を何らかの形で増幅させると言うことだ。この力は伝説と同じ。そしてかつてマギを輩出したと言われるスールマーズ家にが生まれたのには、何らかの意味があると考えるのが普通だ。

 そして彼女は同時に、マギと似た能力を持っている。



「しかも、の養母はマギが迎えに来るとに言ったらしい。だから抵抗なくはジュダルを受け入れた。」

「え?でもぉ、関係ないんじゃ、」



 確かにはかつてマギを輩出したスールマーズ家の娘だが、それはもう千年近く前の話で、現在を生きるマギたちには何ら関係がない。彼女を首席魔導士に指名したのもたしかに時のマギであるが、それもヴァイス王国の形式的な儀式の側面が強い。

 それにもかかわらず、ファナリスの養父母はに“マギが迎えに来る”と言った。



「俺はが現れてからずっと、治癒の王女の伝説を調べなおしていた。そんな些細なところに、目線などいかなかったんだがな。」



 いくつか、治癒の子供の話はある。だが、大王の伝説に比べれば少なく、話の本質が異なるため特殊だとの認識はあったが、それを改めて調べることもなかった。の存在は、紅炎にその伝説を改めて見直す機会を与えた。



「性別は記述されていない場合も多いが、恐らく女。大王と、恐らく神官との記述が、神官は三人いるから、マギの娘だろう。」



 多くは失われている場合も多い。だが、治癒の王女の生母は三人の神官のひとりであると記述されている場合が多い。恐らく、三人という数から、マギである可能性が高い。治癒の王女は要するに、大王とマギの間に生まれた娘と言うことだ。



「前言っていた、弱い治癒の王女の話ですか?」



 紅覇は話の筋が徐々に理解でき、尋ね返す。紅炎は前にも、がその王女に似ていると話していたのだ。



「そうだ。だから、俺はあいつを取り込むぞ。おまえも、できる限りあいつを親しい兄弟として扱え。」

「えぇ!?をぉ?」

「あぁ。は捨て駒に出来ないし、あいつは存外約束に忠実だ。」



 紅炎は口角を小さくつり上げる。



『だからまあ、そうだね。おじさんが疲れて、弱くなっちゃったら、助けてあげるかな。』




 彼女は紅炎にそう言った。そしてその言葉を利用して迷宮についてこいと言った時、素直に紅炎に同行することに同意した。

 紅炎は彼女に最初に会った時から、元々彼女にそれなりに興味があった。だから、身長に彼女の人格や行動規範、性格を測ってきた。その結論は、ある程度既に出ている。彼女は複雑な性格の持ち主ではないし、同時に歪んだ考えも持ち合わせてはいない。

 ふわふわ流されているように見えて、他人に流されることがない。そしてそれが許される雰囲気を作り出す。



「で、でも、奴らと繋がってるんじゃ、」



 紅覇はジュダルの下にいることから、アル=サーメンとの繋がりを危惧する。だが、紅炎はそれを首を横に振って退けた。



「ないな。ジュダルがそれを酷く恐れているし、あいつはそういったことに本気で関わりはしない。」



 ジュダルはが神官たちと関わることを極力望んでいない。紅炎は離宮でジュダルが神官たちの所に出向いた際、が眠っているのを起こさずそのままにし、後から彼女が迷子になって大騒ぎになったことを、女官たちから聞いていた。

 神官たちとの話し合いの際、ジュダルはを極力つれて行かない。アル=サーメンに関わらせないように、細心の注意を払っている。



は俺の意見が自分に合わないと真っ向から退けた。要するに自分の理解できないこと、自分の信念に反することに荷担はしない。」



 紅炎のやり方を退けたように、は例えそれが権力者の言葉だったとしても、自分が気に入らなければ絶対に荷担しようとはしない。彼女は元々権力や政治に疎いため、権力を持つものの命令もよく理解しない。

 そして同時に、彼女は自分の理解できないことに関しても参加しない。納得しない限り、彼女は絶対に動かない。それは愚かでもあり、賢明でもあった。



「ひとまず、俺はあいつを信頼の置ける妹として扱ってみようと思う。」

「・・・そりゃぁ、は嘘はつかないだろうけどぉ、信頼?・・・変なのぉ、」



 紅覇は兄の判断に、思わず変な声を上げてしまった。

 そんな真面目な言葉の似合う存在ではないのだ。真面目な話も彼女を前にすればいつの間にかどうでもいい話になっているし、あの緩い空気がどうにも殺伐とした戦いや政治的事柄を遠ざける。



「俺はに世界を見せる。あいつは、ものを知らなすぎる。それでが出す答えが見たい。」



 紅炎はヴァイス王国でのの行動に、自分や他のものとはまったくことなる答えを見た。指針を見た。基準を見た。そして、誰とも異なる人心掌握の術を見た。

 まだまだはものも知らない。世界も知らない。理想論者だ。だから紅炎は彼女にたくさんのものを見せ、たくさんの国を訪れさせ、彼女が出す答えを見たい。見たこともないような変わったが持つ、の答えを知りたい。



「とまあ、あまり期待はしていない。ただ単に何も考えていないような気もするしな。」



 紅炎は顎髭を撫でて、そういう可能性も考えていた。



「やっぱりぃ?」



 紅覇も納得である。

 は確かに意に沿わないことはしないだろうが、自分のペースでしか動いていないし、どうでも良いことに関しては非常に流されやすく、何も考えていない。常に馬鹿っぽくて、こちらが真面目に様々なことを考えるのが嫌になる。

 それが彼女だ。そしてそれこそが紅覇の知る彼女である。真面目な話をされても、どうしても似合わない。



「おまえも案外を気に入っているな。」




 紅炎はちらりと背の低い、隣を歩く紅覇を見下ろす。



「だってぇ、面白いし、綺麗じゃーん。」



 軽い紅覇のセリフ、年齢はの自己主張が正しければ紅覇より少し年上だが、十分に考えられる年齢だし、ジュダルもなんだかんだ言って紅覇を意識している気がある。要するに年頃と言うことなのだろう。ジュダルも。紅覇も。

 それを理解して、何となく紅炎は面倒くさい気がして、思わず巻き込まれるんじゃないかと背中に走る悪寒を押さえることが出来なかった。

迷宮