広間にあった壁が、床が、そして突き刺さる水晶が、なにかの映像を映し出す。

 広間はかつて、開けたテラスに面していた。そこからのぞき込めば、たくさんの人が、そして人とは違う姿をしたなにかが、こちらに向けて手を振る。その目は期待と光に満たされていて、温かい気持ちになったはにっこりと笑う。

 それと同時に、近くにいた幼子の口元がにこりと笑った。


 半分躰の透けた、まだ2,3才と思しき、幼子だ。多分、女の子。空のように鮮やかな青みがかかった髪を長く伸ばし、三つ編みにしている。顔立ちは見えないけれど、額には自分と同じ、赤い文様が描かれている。彼女は口元にと同じ満面の笑みを浮かべて、下を見ていた。

 幼子が持つには不釣り合いな、先に立方体のついた白銀の杖を抱きしめるように持っている。

 得意げなその笑みは、何故か達成感に溢れている。彼女自身も恐らく、自分が詳しく何をしたのかはわかっていないが、何かを、下にいる人々に与えたのだろう。そしてそれで彼らが喜んでくれていること、無事であることに満足している。


 ふわりと、別の長い三つ編みが揺れた。

 幼子と同じ、青みがかった髪。彼もまた顔立ちは見えないけれど、その立派な体躯からきっと青年だろう。幼子は何かを楽しそうに彼に話しかける。彼は口元に柔らかい笑みを浮かべてから、そっと彼女の頭を優しく撫で、テラスへと姿を現す。

 割れんばかりの歓声。まるで広間全体が揺れているようだ。

 ひとりの女性が、幼子を気にしながらも手を伸ばさず、そしてテラスにいる彼の隣に並ぶ。幼子は大きな彼らの背中をぼんやりと眺めていたが、後ろからやってきた別の女性に抱き上げられ、他の人々ともにテラスに出る。

 幼子は楽しそうに女性の腕の中で躰を揺らし、唄を歌う。その唄は多分、が今歌っているものと同じ。そう、はその歌を知っている。

 が喉を震わせ歌うのをやめると、いつの間にか水晶に映っていた映像はかき消え、あたりを静寂が満たした。




「・・・なにかな、いまの。」




 は首を傾げて、辺りを見回す。

 今の光景は一体何だったのだろうか。まるで自分がそこにいるような既視感が生まれてしまうほどに、鮮やかで、幸せな映像だった。皆が幸せと満足感に満たされていて、それを疑っていないような、そんな不思議な、まさに魔法だ。

 きっと、この迷宮の外に、人々が住んでいた頃の話。



「・・・」



 紅炎は訝しむように辺りを見回す。迷宮において魔法によってその実力を試されることはよくある話だ。しかし、今の映像は一体何なのだろうか。



「なんか、壁に刻まれてた話を歌ったからかな。」



 は小首を傾げて、呟くように言う。

 が歌った唄は、迷宮の壁にトラン語で書かれていた叙事詩だ。その唄に呼応した壁が、それを映像として見せたと言うことだろう。はそう思ってそれに満足しかかっていたが、紅炎は僅かに目を瞠って、別の点で納得したような顔をしていた。



「叙事詩も、歴史か。」



 低い声で呟かれた言葉の意味が、にはよくわからない。

 叙事詩は、叙事詩だ。物語であり、伝説であり、決まった形式で書かれており、歴史的な裏付けもない。創作物以上のことは言えない。叙事詩が歴史だと言われてもぴんとこないし、紅炎の言葉が何を指し示しているのかはよくわからなかった。

 の魔法によって、紅炎と紅覇の部下の怪我は、少なくとも治っている。



「みんな良かったね。」


 呆然としている彼らに言うと、彼らは慌ててに頭を下げてお礼を言った。



「ま、魔法なんて迷宮にはどこでもあるもんだしな。」



 ジュダルはこともなげに言って、周囲に視線を向ける。先ほど扉があった部屋と変わらないほど大きく、広い水晶の部屋。全てが水晶で出来ているが、様々な宝飾品、武器などがある。



「ここが、宝物庫?」

「あぁ。ゴールってなわけだ。」

「ごーる?え?そうなのかな。」

「俺、おまえ、説明しただろ〜?」



 が問い返すと、彼は心底呆れたように声を張り上げた。ただにとっては些細なことであったため、首を傾げて「そうだったっけ?」と返す。するとジュダルはもう良いとでも言うように手をひらひらさせた。

 は先ほどまで映像の映し出されていた水晶の壁に触れる。ひんやりと冷たいその感触からは、何も伝わってこない。



「・・・」




 そこは先ほど、青い髪の男の人が立っていた場所。目を閉じれば、あの熱狂と、歓声がまだ聞こえそうな気がして目を閉じたけれど、どんなに耳を澄ませても、もう何も聞こえなかった。

 だが、代わりに水晶の壁面が普通の煉瓦に変わり、魔法式とともに全てが色を持つ。



「わっ、」




 が慌てて手を離したときには、水晶で出来ていたはずの壁は普通の煉瓦造りに変わり、宝飾品や内装はそれぞれ己が持っていた色合いへとその姿を変えていた。

 それと同時に現れたのは、煙草を吹かした、巨大な青い女性のジン。



『マギよ。そしてマギが選んだ王よ。』



 紅覇や紅炎たちの従者が驚く中、ジンは細い息を吐いてから、マギであるジュダルに誰よりも最初に、恭しく頭を下げる。それはマギという存在に対する彼女なりの敬意なのだろう。だがすぐに、そのジンはジュダルの近くにいるの方に目をやり、瞠目した。



「わぁ、大きいかな、」



 は驚くでもなく、ぼんやりとそれを見上げて高い声を上げる。ただその声もゆっくりしすぎていて、“わぁ”という感嘆が酷く嘘っぽかった。従者の中にはジンの姿を見て腰を抜かしたものもいるが、の驚きはそういうものではなかったようだった。



『・・・再び相まみえることが出来て、光栄です。』



 ジュダルに対するよりも丁寧に見えるほど、ジンは深々と地に着くほどにへと頭を下げる。それを見て、は首を傾げた。



「わたしは、貴方に会ったことがあるのかな、」

『それを口にすることは禁じられています。』

「・・・そうかな。じゃあ、頭を下げられても困るかな。わたしは、貴方と同じ場所に立ちたいから、」



 少し、ジンが怯んだ。彼女は愕然とした様子でを見下ろし、一瞬やりきれないように表情を歪める。は柔らかく笑って、彼女に手を伸ばした。その手を、巨大な青い手がそっと掴む。



『迷宮を攻略したのは、貴方ですか?』

「え?」



 は尋ねられて、少し考える。

 確かにはジュダルと一緒にこの宝物庫に先にやってきたが、攻略したかと言われれば、ジュダルに助けてもらってここまで来ただけだ。



「・・・まったく、どうでもいいかな。」



 は別に力を欲しているわけではないし、王さまになんて別になりたくない。だから力を欲しているの人が、その力を持つべきだろう。




「紅炎お兄さんと、紅覇くんが、力が欲しいんだって。わたしはいらない。」



 はそう言って、紅炎と紅覇の方へと浮遊魔法で身を寄せる。紅覇が先にへと手をさしだしたのでその手に捕まると、遠心力でふわりと長い白銀のお下げが弧を描いた。




ってぇ、本当に力に興味ないよねぇ〜?」

「だって、力なんてあっても何するのかわたしにはわからないかな。」

「やっぱりって変なのぉ〜。僕、いっぱいしたいことがあるよぉ?」




 紅覇はに笑ってから、自分についてきた部下たちに視線を向ける。彼らは命を賭けて、紅覇とともに迷宮に入ることを決めた。彼らの信頼と期待、それに応えるための力を、紅覇は欲していると言うことなのだろう。



「そんなことないよ、紅覇くんが変だよ。」

に変とか言われるなんて、ショックぅ。おまえが変に決まってるじゃん。」

「おまえら、もう良いからちょっと黙れよ。」



 二人で勝手な、非生産的会話を繰り広げる二人に、ジュダルは呆れてため息をついて口を差し挟む。



『・・・一向に、いつでもお変わりなく、』



 ジンは少し困ったような顔で、煙管から煙を吸い込み、吹かせる。そしてそれから、値踏みでもするように紅炎と紅覇を、姿勢を正して睥睨した。








迷宮