マグノシュタットまでは煌帝国から馬車で2週間もかかる、長い道のりであった。

 ヴァイス王国への道と違い、山道が多いためがたがたと大きく揺れる。当然、断続的に揺れる馬車での旅は、躰に負担がかかる。特に足が悪く、立つことの出来ないにとって、おしりを頻繁に動かすことも出来ず、振動だけが響くので、肉体的に辛い。

 結局、おしりに痣が出来そうで、変な感覚がするので、が腕の力を込めておしりの位置を動かす。それに気づいたジュダルが紅覇と相談し、食事は外ですること、そして夜は離宮で休むこと、馬車の中ではの座るところに絨毯を三重で敷き、クッションを大量に挟むこととなった。



「良かった、もうそろそろおしりへこむかなって思ったの。」



 は馬車が止まったのを感じて、少しほっとする。ジュダルは馬車の扉が開いたのを見計らって彼女の躰を抱き上げようとし、耳元に唇を寄せる。



「へこむねぇ、いつも柔らかそうだけど?」




 夜の行為を揶揄するような言葉に、は黙り込み視線をそらす。



「あはは、なんだよ。」



 そのあからさまな恥じらいをジュダルは笑って、が座る椅子に膝をつき、自分が贈った彼女の耳飾りに触れ、こめかみに口づける。

 少しずつ優しい、くすぐったいようなふれあいをして、寄り添うようになってから、今まであまり恥ずかしがったりすることのなかったは、恥じらいを覚え、頬を染めるようになった。あからさまに夜の行為を口にしたり、太ももをかすめるように触れたり、それが周りにわかるようにすると、白い肌を赤く染めて恥ずかしがる。

 それが面白くて、ジュダルは時々こういう意地悪をするようになった。

 髪の毛を引っ張ったり、頭を叩いたりと行ったそういう意地悪ではない。それが少し大人の戯れだということにとジュダルは気づかないが、少しずつ、二人は成長している。



「む、」




 は少しむっとしたような、すねたような表情を見せ、ジュダルの腕を叩く。



「ちゃんと運んでやってるだろ。」



 ジュダルはの細い躰を抱え上げ、馬車から出る。だが、その歩はすぐに止まった。



「・・・なんか、ごつごつした、おうちだね。ちょっと怖いかな。」



 ジュダルの心境を代弁するように、が思わず目の前にそびえ立つ建造物をそう表現する。

 山を切り開き、歪な石を積み重ねて作ったであろう建造物は、小さな煉瓦を積み重ねたヴァイス王国とは異なり、無骨さと、粗略さを前面に出している。そもそも木や煉瓦で家を作り、木で装飾をする煌帝国とは根本的に違う。陵墓みたいだというのが、ジュダルの正直な感想だった。




「しばらくここで滞在するけど、その後は絨毯だから、服汚れるよぉ。」



 紅覇が後ろからやってきて、嫌そうに言う。紅覇としては服が汚れるから絨毯は嫌なのだろう。

 だが、確かにここから山を越えるなら、馬車では無理だ。それがこの建造物からありありと想像できて、ジュダルは閉口した。それは中に入ればなおさらのものだった。



「どうぞ。こちらです。」



 このあたりの領主がたちを招き入れる。

 大きな石で遮蔽されているせいか、獣脂に照らされる廊下は昼であるはずなのに薄暗く、空気が淀んでいる気すらする。ジュダルとに与えられた部屋も広くはあったが、窓が皮で閉じられており、光は獣脂だけで、なんだか不気味だった。



「広間で食事を用意しております。また、必要であれば侍女をお呼びください。」



 領主は恭しく頭を下げて、すぐに退出した。それは恐らく長旅の疲れを慮ってのことだっただろうが、ジュダルとしては何とも言えない居心地の悪さを感じていた。しかも椅子などはあまりなく、足の悪いへの配慮はどうやら質の良い、柔らかい絨毯と質の良いクッションを使った寝台のようだ。

 ジュダルはひとまず疲れているであろうを寝台に下ろす。

 おしりがへこむかもしれないとまで言っていた彼女はすぐにころんと寝台に躰を横たえる。どれほどクッションを引いても断続的に揺れる振動は辛い。ジュダルも思わず同じように寝台にダイブした。



「大丈夫か?」



 ジュダルはの方へ寝返りをうち、ぐったりと目を閉じているに問う。

 馬車は広いが、立ったり座ったり出来ないにとっては、身体的負担が大きい。ましてや舗装されていない道はジュダルたちでも堪えるほどによく揺れるのだ。



「うん、大丈夫かな。」



 はゆっくりと瞼をあげ、笑う。おっとりした笑みはいつも通りだが、何となく力がない気がして、ジュダルは彼女のこめかみに口づけ、長い髪を撫でてやった。は少しほっとしたのか、心地よさそうに翡翠の瞳を細める。



「ジュダル様、様。よろしいですか?」




 女性の声が外から躊躇いがちに響く。

 今更気づいたが、この部屋は扉がなく、部屋の入り口に分厚い布を下ろすだけのようだ。その向こうから響く声は、聞き覚えがあった。恐らく、皇后である玉艶がにと付けた女官、ヒューリャだろう。ジュダルが身を起こして返事をすると案の定、白い布を頭から被ったヒューリャが現れた。




様は大丈夫ですか?」

「いや、あんま良くなさそうだ。」



 ジュダルは素直に答えたが、ヒューリャに対して警戒は怠らない。彼女がアル・サーメンの一人であることを知っているからだ。正直、にはあまりアル・サーメンに関わって欲しくない。



「そうですか。」



 ヒューリャは寝台にいるの状態を確認し、自らの魔法の杖を取り出す。



「八型魔法で」

「やめて、」



 回復魔法を使おうとしたヒューリャの言葉を、高い声音が遮った。は気怠そうにゆっくりと身を起こして、ヒューリャに首を振って見せる。



「少し休んだら治るよ。だからやめて欲しいかな。」

「しかし・・・、」

「わたしは魔法でなんでもするのは好きじゃないかな。だから、わたしにはなにもしないで。」



 は穏やかな口調ながらはっきりとヒューリャの行動を拒絶して、また寝台のクッションに頭を預ける。ヒューリャは亜麻色の瞳を何度か瞬いて物言いたげだったが、口を噤むしかなかった。

 正直、といるようになってもう半年以上だが、彼女が誰かに対してこれほどはっきりとした拒絶を口に出すのは、初めてだと言ってもよかった。やんわりと否定したり、話を別の方向に持ち出すことはあっても、はっきりした拒否を見たことがなかったので、ジュダルも少し驚く。



「ねえ、ジュダル、頭を撫でて、」



 は寝台に腰を下ろしているジュダルの方へ芋虫のように移動してきて、ついている手に甘えるように頬を寄せる。



「それで楽になんのか?」

「うん。多分ね。」

「なんだよ、多分って。」



 ジュダルはいつも通り素っ気なく眉をつり上げて言ったが、彼女の頭を自分の膝に乗せ、髪を優しく撫でてやる。それが心地良いらしく、気怠そうだった表情が幾分か和らいだ。



「・・・」



 ヒューリャはどうして良いのかわからないのか立ち尽くす。



「下がれよ。用があれば呼ぶから。」



 ジュダルはヒューリャに退出を命じた。

 常に人に傅かれて育ったジュダルは、使用人をそれほど気にしない。だが、この空間にアル・サーメンの人間がいるのが、酷く不愉快だった。ひとまず、に関わって欲しくないのだ。



「・・・わかりました。」



 ヒューリャは少し不満そうだったが、頭を下げて部屋を辞する。

 玉艶はを可愛がっている。その彼女が付けた女官である限り、を襲うようなことはないだろう。だが、このヒューリャという女官が、ジュダルにとっては気になって仕方がなかった。






ささやかなる不穏