夕刻に起きると、食事の用意が出来ていると侍女がジュダルたちに言ったため、ジュダルはを連れて広間へと向かった。

 広間は石造りだが敷布が引かれ、その上に絨毯とたくさんの食事が並べられている。



「遅いよぉ、ジュダル君、。」



 ジュダルが広間に入ると、食事の用意がされていて、既に待っていた紅覇が少し不機嫌そうに唇をとがらせる。はジュダルに抱き上げられた状態で、敷布に座っている紅覇を見下ろした。



「ごめんね。疲れて眠ってたの。」



 はそう言って紅覇に素直に謝る。



「今まで眠ってたのぉ?ってぇ、体力ないねぇ。」

「うっせぇよ。悪かったな、体力なくて。」



 ジュダルは憮然と紅覇に言い返して、抱いているを紅覇の隣の敷布の上に下ろして自分もその隣に座った。

 あれからはジュダルの膝の上で2時間ほど眠っていた。起きればもうあたりは薄暗くなっていて、石造りの部屋は真っ暗。獣脂の灯りはどうしても心許なく、驚いてジュダルを探せば、彼も疲れていたのか眠っていたのだ。疲れていたのはお互い様である。

 紅覇は目をぱちくりさせたが、何も言い返さなかった。

 は馬車での振動や固さにげんなりしていたため、床に座ることに少し躊躇いを覚えた。しかしながら実際には床は石造りで固いが、何重にも敷かれた絨毯と毛皮の敷布はそれを感じさせない柔らかさがあった。



「すごいね。チーズだ。」



 は両手をそろえて、敷布の上の平たい皿に並べられた食事に喜びを示す

 円形に薄く焼いた、膨らみのないパンのようなものと、動物の乳を発酵させたチーズ、そして干し肉や肉の腸詰め。あまり煌帝国では食べないものばかりだが、にとって、少し形は違えど、幼い頃からヴァイス王国で食べた、馴染みのものだ。



「こちらはお酒です。」



 領主が手ずから、酒をまず紅覇に振る舞う。

 それはまず酒を細長い器に入れ、お湯を注ぎ、蓋をしてからストローで飲むという不思議な酒だった。少しとろみがある。ももらったが、お湯が入れられているため温かくほっこりする感じで甘みもあり、非常に飲みやすかった。



「下がって良いよぉ。気楽に食べたいから。」



 紅覇が領主や従者たちに退出を命じる。

 初日だし、疲れているというのもあるのだろう。儀礼的な会食は長旅には面倒だ。領主たちもそれを理解しているのか、最低限の給仕を残すのみで、すぐに部屋から退出した。



「うげぇ、チーズとかばっかじゃん。」



 ジュダルは敷布に胡座をかいたまま、げんなりした表情で器に盛られたものを眺める。

 もともと煌帝国の宮廷でずっと育っているジュダルは、煌帝国の食事になれきっている。そのため、あまりにおいのきついチーズが好きではなかったし、バターや干し肉などほとんど食べたことがなかった。肉の腸詰めも珍しい異国の味として食卓に上ることはあっても、常に食べるものではない。



「僕は結構好きだよぉ。」




 紅覇はあっさりとそう言って、平気な顔をしてチーズを口に入れた。

 彼は時々と食事をともにする時、当たり前のようにと同じチーズを口にしていたから、気にならないのだろう。ジュダルも我慢してパンとともにチーズも一口食べてみたが、やはり美味しいとは感じられなかったし、むせた。



「無理しない方が良いかな。」



 がお茶をジュダルに差し出し、彼の背中を撫でる。げほげほとむせている彼を見て少し心配になったが、それと同時に案外彼の背中が広いことに驚いた。

 彼は十代半ばで成長期だ。身長はより当然高い。だが、は足が悪くいつも座っているため、誰でも自分より目線が高く、身長差を気にしたことはなかった。自分より少し手が大きいなとか、少しは考えたことがあるが、意識したことはない。

 男の子だからか、と至極当たり前のことを、今更ながら納得する。



「あー、なんか食えるもんねぇのかよ。」

「腸詰め肉の焼いたのは美味しいかな。わたしは、お肉よりお野菜が好きだけど。」



 は近くにあった皿をジュダルの方へと寄せる。

 腸詰めの肉は炭火で焼かれたのか香ばしく、とても美味しい。育ち盛りのジュダルにとっても肉は美味しいらしく、すぐにそればかりを食べ始めた。

 男の子はよく食べる、なんてことを遊郭の芸妓だった頃、遊女のひとりが言っていたかも知れない。

 の方が明らかにジュダルより大食だが、比較的ジュダルは肉食で、はまんべんなく食べる。は肉ばかりにがっつくジュダルを眺めながら、今度は紅覇に視線をやる。彼を見ると、一応野菜も食べていたが、やはり肉の方が好きそうだった。



「男の子、なのかな。」



 が口に出すと、ジュダルは「は?」と眉を寄せる。



「何、今更言ってんだよ。」



 性別の話など、実に今更な話題である。そんなことジュダルがを玩具として、同時に寵姫として引き取った時点で誰よりもよく知っているはずだ。



「うーん、まあ、そうなのかな。」



 は自分が何を考えていたのかよくわからなくて首を傾げる。だがそんなこと実にどうでも良いことだったので、あっさりと忘れることにした。



「これからも絨毯で移動するかもだけどぉ、は大丈夫?」



 紅覇はパンを口にしながら、の様子を確認する。

 ジュダルは食事こそ合わないだろうが、そこそこ馬車の移動にも慣れているし、道が悪いとは言え問題ない。だが、は足が悪いため長時間の馬車での移動は負担だ。それに煌帝国からマグノシュタットまでの道のりは、それほどきちんと整備もされていない上、野盗などが多くて有名だった。

 途中までは絨毯で超えることが出来るが、その先また、マグノシュタットの近くになれば、馬車となるだろう。マグノシュタット側は、煌帝国からの訪問団の絨毯での領内への侵入を拒否したからだ。



「ちょっとくらい、大丈夫かな。それに風邪とかひいたことないし。」

「尻へこみそうなくらいしんどかったんじゃないのかよ。」

「もう眠ったから大丈夫かな。」



 2時間ほど眠ったせいか、それほど体調も悪くないし、おしりの変な感覚も既になくなっている。は大丈夫だと言ったが、紅覇は顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。



「馬車は、できる限りやめた方が良さそうだねぇ。」

「え、大丈夫だよ、それに・・・」

、」



 紅覇はまだ言いつのろうとするの長い銀色のおさげをひっぱって止める。



「この旅はまだまだ長いんだよぉ?そうやって無理してたら、いつか倒れちゃう、それはすごく困る。だって、煌帝国の金属器使いだし、魔導士。戦力なんだよぉ。」



 長兄である紅炎はを自分に近しい妹として扱うと、そう言った。その判断に紅覇とて異論はない。



「わたし、あんまり役に立たないかな。」

「でもぉ、には僕が困ったら助けてくれる気があるでしょ?それと一緒だよ。」





 は善良だし、金属器が使えるか、使えないかは別にしても、紅炎や紅覇に何かあれば、自分に出来る精一杯の事をしてくれるだろう。それを紅覇は疑っていない。だからこそ、紅覇もまたに対してできる限りのことをするべきだ。




「それにぃ、、面白いしぃ。長旅にはうってつけじゃん。」




 紅覇はわざと軽い調子で言って見せた。


 長旅は酷く退屈だ。はこちらが考えもしないことを言うため面白いし、ゲームなどの相手にも嫌がらずになってくれる。暇つぶしにはうってつけの相手だ。それも真実だが、もちろん、に遠慮をさせないための言葉だった。

 は責任者である紅覇の重圧をよく理解している。だからこそ、自分の体調で旅程を変更させてはならないと考えたのだろう。だが、紅覇としては、有事の際、明確な味方がいると思える方が、よほど重要だ。

 紅覇はジュダルに対して親近感を持っているが、その反面、彼がアル・サーメンの一部であると言うことも承知している。



「僕はね、を信じてるんだ。」



 もちろん、本人の人格を疑ってはいない。それと同時に、とともにいるジュダルを信じている。

 そう、紅覇は、の可能性を誰よりも強く信じていた。


ささやかなる不穏