女官のヒューリャは魔導士でもあるため、伝達役も兼ねているのだろう。食事を終えたところでヒューリャがやってきて、紅覇とジュダルに頭を下げた。



「明日には王と王妃殿下ももいらっしゃるそうです。」



 彼女の言葉に、まだ食事をしていたは首を傾げる。



「おうさま?」

「あぁ、知らないんだねぇ。このあたりは、トゥーボー王国っていうんだよぉ。煌帝国の前の皇女が嫁いでたんだぁ。」




 紅覇は食後のチャンという白い酒を飲みながら、に説明を始めた。

 このあたりを治めるのは煌帝国の西にある小国・トゥーボー王国である。

 元は遊牧民や多数の民族を束ねる多民族国家で、煌帝国がまだこれほど大国でなかった10年ほど前、煌帝国の初代皇帝白徳の妹・雪雁(せつがん)皇女が若くしてトゥーボー王国の王太子に嫁いだ。現在の国王は当時の王太子であり、王妃はその皇女である。

 国土はほとんどが山に囲まれており、地上における交通手段は馬。一部は馬車で通行できるが、トゥーボー王国の多くの道は舗装されておらず、深く入れば入るほど、馬以外の交通手段はない。標高は高く、首都も山の中にある。

 国王はもちろん第三皇子である紅覇を迎えるため、この離宮にやってくる予定だったが、生憎今年の春の雪解けに伴う洪水で橋が落ち、時間がかかって到着できなかったようだった。




「おうさま、」




 は聞いてもよくわからず、少し考える。の知る王さまという人種は、あまり良い人がいなかった。

 煌帝国の皇帝はほとんど病で表舞台には出てこない。一度第二皇女に封ぜられた時、謁見したが、御簾ごしで、実際には見ていない。実際の執務は皇后や第一皇子の紅炎が代行しており、ジュダル曰く、弱くて面白くないヤツだと言うことだった。

 ヴァイス王国の国王であるヴィルヘルムは人々に圧政を敷き、の実母やたくさんの人を殺した、聞く限りとても怖い人だった。

 そう、にとって、国王というのはあまり良いイメージがない。



「王は、ヴァイス王国との交易のことで、様とお話ししたいとのことです。」



 ヒューリャがの方へと視線を向ける。



「あー、え?」



 としては自分と関係があるように思えず、助けを求めるようにジュダルの方を見上げた。



「・・・あー?あぁ。トゥーボー王国は近いからな、」



 ジュダルも具体的にはわからなかったが、貿易という限りはある程度予想はついた。

 トゥーボ−王国は、北はヴァイス王国と接しており、東は煌帝国と、そして南や西では他の国々と接している。元々物資が豊かではないトゥーボー王国にとって、鉱山資源や小麦などの農作物を豊富に産出するヴァイス王国との交易は、非常に重要だ。

 はヴァイス王国の司法を司る主席魔導士で、当然様々な権限も保持している。貿易関連の話をすることは可能だ。



「わたしには、よくわからないしなぁ、」



 辺境で育っているため、国益なんて言う観点はそもそも存在しない。それに根本的に何もわからない自覚はあるは、少し考える。



「ジュダル、一緒に行こうよ。」



 はいつも通りの結論を出した。ただ、ここからが問題である。



「いや、そりゃそうだけどよ。他はどうするんだよ。」

「ほか?」



 身分の高いジュダルやが人も付けずに国王と謁見と言うことはあり得ない。どの女官や武官、外交官とともに謁見するのかを決めるのは、主の仕事だ。特に今回はの国のことであるのだから、が決定すべきだろう。



「普通なら、まぁ、」



 ジュダルはヒューリャを一瞥する。紅覇も同じで、窺うようにヒューリャに視線をやった。

 女官とは言え、皇后からつかわされた女官であり、神官でもある。十分に主であると国王との会談に出席する資格があるわけだが、ジュダルはアルサーメンの一員であるヒューリャとが関わって欲しくない。紅覇もそれは同じだ。

 たっぷりヒューリャを眺めてから、ジュダルと紅覇はに視線を戻す。



「じゃあ、ほらこの間来てた、チーズの人で良いかな。」



 チーズの人とは、ヴァイス王国から派遣されている外交官たちのことだ。

 特に司法庁から派遣されている魔導士・ファイザルはこの訪問団にも随行している。ヴァイス王国のことを話し合うのならば、彼が同席するのは当然だろう。が全く知らないヴァイス王国のこともよく知っているはずだ。



「ただ、一応さぁ。煌帝国の誰かも、付けないといけないんだよねぇ?」



 紅覇はにわかりやすいように説明した。

 自治権があるとは言え、現在ヴァイス王国は煌帝国の属国である。煌帝国側の人間もまた政務官として同席すべきだ。



「んー、ヒューリャは、どう思う?」



 はいつも通りのんびりとした口調で尋ねる。




「はい。ヴァイス王国には行ったことがありますし、トゥーボー王国の国家体制についても、勉強いたしました。十分に様のお役に立てることと思います。」

「わたしの?」

「はい。」



 ヒューリャは淀みもなくはっきりと答えた。はゆっくりと人差し指を振りながら少し考えて、紅覇を見た。



「紅覇くんもこない?」

「え?僕ぅ?」




 恐らく、わざわざトゥーボー王国の国王がに謁見を求めたのは、煌帝国の干渉なくと話をするためだ。煌帝国の代表者である第三皇子紅覇はあまり歓迎されないだろう。ただ、少なくとも紅覇が同席すれば煌帝国側の政務官を付けるという問題は解決する。



「慣れてきたらまた考えるから、最初は一緒にいてほしいかな。」

「・・・良いけどぉ?」



 ヒューリャの答えはどうやら、のお眼鏡に適わなかったらしい。

 は、ヒューリャを同席せず、別の方法を考えたと言うことになる。紅覇はその理由がいまいち納得できなかったが、今回決定権を委ねられたのはだ。の決定に、具体性を持たせるため、女官たちに今の決定を関係者に伝えるように命じた。



「ヒューリャももう、戻っても良いかな。」



 はヒューリャに部屋から退出するように言う。彼女は当然納得できない様子だったが、主の言うことに渋々従って部屋から出て行った。



「面倒くせぇなぁ。まったく。」




 ジュダルはの長い髪を戯れるように撫でる。は視線を上げて彼の緋色の瞳を眺めた。

 ヒューリャが同席しないと知って、少し安心しているようで、眉間の皺がなくなっている。はそのことに少し安堵して、彼の肩に頭を預けた。

 ジュダルが何となくヒューリャとが関わるのを望んでいないことを、はちゃんと理解していた。

 彼はいつもを心配しすぎだと言うほど心配しているし、あまり手元から離すことを望んでいない。も彼と一緒にいたいから、それは良い。ただ、彼が心配すると言うことは、ヒューリャはにジュダルの望まない何かをする可能性があるのかもしれない。



「ねえ、、あの答えの何がだめだったのぉ?」




 紅覇は女官たちに指示をしてから、皆を退出させ、に尋ねた。

 ヒューリャの同席を選ばなかったことに安心して理由に興味のないジュダルとは異なり、紅覇は理由自体を知りたかったらしい。



「んー、えっとねぇ、わたしは、ヴァイス王国の人として、おうさまに会うでしょ?」



 今回、はヴァイス王国の代表者として、トゥーボー王国の国王と会うことになる。



「おうさまはわたしに、何がしてほしいのか、よくわからないけど、この国とわたしの国とが一番良い形を探さないといけないもの。」

「はぁ?じゃあ、なんでヒューリャはダメなんだよ。あいつ、物知りなんだろ?」




 の話を総合すれば、一番良い形を探さなければいけないのなら、ヒューリャはヴァイス王国、トゥーボー王国、両国の国家体制などの事情にも詳しいと自分で主張していた。ならば、の基準を満たすのではないのか。

 ジュダルが眉を寄せて尋ねると、は首を横に振った。



「ヴァイス王国のことはきっとチーズの人が、この国のことは、この国のひとがよく知ってると思うの。」




 ヒューリャは煌帝国側の人間だ。

 勉強したとしても実質的にヴァイス王国やトゥーボー王国の状態を知るわけではない。ヴァイス王国のことは、司法庁からつかわされた魔導士のファイザルが、トゥーボー王国は国王や彼らが連れてくる人々の方が、知識としてはよく知っていることだろう。

 だからがヒューリャに望んでいたのは、豊かな知識ではない。



「わたしはわたしの役に立って欲しいんじゃなくて、ただ、一緒にどうするか考えて欲しかったから、わたしの役に立つのは、いらないかなって。」



 が必要とするのは両国のためになる決定を、ともに模索してくれる人間であって、自身のために動く人間ではない。

 目的の違い。それは例えどんなに知識があったとしても、埋められるものではない。はそれをすぐに理解したのだ。



って、面白いよねぇ。」



 笑いながら、満足げに紅覇は弧を描くように目を細める。



「そう?それより、難しいお話をしたら、少しお腹がすいたかな。」




 としては自分の決定など、些末でどうでも良いことだ。今自分のお腹がすいていることの方が問題なのである。



「おまえ、こっちの感心を見事に無駄にしてくれるよな。」



 先ほど食べたばかりだというのに食物ばかり所望するに、ジュダルは心底呆れたが、近くにあった林檎をに恵んでやった。
ささやかなる不穏