トゥーボー王国は山岳地帯に住む多数の民族を治めるためか、政情不安定で、旅人を狙った犯罪もまた横行していた。それは、たちが宿泊している岩肌に作られた離宮の周囲も例外ではなかった。

 ましてやそれが高貴なお方を連れた一行ともなればなおさらで、離宮の周りには当然警備もたくさんいるわけだが、少しでも離れれば盗賊や強盗が集まっている。少し歩けばすぐに強盗と鉢合わせることとなった。



「・・・すごいね。」



 は目の前に積み上げられたならずものの山に、感動を通り越して目眩がした。



「全部、困った悪い人。」




 颯爽と赤い髪を揺らしながら、アルスランが高らかに山のてっぺんから言う。

 流石は強靱の肉体を持つファナリス。強盗など全く敵ではなく、毎日のように山のように捕縛してくれる、逞しい武官だ。奴隷から武官にした頃は口数もほとんどなかったが、最近時々話すようになり、使えない魔導士であるにとっては頼りになる護衛である。

 特に旅になると、彼ほど頼りになる人は他にいないだろう。




「紅覇君、この人たちどうするの?」

「捨ててくよ?いちいち捕まえてたら切りないしぃ?」




 紅覇はあっさりとした調子で言って、ぶんっと自分の大きな剣を振り回す。

 ついこの間手に入れたはずのレラージュを使いこなすための修行を、紅覇は毎日朝に行っている。たまたま今日はがジュダルより早く起きて、紅覇が起きているのが見えたので、早朝修行を見学させてもらっているのだ。

 綺麗な身なりをした少女と少年、そしてたったひとりの、年下の従者。

 一見すると見事なカモなわけだが、紅覇は武人にして金属器使い、アルスランはファナリス。そのあたりのチンピラにはあまりに分の悪すぎる相手である。

 早朝の訓練を終え、宿泊先の邸宅まで戻る10分の間に、数十人。待ち伏せされているとしか思えない程のならずものの数に、紅覇の背中におんぶされていたは一瞬驚いたが、すぐに岩に下ろされ、そのまま傍観することとなった。

 その間に死屍累々。敗者の山が築き上げられた。




「あーあ。実践練習にもならないよぉ。」




 紅覇は不満そうに頬を膨らませて、自分の剣の血を払うようにぶんっと振る。



「でも大きな剣だね。重たそうだし、疲れないかな。」



 は紅覇の剣を眺めて、思わずそう言ってしまった。

 彼の剣はいつでも自在に伸びるし、小さくも出来る。敵の意表を突くその動きは、強盗ごときに予想できるものではない。ただ欠点としては、伸ばせばその分重さも増すわけで、紅覇の腕力と振るえる大きさ、力の加え方を考えなければならないところだった。



「まあね。でも早く使えるようになりたいしぃ。」





 激しい修行語であるため紅覇の姿は汗だくで、いつも自分の服や髪型を気にしている姿からは想像も出来ないほど薄汚れているし、服もすり切れ、肌にも傷がある。だが、彼はそのことを気にすることもなく、朝から厳しい修行に勤しんでいた。

 よりいくつも年下の彼が武人として、皇子としての責務を果たそうと努力する姿勢がそこに現れている。

 旅をするようになって、紅覇の部下たちを話す機会も自然と増えた。

 彼の部下の多くは異形とされたり、奴隷や、かつて反乱を犯したりして地位を剥奪されたものなど、本来中央においては見向きもされないものばかりだ。紅覇は彼らを拾い上げ、自分の側近に取り立てることで、見捨てられた彼らに新たな地位を与えた。それは決して簡単なことではない。

 紅覇の部下たちは彼を敬愛し、命を賭ける覚悟を持っている。差別の中から拾い上げてくれた主を、心から慕っているのだ。



「そういえば、アルスランも一緒に練習してたんだね。」



 は首を傾げて、アルスランに目を向ける。より少し背の小さな彼は、少し首を傾げて、「はい。」と頷いて見せた。



「紅覇さまが、相手をして欲しいって。」

「だってぇ、アルスランはファナリスでしょ?やっぱ速さは違うからね。」



 紅覇が腰に手を当てて、笑って自分の剣を肩に乗せる。

 紅覇の早朝修行につきあっていたのは、いつもともにいる女性の魔導士や彼の部下ではなく、とジュダルの武官であるアルスランだった。

 紅覇の部下にも腕の立つ人間はいるが、やはり生まれながらの怪力と強靱な脚力を持つファナリスであるアルスランには敵わない。そして、その速さに対応できてこそ、武人として意味があると、紅覇は考えたのだ。

 旅が始まってから、定期的に早朝の何時間かをアルスランと紅覇は修行に費やしているらしい。




「でもぉ、酷いんだよぉ。結構マジ気で殺しに来るから、こっちも必死でさぁ。」



 紅覇の剣は伸縮自在、当然避け、攻撃する側のアルスランも本気で行かねば殺されてしまう。まだ金属器の使い方のうまくない紅覇ではだいたいアルスランに勝てないのだが、それでもお互い紙一重のところで戦っている。手加減は出来ない。

 本来皇子である紅覇に怪我をさせれば不敬罪で処刑されても文句は言えない。紅覇の服や肌には傷が目立つ。それでもアルスランが誰からも罰されないのは、紅覇がその強さを認め、同時に怪我すらも容認しているからだ。



「なんか、格好良いね、紅覇くん。」



 は岩に座って足をぶらぶらさせながら、素直にそう思った。



「あはは、そぉ?泥だらけだけどね。」



 笑う紅覇の顔は、きらきらと輝いている。

 金色の鳥が、まるで紅覇を包み込むように現れ、消えていく。それをは眺めて、まぶしさに翡翠の瞳を細めた。

 そこには強い意志と、何よりも強い決意がある。



「おうさま、とかはわからないけど、」



 紅炎のようにぎらぎらした強さではない。かといってシンドバッドのような圧倒的なきらきらした輝きでもない。春の木漏れ日のような、まだ淡いけれど純粋で、他人の汚れも、歪みも、すべて包み込んで、許容してしまうような、不思議な強さだ。



「紅覇くんはとっても素敵な人だね、」



 横暴な口調をするくせに、分け隔てなく接する、その屈託のなさ。

 今ではとジュダルの正式な武官となっているとは言え、アルスランは元奴隷だ。侍女や女官、従者の中にはそれを理由に彼に命令したり、彼にあたったりする人がいると言うことを、はジュダルから少し聞かされていた。

 そんなアルスランに、ファナリスで速さと力があると言うだけで修行の相手を頼む紅覇は、非常に公平で、同時に様々なしがらみを気にしない。目の前の人間の、等身大のそのままを見ているのだろう。

 の言葉に、紅覇は何度かその大きな目を瞬いて、にっと笑って見せる。



「当然だよぉ。僕は強くなるんだからね。」

「うん。」



 も大きく大きく頷いて、その彼の金色のルフに引きつけられるように笑う。

 金属器使いを見ているのは好きだ。白瑛もそうだが、みな光を放っていて、とても眩しい。眩しいけれど、その中に懐かしさと愛おしさを感じる。はこの輝きを何よりも愛している。そして、この輝きに愛されているのを感じる。

 その輝きに、引き寄せられる。でも、同時に、



「おい、」



 後ろから紅覇よりもずっと低い声が響いて、はすぐに振り向く。漆黒のルフが目の前を通り過ぎて、金色のルフをかき消していく。



「ジュダル?」

「ジュダル?じゃねぇよ。勝手にどっか行くなって言ってんだろうが!」



 勢いを付けて、平手で頭を叩かれる。だが手加減をしてくれているのか、別にそれほど痛くはなかった。



「紅覇、おまえもを勝手に連れ出すんじゃねぇよ。」

「えー、ちゃんと面倒見てたよ?」

「そういう問題じゃねぇよ。こいつは俺のだから、俺の許可取ってからにしろ。」

「えええええー」




 ジュダルが偉そうに言えば、紅覇が唇をとがらせて不満の焦げをあげる。それが面白くて笑いながら見ていると、ジュダルがを睨み付けた。どうやら眠っているジュダルを置いて出てきたので、怒っているらしい。



「女官のヒューリャに伝えといてねって言ったかな。」

「女官なんてどうでも良いんだよ。いつも一人で出かけんなって言ってんだろ?」

「だって、ジュダル眠ってたかな。」

「起こせよ。」



 どうやら真剣に心配してくれていたらしい。いつもそう。ジュダルはとても心配性で、寂しがり屋で、恐がりだ。言いつのるジュダルの赤い瞳が少し元気がない気がして、は申し訳ない気持ちになりつつも、嬉しく思う。



「おら、戻んぞ。」



 ジュダルがに手をさしのべる。自分より少し大きくて無骨な手に、白い自分の手を重ねる。するとそのまま手を引っ張られ、抱き上げられた。

 少し彼の顔が近くなるのが嬉しくて、はまた笑った。




引かれる惹かれる