トゥーボー王国の国王夫妻がやってきたのは、煌帝国の訪問団が到着して三日ほどたった頃だった。
「んー、よく見えないかな。」
は歩けないため部屋の窓に捕まるようにして身を乗り出し、眼下で城へと入ってくる国王夫妻を見ようと努力していた。その努力は、それなりに報われている。
馬から降りた二人は報告や出迎えのために集まってくる人々の中心にいたが、上から見ているにもすぐに誰かがわかった。国王夫妻のどちらもが、身長が随分と高かったからだ。ふたりとも色や多少の意匠は違えど、独特の文様の入った少し胡服とは異なる服を纏い、腰には帯を巻いている。
王の方はすらっとした美丈夫という感じの人だが、いかにも王といった空気を纏い、立派な毛皮がよく似合っていた。腰には金属器か、それとも違うのか、剣が二振り携えられている。髪は褐色で、一部分だけが細い三つ編みにされていた。これは男性皆同じなので、もしかすると文化なのかも知れない。
王妃は髪を高い位置で一つに束ね、よく煌帝国で見る細工の紐で留めてある。颯爽とした様子の人物で、女らしさはそれほどないが、てきぱきと動く姿がある意味で王妃らしいといえる。
「人がいっぱいかな。」
煌帝国からの訪問団自体もすごい人数で、低い官職の者たちは近くの商家に宿泊しているくらいだ。ここにトゥーボー王国の国王夫妻とその従者たちも宿泊するのだから、なおさらだ。
「危ねぇだろ。あんま窓によんなよ。」
後ろから声がかかったので振り返ると、ジュダルが絨毯の上で寝そべって果物を食べている。
この国では寝台は少し高いところにあるが、常では食事も他のことも、全て地べたに敷布を引いて行うらしい。この部屋も足が悪いを慮ってか普通の部屋よりたくさん敷布や絨毯が敷かれているが、椅子などは備え付けられていなかった。
にとっては手で移動できるのでありがたいが、ジュダルとしては椅子が恋しいようだった。
「はーい。」
は気のない返事をして、また体を窓から乗り出す。
「そういえば、この国、窓にも格子がないよね。」
皮のカーテンで窓を遮るため、昼でもカーテンを上げなければ光が入ってこないのだ。ただ石造りでごついため、が身を乗り上げるにはぴったりで、は皮を自分の頭で上げてよく外を眺めていた。
まだ落ちたことはないので、大丈夫だ。
「あ。こども。」
が王と王妃を眺めていると、彼らの元へ子供が走り寄っていった。
しっかりした足取りで歩いているが恐らく3,4歳と言ったところだろう。褐色の髪をしている。彼はあたりを見回していたが、ふとの方へと視線を上げてきた。
「あ。」
濃い緑色の瞳とばっちりと出会う。
も驚きで目を見開いたが、幼子もまた眼を丸くしたのがわかった。がどうしようと戸惑っていると、子供はにっこりとに笑って手を振って見せた。目鼻立ちの整った子供の可愛い笑みにつられ、もへらっと笑い返し、手を振る。
だが、窓辺から手を離したのがまずかった。
「あらら、」
ぐらっと体が揺れる。
「馬鹿っ!!」
ジュダルの怒声が後ろから響いたが、既に体はバランスを崩していた。ざっと、耳の近くで風が揺れる音が聞こえる。髪が重力に逆らって上へ、体が重力にしたがって下へと落ちていく。
「っ!!」
ジュダルが魔法の杖をこちらに向けた時には、の体は既に窓の外にあった。ただ下を見たまま落ちたため、何もわからない。子供の目がまた大きく見開かれている。どうしよう、と思うまもなく、風がすさまじくて目を閉じざるをえなかった。
だがすぐに、体がふわりと浮き、ゆっくりと自分の長いお下げがおちていくのを感じ、恐る恐る目を開ける。すると窓から身を乗り出したジュダルが、浮遊魔法をにかけてくれたようで、彼の杖の先の赤い宝石がこちらを向いていた。
ゆっくりと下へと落ちていると、下にいた男性が受け止めてくれる。
「・・・大丈夫か?」
少し呆れたような苦笑とともに、彼はにそう言った。
「えっと。」
が大人しくこくんと頷いたのは、彼こそ、が先ほどまで観察していた国王そのものだったからだ。
「ご、ごめんなさい、王さまと王妃さまがついたって聞いたから、見てみたくて、」
は素直にトゥーボー王国の王に謝った。彼は少年とよく似た深い緑色の瞳を細めて、にっこりと笑う。
「変わっていないな。は相変わらず鈍くさい。」
あまりにさらっと毒を吐く国王に、周囲の者が目を点にした。王妃ですらもその漆黒の瞳を丸くする。だがは言われていることがよくわからなかったのでそこを完全に無視して、口を開いた。
「え?わたし、知ってるのかな?」
「忘れてしまったのか。元から忘れっぽかったから仕方ないか。幼かったし。まあ、残念だな。」
「小さいときに会ったのかな。こ、こんにちは、」
「こんにちは。」
さも当たり前のような挨拶に、王も笑ってくれる。は少し怒られるかと思っていたため、安堵する。
「大丈夫か?怪我は?」
「けが!けが」
王妃と幼子が顔を見合わせての体に傷がないかを心配した。
は自分の感覚をもう一度考えてみて、腕が痛いことに気づく。どうやら窓の縁ですったらしい。腕を伸ばしてみると、二の腕に傷が出来てしまっていた。肌が白いのでよく目立つ。
「おい、大丈夫か!?」
魔法で下に降りてきたジュダルが傷を見て、慌てた様子を見せた。王は少しジュダルを見て驚いた顔をしたが、すぐに部下たちに視線を向ける。
「手当の出来る魔術師を呼んでくれ。あと、足が悪いから皆できる限り目を配ってやってくれ。」
トゥーボー王国で魔導士は魔術師と呼ばれている。への配慮から他にもいくつか部下たちに命じてから、王はゆっくりとジュダルへとを抱き渡した。
「ジュダル様!様は?!」
女官のヒューリャが真っ青の顔で飛んでくる。ジュダルの腕の中から見やると、紅覇についてきている純々などの女官も真っ青だ。それを見て、今更なのだが、もやっと自分が国王に対してかなり失礼なことをしたのだと気づく。
どうすれば良いのかもわからず、ジュダルと王の顔を交互に何度も見ると、視線に気づいた王が小さく笑った。
「気にするな。」
王はの頭をその大きな手でぽんぽんと叩く。それはまさに、よく知る子供にするようなもので、彼のに対する感情が伝わってくるようだった。
は緊張し、こわばっていたからだから力を抜いて、ジュダルを見上げる。
すぐに医者がやってきて、を抱えるジュダルに頭を下げた。王もまた、ジュダルの背中を軽く押して、中に入って医者に見てもらうようにと促す。
「家族の紹介は後にしよう。まず手当からだな。」
王は苦笑しながら腕を組み、にそう言った。
引かれる惹かれる