トゥーボー王国の王アギスは金属器サブナックの保持者であり、勇猛果敢で有名な人物だった。



「よく来たな。」




 がジュダルに抱えられて夕食の席にやってくると、既に座っていた彼は、その深い緑色の瞳を細めて笑った。

 石造りの部屋には敷布や毛皮、絨毯が敷き詰められ、クッションも置かれている。既に王だけでなく王妃である雪雁とまだ五歳前後の幼い王太子も既に席についていて、王太子は敷布の上に並べられた皿からチーズを手に取り食べていた。



「ひとまず座れ、」



 アギスは手招きをしてとジュダルに席を勧めた。ジュダルはをアギスの向かい側に下ろし、その隣に座る。



「特別な食事ではないが、ここらあたりの名産品を集めたんだ。」



 煌帝国の出身者らしい長い、漆黒の髪を一つに束ねた雪雁(せつがん)は、紫色の瞳を細めてに説明する。

 彼女は煌帝国からトゥーボー王国に嫁いだ、煌帝国の皇族だ。初代皇帝・白徳帝の異母妹にあたる。武力によって人質も同然に嫁した皇女の嘆きは詩として煌帝国の宮廷ではよく歌われている。だが、名産品を説明する彼女は酷く誇らしげで、少なくともトゥーボー王国を嫌っているとは思えない。

 トゥーボー王国は食材についてあまり豊かではなかったが、チーズやバターの種類が多く、には十分に楽しめそうだった。ただ、ジュダルはそれを見て渋面になっていた。

 は元々ヴァイス王国の出身で、チーズや小麦のパンを食べてきた。それに対してジュダルはチーズやパン、になれていない。煌帝国でもそう言った食べ物は異国の味として市場などで売られているが、主食はだいたい米や饅頭、麺などだからだ。

 特にチーズやバターは根本的に口に合わないらしい。そのため、道中でもチーズやバター、パンなどが出てきて、ジュダルはげんなりしていた。また保存食である干し肉も、あまり好きではないようで、ことあるごとにシカやウサギを狩らせていた。



「お肉あるよ。わたしの分もあげるから、」



 はジュダルのズボンをくいっと引っ張って、慰める。



「うるせぇ。食欲ねぇんだよ。」



 ジュダルは疎ましそうに言って、の肩を押してきた。相当堪えているらしい。が口をへの字にしているジュダルを見上げていると、横から笑い声が響いた。そちらに視線を向けると、雪雁がからからと笑っている。その隣ではアギスが苦笑して、女官に一言二言命じた。

 しばらくすると女官がやってきて、ジュダルの前に鉄で作られた厚手の鍋を置いた。



「・・・?なにかな。」



 は首を傾げて、鍋をのぞき込む。



「熱いのでお気を付けくださいね。」



 女官はそうに注意を促してから、鍋の蓋を開けた。

 もくもくと湯気がたつ。それがなくなると、そこには白い米が一杯に敷き詰められていた。がジュダルを再び見上げると、彼は緋色の瞳を丸くして、口元が僅かに笑みの形をつくっていた。



「私も来た頃はパンもチーズも口に合わなくてな。」



 雪雁が笑いながらジュダルに言う。彼女も煌帝国の出身者であるため、ジュダルの悩みは重々承知だったようだ。



「よかったね。ジュダル、チーズもバターもパンも嫌いだもんね。」

「おまえそういうこと言うなよ〜」



 そう言いながらも、ジュダルは嬉しそうだった。

 旅の間も、トゥーボー王国に来てからも、一応ジュダルは部下や現地民に気を遣って、あまり好き嫌いを表立って言わなかったが、辛いことはの目からも見えていたのだ。は基本的にあまり好き嫌いはないが、何も食べられないと言うことを考えたら、ひもじくて泣きそうに辛いことだとわかる。



「なにか足りないものや、過ごしにくかったりすればなんでも言ってくれれば良い。次はマグノシュタットだから、政治的にも難しいところがあるだろう。」



 アギスは近くにあった酒を口にしながらそう笑った。



「・・・心遣い、感謝します。」




 ジュダルがあまり慣れない敬語を口にする。するとそれにもアギスは「敬語もいらないさ、」と杯を上げて見せた。



「ねえ、おかあさま、どうしてこのおねえちゃんのかみはまっしろなの?」



 幼い王太子はに興味はあるが、恥ずかしいらしく、母親である雪雁に抱きついたまま何度もを振り返る。王太子の褐色の髪も、深緑色の瞳も、父親であるアギスによく似ていた。



「北方の人はみんな髪の色が薄いんだ。」



 雪雁が説明すると王太子は深緑色の瞳を何度か瞬いて見せる。あまりよくわからないらしい。



「ヴァイス王国に行くと皆、亜麻色や、金や銀の薄い髪の色をしていて、おまえのような暗い髪の色の方が珍しいぞ。」


 アギスが王太子の褐色の髪を軽く撫でながら言うと、ころころと鈴を鳴らすような高い声で笑って、手足をばたつかせて母親に抱きついた。



にも、そちらの彼にも紹介しよう。俺はアギス。トゥーボー王国の王だ。妃の雪雁(せつがん)と息子のソロンだ。」



 アギスは妻と息子をに紹介する。



「えっと、」



 はバターをたっぷりぬったパンを口に入れながら、ジュダルを見上げた。



「わたしはで、隣はジュダルだよ。ジュダルは神官で・・・」



 相手に紹介されれば、自分も紹介しなければいけないような気がする。しかし地位や身分はわかるが、お互いの間柄をどのように説明すべきなのか、わからなかった。今まで他人にジュダルを紹介する必要がなかったから、あまり考えたことがなかったのだ。



「そう、それを聞きたかったんだ。恋人か?」



 アギスが笑いながら明るく尋ねる。



「えっと、うーん、恋人って、なんだろう。でも、わたしはジュダルが好きだよ?ね?」

「こっち見んなよ!そしてこんなところで俺に答えを求めんな!」



 ジュダルはの答えに何かを返すのが恥ずかしいらしく、僅かに頬を染めて叫んだ。突然怒鳴られてしまったは翡翠の瞳を瞬く。



「いや、そこがどうなんだか、俺は気になるんだが。」

「アギス、」



 アギスは興味津々で体を乗り出す。いくつになってもこういう話題は酒の肴に楽しいものだ。ただし下世話な興味があまりにもあからさまであったため、雪雁が横から彼の脇腹を肘でつつく。



「いやな、が生まれた時にな、おまえの父親が嫁に出せないとか言ってたからな。」



 アギスは取り繕うように酒を仰ぐ。



「お父さんに会ったことがあるのかな?」



 ヴァイス王国の首席魔導士であった母を知る人間は多いが、の実父を実際に見たことがある人間は少ない。そのため、の実父の素性はほとんどわかっていない。の従兄弟であるフィルーズは、詳しくはわからないが傭兵をしていたと言っていた。

 の夢の中にたまに出てくる父は自分自身のことをマギであると言っていたが、それ以上の情報はが興味を持っていないこともあり、知らなかった。



「王太子時代に一緒に旅をしていたことがある。傭兵をしていたからな。」

「おうさまが、傭兵?」



 傭兵とは人にお金で雇われて戦う兵士のことだ。戦争のあるところに行き、雇われ、一所に留まらない。彼らを軽蔑する人たちがいることをは何となく知っていた。同時に、本来であれば兵士を雇う側である王が、雇われるというのは、ものを知らないが聞いても不思議だ。



「王になりたくなかったんだ。」



 アギスは唇の端をつり上げて笑った。

 多くの場合、王さまというのは世襲であると紅炎から教えられた。恐らくアギスも王の子供として生まれたことだろう。




「どうして、王さまになりたくなかったのかな?」

「若かったのさ。王なんて何も出来ない、横暴でくだらないものだと思っていた。」



 深緑色の瞳は昔の自分への懐かしさと、僅かな後悔でいっぱいになっていた。




「どうして今は王さまなの?」

「王になれば様々なことが出来るからな。」




 からりと笑う。あっさりとしたその様子には少し驚いた。

 王さまにどうしてなるのか。何故なりたいのか。それは人によって違うのだろうが、何か大きな事を成し遂げる時に、必要な地位なのだろう。力が欲しいと、迷宮に挑む人を見た。アギスもまた、何かを成し遂げたいと願って王になったのだ。

 が金属器を手に入れたのは、本当に幼い頃だ。しかしそれでもきっと、何か願いとやりたいことがあって迷宮に挑んだのだろう。

 願いがが何だったのか、は覚えていない。




「おとうさま、ちーず。」




 幼いソロンが父親にチーズを突き出す。アギスは笑いながらそれを口に含む。その姿はが覚えている養父と何ら変わりない。

 は目の前にいる一つの“家族”を眺めながら、温もりを求めるように自然とジュダルに躰を寄せていた。


温もりの中で