公式上、現在とジュダルの関係は、実に微妙なところだった。

 いくらかの国において、特に金属器を持つ王にとって、ジュダルがマギであることは知られていることだ。しかし公式上は煌帝国において最高位の神官というのみである。皇女よりは重きを置かれるが、皇子に関してはその生母と重要性、年齢によってジュダルとの序列が変わる。

 それに対してはというと、当初はジュダルの寵姫であっただけだったが、現在は正式に煌帝国の第二皇女として封ぜられている。さらにはヴァイス王国の司法権を司る主席魔導士だ。ヴァイス王国は自立心の強い煌帝国の自治国であり、彼女なくして煌帝国は正当性を保つことが出来ない。

 は現在神官とされているが、だからこそ、とジュダルの地位の上下は非常に微妙なところだった。大きな問題となっていないのは、がジュダルの意見を聞き、互いに同意をとるから、それだけだ。

 実際にトゥーボー王国においても、女官たちが様々な事柄をジュダルに許可を取るべきなのか、に取るべきなのか、両方に確認すべきなのか困惑する場面が複数あり、王であるアギスは相談を受けていた。



は昔から、ふわふわしているからな。」




 アギスは女官庁の報告を聞きながら、眼下のテラスで食事をしている少女たちを眺める。

 は幼い頃の記憶はないようだったが、あまり変わっていなかった。記憶がないことを気にする様子も、アギスが王だからと気後れすることもないらしい。むしろジュダルの方がアギスと食事をともにした際、どう話したら良いのかわからない風だった。

 ジュダルはアギスの目から見れば、自分の好きな子に意地悪をしながらも心配する、自分の傍から離したくない、そんな少し不器用な少年だった。

 煌帝国の女官の話では、どちらかというとジュダルの方がに対して過保護らしい。

 確かにが窓から転落した際も、彼は慌てて魔法を使っていたし、傷を見て真っ青な顔をしていた。がぼんやりしている分、どうしても彼としてはが頼りなく見え、心配でたまらないのだろう。

 ジュダルとの関係は、誰が見ても恋人同士と言って遜色はないだろう。女官たちの話でも、駐在武官の報告でも、煌帝国の宮廷でも有名なほど仲むつまじいらしい。ただもう妻も子供もいるアギスからして見れば、まだ児戯に等しい、ただただ微笑ましいものだ。

 彼がアル・サーメンの構成員でさえなければ。



「・・・サィードにとっては、これで良かっただろうがな、」



 の実父・サィードとアギスは旧知の仲であった。

 父王と不仲であったアギスは、世界を見たいと外へと飛び出し、諸国を回って傭兵をして暮らしていた。その頃に会ったのがの実父であるサィードだった。当然彼の配偶者であったの実母のこともよく知っている。

 彼がどれほどに妻と娘を愛していたかも。彼はこの結果に本望だっただろう。

 しかし、事情の恐らく全てを知るアギスからすれば、ジュダルが可哀想で仕方がなかった。それはあまりに彼が、アギスの前で普通の少年だったからだ。

 不器用で、こちらから見ればまだ拙い恋心を抱く少年。



「どうしたんだ?」



 二人の姿を見つめるアギスに、後ろから声がかけられる。アギスが振り返るとそこには妃の雪雁いて、柔らかに微笑んでいた。彼女の高い位置で束ねた漆黒の髪が、風に揺れる。



「ソロンはどうした?」

「昼寝中だ。」



 彼女は先ほどまで息子と遊んでいたはずだ。アギスが尋ねると、雪雁はそう答えて、同じように下で仲むつまじくじゃれ合う少女たちに目を向けた。



は美人さんに育ったな。流石、マフシードさんの娘さんだ。宮廷でも人気があっただろう」



 雪雁もアギスと結婚した頃、外交関係で何度かマフシードと会っている。10年前の政変まで、ヴァイス王国とトゥーボー王国は友好的な関係を保っており、かつてのともよく会っていた。記憶はないとはいえ、はあまり昔と変わっていない。



「そうだな。」



 は誰が見ても美しい少女に成長していた。まだ容姿は幼いが、目鼻立ちが小作りで整っており、のんびりとした仕草が艶やかに見える瞬間がある。子供と少女の狭間にある様が、大人から見ると十分に性の対象になるのだ。

 そういう点では貴族が目を付ける前にジュダルがを囲ったのは、彼女にとっては幸運だっただろう。




「性格は本当に、どちらにも似なくて良かった。」



 アギスの目から見ても、は健全な少女に育っていた。

 マフシードの死後、行方不明になっていたを育てたのは恐らくマフシードの部下であったファナリスたちであろう。彼らはを愛情いっぱいで育てたに違いない。亡くしてしまったマフシードへの敬慕とともに。




「そうか?はマフシードさんによく似てるだろう?」




 雪雁は首を傾げて見せる。




は無自覚だからな。はっきり言っておくが、マフシードはそんなことはない。」

「いや、あの人も無自覚だっただろ。ちょっと路線は違うけど。」



 とマフシードの容姿は同じ、目の色が違うだけだ。のんびりとした口調も、動作も、仕草も一見すればよく似ているように思えるだろう。だが、雪雁もアギスも見解に相違はあれど、とマフシードは違うと明確に認識していた。



 ――――――――――――――そうね。私に似たら絶世の美女ね、




 のんびりとした口調で、娘を眺めてマフシードは優雅な笑みを浮かべてそう言っていた。彼女は、あっさりと自分を絶世の美女だと口にしたのだ。誰もが耳を疑うような言葉を、さらっとのんびりとした口調で言う。 

 そして人々が振り返ると、美しい笑みのままに返すのだ。



 ――――――――――――――え?どうしたの、みんなそんな顔して。



 聡明で優雅で、美しい。彼女に見せられた人間が多かったのは、当然のことだろう。しかも腕っ節まで男顔負けに強い魔導士など、彼女くらいだ。

 眼下のテラスを見れば、マフシードとそっくりの顔立ちのが、ふわふわと笑っている。ジュダルもアル・サーメンの一員とは思えない程、年相応のはにかんだ笑みを浮かべて彼女と話している。




 ――――――――――――――俺はに普通の人生を与えてやりたい






 サィードは柔らかに笑って、悲しそうにそう言った。彼は疲れ切っていたのだろう。でも、それでも、彼は娘の事を愛していた。




「普通の人生、なぁ、」



 アギスはサィードの言葉を、あれから十数年、ずっと繰り返し考えている。

 自分も王太子として生まれ、それを拒んで国を出たこともあった。だから、彼の選択を正しいと思っていた。しかし、祖国の戦争を放置しきれず国のために戦い、妻を娶り、拒み続けていた王位を継いだ。子供を抱いた。心から、幸せだったと思った。子供にも幸せになって欲しいと思った。

 その瞬間、彼の間違いに気づいた。

 テラスでは、口を食べ物で一杯にしたが、幸せそうに笑っている。彼と同じ翡翠の瞳を細めて、浮かべる柔らかな表情からは、なんの憂いもうかがえない。

 実父がいた頃も、実母がいた10年前も、そして今も、は何も変わらない笑顔を見せている。



「あー、王さまだー」



 下から楽しそうなの声が響いて、ぶんぶんとこちらに手を振っているのが見えた。アギスが苦笑しながら手を振り返すと、ますます嬉しそうに手を振る速度を速める。



「単純な子だ。」



 一緒に手を振りかえしながら、雪雁が優しく微笑む。



「楽しんでるか!」



 アギスが声を張り上げると、は手を振るのをやめ、近くにあった果物を掲げて見せた。彼女の手にあるのは梨だ。このあたりでとれる果肉の固い果物だが、彼女のお気に召したらしい。ジュダルが隣で呆れた顔をしていた。

 食べ物のことしか基本的に頭にないのは、幼い頃とあまり変わっていない。



「幸せは、どこにでもある」




 それを、見つけられるか、見つけられる人間に育つか、ただそれだけなのだけれど、それが何よりも難しいと、アギスはよく知っていた。


かわらぬ日々