トゥーボー王国の国王であるアギスと、煌帝国の第三皇子紅覇の会談は当然ながら、正式な外交交渉を含んでいる。は当然同席する予定はなかったが、同席して欲しいとアギス、紅覇の両方から打診された。

 恐らくどちらにとっても親しい相手であるからだろう。

 もともとジュダルも同席する予定であったこともあり、はその申し出を受け入れることとなった。



「貿易についてですが、」



 文官が前置きをし、話し合いが始まる。だが、あまりうまくいかないようだった。

 国王であるアギスと、第三皇子の紅覇がほとんど口を出さぬ間に、文官たちが会話の応酬をする。肌が粟立ち、身動きすら躊躇われるような、張り詰めていて、攻撃的な空気。はそれをぼんやりと眺めながら、ヴァイス王国でもあった雰囲気だな、思った。

 ヴァイス王国の行政権を司る人物を誰にするか争った時、煌帝国の文官たちもまた同じように言い争っていた。



「・・・」



 は黙って隣に座るジュダルの方へと身を寄せる。彼はすぐにの緊張を理解してくれたらしく、そっと背中を撫でてくれた。

 ふと、の司会を黒いものが掠める。ジュダルのルフかと思ったが、別の方向へと導かれるようにまっすぐと飛んでいく。誰も気づいていない。がそれを目で追うと、それは煌帝国の文官の元へと導かれるように吸い込まれていった。

 先ほどからトゥーボー王国の文官に攻撃的な言葉をかけている文官だ。

 石の上に敷布を敷いて座るという、トゥーボー王国の風習をまず罵った彼は、貿易拡大にも反対のようで、するならば莫大な関税をかけることを主張していた。



「ねえ、あの人、いやなのかな。」



 はこそっとジュダルの服を引っ張って耳打ちをする。彼は一瞬の言った意味がわからなかったようだが、の目線の先にいる男を見て、一つ頷いた。



「仕方ねぇよ。10年前にトゥーボー王国が襲ったところの出身だからな。」



 10年と少し前、トゥーボー王国はまだ弱かった煌帝国を襲い、賠償金などの支払いと同時にその証拠として皇女の降嫁を求めた。当然煌帝国側には多くの死者が出ており、降嫁が決定するまで、煌帝国の領土の一部は占領されていたという。

 戦争とはいつでも残酷なもので、そこで何が起こっていたかはわからない。



「・・・そっか。」



 煌帝国では皇女の降嫁は悲劇として語られている。実際に嫁いだ雪雁が幸せだったとしても、煌帝国の人間にとってトゥーボー王国は侵略者に他ならなかったのだ。どうやらそれ故にトゥーボー王国との貿易を拒む者も多いようだ。

 そのため、話し合いは遅々として進まないまま、昼ご飯時になっていた。



「ねえ、はどう思うぅ?」



 昼休憩を取る話し合いが行われる中で、こそっと紅覇がに尋ねる。




「・・・なんか、あまり良い感じではないかな。」




 は改めて周りの様子を見た。

 煌帝国の空気に当てられたのか、トゥーボー王国側の人間も睨み付けるようにこちらを見て出て行く。お世辞にも良い雰囲気ではない。



「紅覇くんは、10年前の、その戦争のこと、覚えてるの?」

「覚えてるわけないよぉ。だって、その頃、僕、2歳以下だよぉ?」



 どれほど賢かったとしても、2歳前後の記憶はない。紅覇より年上であったジュダルですらも、あまり覚えていないと言っていた。



「じゃあ、紅覇くんは、王さまのことどう思う?」


「別にぃ?有能な国王だって聞いてるよぉ?実際に経歴がそれを示してる。」



 トゥーボー王国の国王としてのアギスは有能だ。それほど強くなかったとは言え、煌帝国を襲い、賠償金と皇女の降嫁を勝ち取った手腕はなかなかのものである。また、突然強大化した煌帝国の属国となることもなく、その山の多い国土を利用しながら独立した国家を保持している。



「今の僕じゃあ、まぁ、役不足だよぉ。」



 紅覇は肩をすくめてみせる。

 午前中、トゥーボー王国の国王であるアギスは一言も文官たちの話に口を出さなかった。それは煌帝国側の代表者である紅覇も同じであったが、30を超し、口を出したとしても成熟した国王であるアギスと、10代前半の紅覇では、実績も言葉の重みも違う。

 そのことを紅覇は、きちんと理解していた。



「・・・でも、みんな、自分の国をよくしたいはずなんだよ、ね。」




 は黒いルフを纏う煌帝国の文官を眺める。

 彼らはできる限りトゥーボー王国が不利になるような形に物事を落ち着けたいのかも知れない。だが、紅覇は少なくともそうは思っていないだろう。もちろんトゥーボー王国と煌帝国のどちらかが不利益を被る場合、争うことになるだろうが、両方に利益をもたらすものであれば、過去にとらわれるべきではない。

 アギスもきっと、そのはずだ。が彼の方へと視線を向けると、ばっちり目が合った。

 彼の雰囲気は、が話していた時とあまり変わっていない。彼はに向かって肩をすくめて見せる。片方の眉が下がっていて、困ったといった表情だ。恐らく先ほどのやりとりに困っていたのだろう。




「ごはん、ご飯を食べよう。」

「は?だから飯だって言われてんじゃねぇか。」



 ジュダルはため息をついたが、そういう意味ではない。



「違うかな、」



 はそう口にして、アギスに手招きをする。国王に対して手招きなど相当失礼なことだったが、が歩けないことをよく知る彼は、小さく頷いてこちらにやってきてくれた。



「なんだ。」



 彼はすぐに敷布に膝をついた。と目線を合わせるためだ。



「あのね、ご飯を食べよう。」

「あぁ、構わないが、いつが良い?」



 アギスにとっては旧友の娘だ。国王とは言え気軽に応じる。彼は国王と言うことをそれほど重要だと考えていない。もちろん立場は理解しているだろうし、王として振る舞う。だが、彼は本質的に王を欲していない。

 彼が王であったとしても、彼はひとりの人であることを忘れていない。



「いま。紅覇くんも一緒に食べよ。」



 は隣にいる紅覇の袖を引っ張る。



「へ?いやぁ、でも、それはぁ、」



 国家の代表者である限り、そして国王である限り、私的なつきあいも考えなければならない立場だ。



「どうして、わたしと食べるのは良いんでしょう?ふたりとも、わたしとご飯かな、」



 が明るい笑顔で言うと、紅覇とアギスはふたりで顔を見合わせる。



「そりゃ、まずいんじゃねぇの?」


 ジュダルはに至極まっとうな意見を口にする。



「どうして、ふたりともわたしとご飯を食べるだけ。」

「でも、おまえ二人いないから、重複はなぁ・・・、」

「えー、」




 は目尻を下げて見せる。ただし、顔を見合わせていた紅覇とアギスが、それに大義名分を付け加える言い訳をすぐに思いついた。



「・・・僕は、ジュダル君とご飯を食べるよぉ」



 そう言って、紅覇は近くにいた女官にジュダルと食事をすると言うことを告げた。



「俺はと食事を取る。」



 アギスが女官に命じる。言うのはそれだけ、それが例え同室であったとしても、大義名分としてはそれぞれ別の人間と食事をするだけだ。それは詭弁だが、十分に有効である。



「はぁ?・・・まあ良いけどよぉ。」



 ジュダルは二人の意図を理解したのか、少し嫌そうな顔をしたが、政治的なことも含むため、同意する。



「・・・?、ま、いいかな。」



 はアギスや紅覇が言っていることはよくわからなかったが、少なくとも二人が同じ場所で食事が出来ると言うことはわかったため、満足げに頷く。



「お腹すいたかな。ね。」

「そんなに腹減ってんのはおまえだけだぜ。」



 ジュダルはげんなりした様子で言う。

 皆先ほどのやりとりで、食事をするほどの気力はない。気力があるのはだけだったが、彼女は気づいていなさそうだった。