ついでにアギスが王太子のソロンも連れてきたので、昼食は和気藹々とした空気だった。



「はい。あーん。」



 どうやらソロンはが気に入ったらしく、彼女の膝の上に乗って、バターのべったりとついたパンを彼女の口元に差し出す。はそれを躊躇いもなく口に含んだ。するとソロンは深緑色の瞳を輝かせて、きゃっきゃと歓声を上げた。

 その拍子にパンの粉がソロンの膝にばらばらと落ちる。



「あーあぁ、何やってんだよ、おまえら!」



 見るに見かねたジュダルがソロンの膝のパンの粉を払い、ついでにソロンが落としたバターを近くにあった手ぬぐいで拭う。




「ちょっと綺麗に食べろよ。おい、!言ってるそばから落としてる!!汁落ちてるって!!」

「え?」



 は自分が食べていた真桑瓜から口を離す。その拍子にまたぱたぱたと彼女の膝の上に果汁が落ちた。一応膝に手巾を広げてはいるが、あまり果汁を落とせば服に染みるし、彼女のワンピースは白いので、なおさら目立つ。



「ぼくもー」



 の持つ真桑瓜のついたフォークに、ソロンも同じように食らいつく。また果汁がこぼれ落ちて、ジュダルは頭を抱えたくなった。




「・・・着替え、必要ですか?」



 近くに控えていた女官のヒューリャがいつも通りの無表情でジュダルに問いかける。ジュダルはそれに無言で頷いた。



、ちょー仲良しぃ?」



 紅覇もアギスが近くにいるため小声でそう言って、少し驚きながらとソロンのやりとりを見つめる。

 アギスはの父母をよく知っており、とも知り合いだったという。ただしは母が亡くなった10年前の記憶はなく、アギスを覚えているわけではない。要するにアギスとも、当然まだ4歳前後のソロンとも知り合いではないわけだが、そんなこと関係ないくらいうちとけていた。

 特に幼いソロンとは気が合うらしい。



「本当に、幼い頃と全く変わっていないな。」



 アギスも苦笑するしかない。

 人払いはしてあり、しかも知り合いだとは言え、アギスはトゥーボー王国の国王である。紅覇もジュダルも当然緊張気味だったが、は全く違うらしい。彼女がそう言った地位を気にすることなど、むしろあるのだろうか。

 ソロンがいることもあるだろうが、あまりに自然体で、地位や身分を慮って緊張しているこちらが馬鹿に思えるから不思議だ。




「おまえ、口!ちょっと来い!!」




 段々に対してだけでなく、彼女の膝に座っているソロンの食べ方の汚さも気になりだしたらしく、ジュダルはソロンの口元を手巾で拭う。どうやらもうソロンが王太子であるなんてことはすっかり頭の中から消えているようだ。



「うぅー?ちーずぅ!」

「待て!手で掴むな!!」

「でも、美味しいよ。このチーズ。味もまろやかだし。」

「おまえもそれ素手で掴むんじゃねぇ!さっき拭いた意味ねーだろうが!!」



 まろやかな味のチーズは、とても柔らかい。手で掴めば手がべたべたになるのは当然だが、子供のソロンと考えが足りないとしてはどうでも良かったのだろう。だが宮廷育ちのジュダルとしてはどうしても気になるのだ。

 ジュダルの叫びに、緊張していた紅覇も堪えきれず吹き出した。



「あははっは、ジュダル君!良いお父さんになれるよぉ!!」

「うっせぇよ!]




 ジュダルがいつも通り紅覇を怒鳴りつける。流石のアギスも口元を手の甲で押さえ、笑いを堪えていた。



「じゅーは、ちーずいらい?」



 ソロンが拙い言葉ながらジュダルに問う。ジュダルがほとんどチーズに手を付けていないことに気づいたのだろう。子供に指摘され、ジュダルは一瞬怯む。好き嫌いは多い方だが、子供の前では褒められたものではないことを、ジュダルは理解していたので口を噤んだ。

 ただ子供には、言いたいことはわかったのだろう。



「ぼく、も、おこめすき。かかまも、すき。」



 王妃の雪雁(せつがん)は煌帝国出身で、あまりチーズやバターが好きでなかったという。息子のソロンも幼い頃から母とともに食べていたため、存外米が好きなようだった。



「そうだな。米も作りたい。」



 アギスが息子の言葉を利用して、紅覇に言う。



「米、ですか?」

「あぁ。米を育てるための治水技術がたりなくてな。俺たちは国土に山が多い。水をあげるのがなかなか難しいんだ。」



 トゥーボー王国は山間部が多く、川は確かにあり、水も豊富だが、その水を全てに届ける技術がない。また、山が多いというのは大規模な農業が出来ないと言うことであり、農作物は季節によってどうしても不足しがちだ。

 治水技術は大きな川を持ち、それを国土に行き渡らせることが必要な煌帝国の十八番でもあった。



「・・・煌帝国は足の強い馬が必要なんです。マグノシュタットへの遠征を考えておりますので。」



 控えめながら、紅覇ははっきりと口にする。



「マグノシュタットか。時期はいつ?」

「すぐではありません。ただし、ここ5年以内には。」



 戦争を繰り返している煌帝国にとって、馬は重要な戦力だ。ただし馬は簡単には作れず、遠征にも耐えうる足の強い馬となればなおさらである。トゥーボー王国は山間部にあり、足の強い馬を産出することで有名だった。



「そうか。まずそこだな。昼からの実務者協議に出しておこう。」



 アギスは大きく頷き、近くに控えていた女官に自分の意向を伝える。



「ただし、煌帝国にはどうしても反対の者がいるだろう。それをどうにかすることが、おまえの責務だ。」



 アギスの見解はどこまでも正しく、同時に紅覇の限界を見抜いていた。

 今回の訪問団の代表者は紅覇である。しかし紅覇はあまりにも若く、随行している武官や文官は紅覇の命令に従わないと言うことがよくあった。世襲の皇族につきまとう大きな問題である。特に10年前の戦争から、トゥーボー王国と友好関係を結びたくないと考えている煌帝国の文官は多かった。

 紅覇の表情が凍り付く。だが、アギスの声は優しかった。



「安心しろ。おまえにその力がないとは思えない。おまえは金属器使いだ。それをうまく使うことだ。」




 王の力と言われる、金属器。それは迷宮を攻略した者だけが持つことが出来る、奇跡の力だ。それを誇示することで、皇族としてではなく、個人の技量を示すことが出来る。

 アギスもまた、迷宮を攻略した、金属器使いである。

 ジュダルはそれを横目で眺めながら、腕の中にいるソロンを抱えなおし、を見やる。彼女は紅覇とアギスの話し合いを眺めながら、相変わらずチーズを貪っていた。

 前は話したところに寄れば、アギスはこのトゥーボー王国の国王と言うだけでなく、数少ない、生前のの実父を知る人物でもあった。

 煌帝国がヴァイス王国へ進軍した時、は養父母を前にした時、別人と入れ替わった。器は同じだ。しかし明らかに、彼女ではなく、意識は別の人間のものだった。恐らく、の父親である。

 の実父は彼女が生まれてすぐになくなったと、彼女の母方の従兄弟は言っていた。彼を詳しく知る者はいないが、が言うには夢の中で会えると言う。ジュダルがの夢をのぞき見た時いた、彼女と同じ翡翠の瞳の男が、父親なのだろう。

 何故、彼女の意識を支配することが出来るのか、夢に出てくるのか、そして一体彼がどこの誰なのか、わかっているのは、もう死んでいることと、傭兵をしていた期間があること。ヴァイス王国に滞在し、首席魔導士であったの母と、を作ったこと。それだけだ。

 は相変わらず父母の記憶がないせいか、別段興味を持たない。むしろジュダルの方が彼女の素性に興味があるくらいだ。




「・・・」




 美しい容姿をしているだけの、ただの少女。それがだ。

 本当はジュダルも理解している。紅炎が言う通り、彼女は全てがおかしい。そのマギと同じ周囲からルフを取り入れ、魔力にする能力も、魔導士のくせに保有する金属器も危なくなると出てくる意識だけの死んだはずの父親も全て。

 でもジュダルはそれに蓋をする。



「仕方ねえな。」



 ジュダルはそう言って、の汚れた手を拭う。

 こうして世話をすることも、手を重ねることも、抱きしめることも、抱きしめられることも、ジュダルは全てから教わった。彼女がいるから出来る。したいと思う。そしてこの温もりを手放したくない。

 だから、全てを暴くことが別れに繋がるならば、その可能性から彼女を常に遠ざけておきたかった。