アギスからの申し出で昼からの協議は見送られ、一度煌帝国は煌帝国で、トゥーボー王国は王国側で話し合ってから再び協議を行うことになった。ただしその翌日には歓迎の意も含めた狩猟が催されており、やジュダルもついて行くこととなった。
とはいえ、馬に乗れない二人は竪琴を弾いたし、野遊びをして幼い王太子ソロンや女官とともに狩猟の成果を待つこととなった。
「はいー!」
小さな手にめいっぱい花を抱えて、それをとジュダルの方へと持ってくる。
どうやらとジュダルは随分この幼い王太子に気に入られたらしい。女官の話では結構人見知りだと言うことだったが、せっせと足が悪いので座ったままのに花を持ってきたり、ジュダルと追いかけっこをしたりしている。
煌帝国の元皇女であり、現在のトゥーボー王国の王妃雪雁(せつがん)は乗馬が相当うまいらしく、子供を女官に託し、狩猟の方へと随行している。彼女もまたホストであるため、当然のことであろう。当然紅覇も王であるアギスとともについて行った。
ともに食事をしてから、紅覇とアギスはよくふたりで話し込んでいる。
には政治のことはわからないが、少なくとも二人の関係はうまくいっているようだ。王族同士、色々と悩むところもあるのだろう。どちらにしても、それで友好的な関係が生み出されれば良いと思う。
「美味しい。」
は近くの器に盛られた桃を口に入れる。
山中から少し離れたこのあたりでは、十分に桃や苺、葡萄などが多く採れる。山が多いので大量生産は出来ないが、それでもとれる物品の種類自体は多いようだ。敷布に置かれた皿の上には他にも梨や林檎、杏やクルミも並べられていた。
「おい、こら、あんまり離れるんじゃねぇよ。」
ジュダルが少し離れていこうとしていた幼いソロンを捕まえる。ソロンは褐色の髪を振り乱し、歓声を上げて手から逃れようとした。
ジュダルはちょろちょろ動くソロンが気になるのか、目を離さない。むしろ女官たちの方がソロンに巻かれることが多いようで、随分と困っていた。子供にとってみれば、女官をまくのも楽しい遊びなのだろう。
「ジュダル、面倒見良いなぁ。」
は少し感心しながら、別の敷布に座っている煌帝国の文官に視線を向けた。
居残り組には煌帝国の文官もいる。国王と紅覇の親交が深まるのと対称的に、彼らはトゥーボー王国の野蛮な食事と風習には親しめないと、馬に乗れるにもかかわらず、狩猟には行かなかった。食事もあわないらしく、野蛮だと口々に聞こえるように言うため、トゥーボー王国の文官と折り合いが悪いようだった。
煌帝国の文官たちが、意味がわからないであろうと、詩を吟じる。
「吾が家、我を嫁す、天の一方に遠く異国の烏孫王(うそんおう)に託す 、穹廬(きゅうろ)を室と為(な)し、氈(せん)を牆(かべ)と為す、肉を以って食(し)と為し、酪を漿と為す、居常(きょじょう)に土(くに)を思うて心、内に傷む、願わくは黄鵠(こうこく)と為って故郷に還らん」
広い天幕を家にし、つり下げる毛氈(もうせん)を壁としている。獣肉を常に食し、馬乳を飲む。この地で漢を思っていると悲しい。願うことなら鶴となって故郷に帰りたい。それはかつて煌帝国の前にあった、漢の公主が蛮族に嫁いだ際、民衆が読んだ詩である。
だが、トゥーボー王国を蛮族とするその詩を読むのは非常に無礼だ。
トゥーボー王国側の文官も、女官も酷く渋い面持ちで、敵意を向ける者もいる。煌帝国の皇女が嫁いだこともあり、当然だが、漢詩を読める者も多い。あまりに浅慮な行動に、はジュダルの方に視線をやる。
敵意、憎悪。嫌悪。見下すようなその視線は、居心地が悪い。ソロンは大人たちの雰囲気に気づいたのか、不安そうにジュダルに抱きついている。ジュダルは「うぜぇな。」と一言呟いて、足下のソロンを抱き上げると、の隣に戻ってきた。
「、」
ジュダルがの持つ竪琴を軽く叩く。は少し考え込んで彼の緋色の瞳を見上げたが、竪琴の弦を指で弾く。
途端に張り詰めた空気の中に柔らかな音が響いた。
煌帝国とトゥーボー王国、どちらもの視線がに集まる。それに答えるようには白く細い指で軽やかな旋律を流れるようによどみなく奏でる。
「余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと、笑って答へず心自から閑なり、桃花流水杳然として去る、別に天地の人間に非ざる有り」
俗人は私に尋ねる。どうして碧山に住むのかと。わたしは笑って答えない。心の中は自ら静かである。桃の花が流れる見ずに落ちて遥か遠くまで去って行く、ここにこそ俗世間とは異なった、別世界があるのだからと。
ここが豊かな別世界であるとは高らかに、柔らかい声音で謳う。そしてそれは秘密にされており、皆知らぬのだ。
儚げに揺れる旋律が消えると、視線を向けている人々にはその穏やかな微笑を向ける。
「これ、美味しいよ。」
手には桃。煌帝国でも有名なそれを使ったのは、煌帝国と変わらないことを示す意味もある。また桃源郷などで表される理想郷を想像させるものだった。
一瞬、先ほどトゥーボー王国を侮辱するような詩を口にした文官も、怒りを示していたトゥーボー王国の者たちも旋律がなくなったことすらも気づいていないかのように呆然としていたが、文官は言外に非難されたとわかったのだろう。すぐに真っ青になった。
がそれを確認してからジュダルを見ると、抱いていたソロンを下ろし、ジュダルが杖をくるくる回して笑う。
「俺はあんま政治に興味ねぇけどな。紅覇の方針は、方針だぜ。文句は紅炎に言えよ。」
今回の訪問団の代表者を決めたのは紅炎だ。紅覇の方針は、同時に紅炎の方針でもある。それに逆らうというのがどういうことか、煌帝国側の文官たちもまず理解すべきだ。
静まりかえったのを完全に無視して、ジュダルは敷布に座る。既に敷布に腰を下ろしていたは手に持った桃を剥くことにした。
凍り付いていた人々が恐る恐る、ゆっくりと動き始める。
「こわーね。」
ソロンがジュダルの膝に乗って、幼いながらもそう口にする。
幼いとはいえ、来客で城が騒がしさを感じているらしい。テンションが上がるのか寝つきも悪くなり、夜中でも歩き回るのだと女官は酷く困っていた。父母である国王と王妃も忙しいので、息子にばかり構っていられない。
そのため、ここ数日、ソロンはジュダルとの元に遊びに来てばかりいる。とジュダルは政治と一線を画しており、実務者協議に出る必要もなく、いつもだいたい暇をしているからだ。女官たちもとジュダルの元にソロンがいるのを知ると安心するのか、置いていくこともあった。
幼い王太子に護衛すら付けず、他国の人間の元に置いていくなど、それはそれで問題なのだが、別段疎ましいと思わないので、良いことになってしまっていた。
も子供嫌いでないため、軽くソロンの頭を撫でてやる。ただ少し恥ずかしかったのか、歓声を上げて敷布を出て、木陰の方へと逃げていった。
「あんま、」
離れんなよ、とジュダルが言おうとした途端、きらりとなにかが光る。だが、ジュダルの声が間違いなくソロンを救った。ジュダルの声にぴたっと動きを止めたソロンの体の前を、矢が通り過ぎ、そのまま音を立てて木の幹に矢が突き刺さる。
「え、」
も一瞬理解出来ず、翡翠の瞳を丸くしたまま幼子を凝視する。だが、不意打ちとは言え、戦いに慣れているジュダルの対応は早かった。2本目の矢を自分の魔法によってたたき落とし、矢が飛んできた方を見据えた。
「そこにいるやつを捕らえろ!!」
ジュダルの怒鳴り声に、見ていなかった護衛の兵士たちが、慌ててジュダルの示した方向へと駆けていく。
「おっせぇな。」
ジュダルは舌打ちをした。
矢が飛んできた方向は鬱蒼とした森で、ぱっと見誰かがいるようには見えない。隠れるのも逃げるのも簡単であろう。衛兵が何も見ていなかったため、犯人を捕らえるのは難しそうだった。
呆然としていたソロンが、やっと自分の身に起こったことを理解したのだろう。甲高い泣き声を上げ、駆け寄ったジュダルの足にしがみつく。
「仕方ねぇな。」
ジュダルは面倒くさそうに眉を寄せたが、抱き上げ、ソロンの縋り付くままに任せた。
「おけがは!?」
女官や衛兵が集まり、口々にやジュダル、そしてソロンに尋ねる。はその光景を見ながら、大事になりそうだと思った。
暗殺未遂