アギスたちが王太子の暗殺未遂の知らせを受け、狩猟を中止して城に戻った時、狙われた息子のソロンはとジュダルにしがみついて、離れなくなっていた。



「帰ってきてから、ずっとこんな感じかな。」





 敷布に座ったまま、腰にソロンをしがみつかせたが、翡翠の瞳でアギスを見上げる。



「ソロン、お部屋に帰ろう。」



 王妃で、母でもある雪雁が手を伸ばすが、ソロンは首を横に振るばかりで動かない。背中を軽く叩いて促しても、ますますしがみつく力を強くするだけである。



「わたしがトイレに行く時、ジュダルなら交代できるよ?」



 ソロンの小さな背中を撫でながらが言うので、アギスは腕を組み、大きなため息をついてしまった。

 女官の話では、アギスたちが忙しくしている間、ソロンはどうやらとジュダルの部屋を頻繁に訪れていたらしい。確かに皇女であると神官であるジュダルは政治と一線を画した存在であり、常に部屋にいただろう。

 女官や衛兵たちは忙しいこともあり、ソロンが二人の傍にいれば安全だと考え、専門の護衛官などを別の部署に廻していたようだ。今回煌帝国の訪問団がやってきたのは首都ではなく、地方都市であるため、人員不足だったらしい。

 国王であるアギスもそのことは理解していたが、アギスが考えていたよりもずっと深刻だったようだ。



とジュダル君ってぇ、子供に大人気だねぇ。」



 紅覇はのんびりとした、高い声音でそう言ってみせたが、ことの重大さはよくわかっているだろう。

 アギスの目から見て、煌帝国の第三皇子紅覇は若くはあるが、自分の不足を冷静に見ている、賢い人物だった。軽い調子からは想像できないほど思慮深く、頭の回転も速い。そのため、王太子が襲われたと言うことを聞いてすぐに狩猟をやめ、引き返すことを決断した。

 この時期の王太子の暗殺は、両国にとって暗雲となる。

 トゥーボー王国と煌帝国が友好的な関係を築くことに反対する者にとって、生母が煌帝国の皇族である王太子ソロンは疎ましい存在だ。トゥーボー王国側にも元々、煌帝国に対して不信感を持つ者も多いし、煌帝国にとっても10年前襲ってきた敵である。

 要するに、暗殺を企てた人間が、どちらの国の人間であってもおかしくはない。紅覇の判断は当然であり、同時に彼は狩猟という自分の享楽より自分の国の利益の方を優先したのだ。

 その点で、紅覇は少なくとも信用に足る人物であることがアギスにもよくわかった。



「ジュダル様が矢を打ち落としてくださったのです。」



 女官が泣きはらした目のままに言う。きちんとソロンのことを見ていなかった女官の態度にアギスはげんなりしたが、の隣にいるジュダルに目を向けた。アギスがやってきたため、立ち上がっているジュダルもまた、存外面倒見が良く、ソロンのことを見てくれていたらしい。



「すまなかったな。本当に助かった。」



 アギスが言うと、ジュダルは「別に難しいことじゃねぇし、」と視線をそらした。

 だが王太子が襲われた時、女官や衛兵は全くソロンを見ていなかったというから、彼がいなければ間違いなくソロンは死んでいただろう。ジュダルは少し考えるそぶりを見せてから、を見下ろす。




、おまえちょっとそいつ見てろよ。」

「え、うん。良いかな。」



 はこくんと頷く。それを確認してから、ジュダルに促される形でアギスと紅覇は部屋を出て控えの間に入った。

 控えの間は客人を迎えられるようにそれなりの広さがあり、小声で話せば隣の部屋には聞こえない。どうやらジュダルは王太子の暗殺未遂の詳しい状況を、ソロン本人に聞かれたくなかったらしい。それを確認してから、ジュダルはアギスにことの顛末を語ろうとしたが、突然言葉を途切れさせた。



「敬語、もう良い?」



 煌帝国でも最高位の神官であり、第三皇子紅覇に対しても敬語を使わないジュダルは、敬語が随分と苦手らしい。口を開けたり閉めたりして言葉を探していたが、話を進めるのが難しいのか、額に手を当てて尋ねてくる。



「構わんぞ。」



 アギスが許可すると、ジュダルはやっとたどたどしくではなく、さらさらと王太子暗殺の状況を話し出した。

 衛兵や女官からアギスも報告は受けていたが、ジュダル曰く彼らはほとんど実際には見ておらず、矢を射た男を確認したのもジュダルとだけであった。そのため、衛兵に追わせようとしたが、何も見ていない衛兵に男が矢をいた位置や逃げた場所の可能性を想定させるのは不可能であったという。



「・・・俺たちが杜撰だったと言うことだな。」



 アギスとしてはその結論以外にあり得なかった。

 煌帝国からの訪問者が多数来ている中で、衛兵が訪問団の中でも五指に入る要人であるジュダルとすらも見ていない。それは護衛の面で考えられないことだ。ふたりが魔導士でなければ、二人の身も危ない。




「んなことどうでも良いし、ソロンのやつ、預かっても良いけど、王妃もじゃねぇの?」



 ジュダルが言うことは、最もだった。

 極端な話、王太子は死んでしまっても、幼児死亡率はそもそも高い時代だ。煌帝国出身の王妃さえいればまた子供を作ることは可能であり、子供が複数いるのが当然だった。まだ一人目だが、数年もすれば他にも子供は生まれるだろう。

 だが、王妃が殺されてしまえば話は変わってくる。




「逆に王妃が狙われてねぇなら、犯人は煌帝国のヤツだろ。」





 仮に王妃が狙われていないなら、王太子を狙った人物は間違いなく煌帝国の人間だ。

 煌帝国において、トゥーボー王国に攻められ、賠償金の代わりのように嫁がされた皇女は、悲劇の象徴である。そして同時に彼女は同胞であり、積極的に殺そうとはしないだろう。ましてや現在滞在している煌帝国の訪問団の代表者は第三皇子の紅覇である。同じ皇族出身の王妃に気概を区が得ることは許されない。

 しかし、王太子は違う。王太子はトゥーボー王国の国王と、煌帝国出身の王妃との間に生まれた、友好の象徴である。ただし混血児であるため、煌帝国の人間たちにとって殺しても問題ない存在だ。



「でもぉ、ジュダル君たちも危なくない?だってはあんまり強くないでしょ?」



 ソロンを預かっても良いと言ったジュダルに、紅覇が眉を寄せる。

 紅覇にとって、第一は煌帝国の皇族であると神官ジュダルの安全だ。特にはヴァイス王国の首席魔導士でもあり、その死は領有問題に大きく関わってくる。



「だから、おまえ、アルスラン使うのやめろ。かわりにヒューリャ持ってけ。あいつとまったく合わねぇんだよ。」



 とジュダルの武官であるアルスランは、怪力で知られるファナリスだ。しかしトゥーボー王国に来てから、アルスランは友好関係のある紅覇と行動することが増えていた。代わりに身分が高い女官で、同じく魔導士のヒューリャがの元に残っていた。



「やっぱ、ヒューリャは駄目なのぉ?」



 紅覇も、実際何となくはわかっていた。

 は声高に主張するタイプではないため、誰とでも仲良くなる。なのに、なぜだかわからないが、とヒューリャは決定的に合わないようだった。



「全然ダメだって。すぐ下がらせやがる。あとのこと全部俺がやるんだぜ?」



 ヒューリャは元々皇后玉艶の女官であり、今回皇后からのすすめでついた女官だ。魔導士としての実力、教養、そのすべてが問題ないのだが、主とあわないというのが決定的である。そのため、の出方によっては彼女を煌帝国に帰すことになりそうだった。

 ジュダルとしては彼女がアル・サーメンの魔導士であると知っているため、歓迎すべき所だ。




「アルスランと俺がいりゃ、武力的には金属器くらい持ってこねぇ限り、どうにでもなる。」


 やはり武力という点ではアルスランが一番だ。魔導士であり、肉体的には劣るジュダルの欠点をまさに埋める存在である。もちろんソロンを守れると完全に確約できるわけではないが、信用できない衛兵を付けるよりは安全だろう。



「それが、安全だろうな。本当にすまん。」



 アギスとしても、ジュダルとの元が息子にとって一番安全で、助けてもらったこともあり安心であることは理解している。だがあくまでとジュダルは煌帝国の要人であり、それを口に出来る立場でないことも承知していた。

 アギスが謝罪し、言外に息子を預かって欲しいと願うと、ジュダルは少し戸惑いながらも、大きく頷いた。







暗殺未遂