「結局、夜以外は預かるんだってね。可愛いからいいかな。」




 は、ジュダルとアギスの話し合いの顛末を知らせると、あっさりとそう答えた。



は、いいわけぇ?ヒューリャはいなくなるし、アルスランは戻ってくるけど、騒がしくなるよぉ?向こうの女官が来ると思うしぃ」



 紅覇が尋ねる。


 トゥーボー王国の王太子を預かると言うことになれば、トゥーボー王国側の女官も部屋に出入りすることになる。護衛としてアルスランがいるとはいえ、疎ましくないのかと紅覇は尋ねたが、はよくわからないので首を傾げる。

 が他人を疎ましく思うことは、基本的にあまりない。




「子供は、好きかな。別に、トゥーボー王国の女官は、いい人が多いと思うよ。」





 は長椅子に横向きに座ったまま、後ろの紅覇の様子を窺う。紅覇はの長い銀色の髪を櫛で梳きながら、「ふぅん」と興味があるのかないのかわからないような返事をした。



「そのようなことは、私たちが、」



 魔導士で、女官でもある従者たちが紅覇に言う。

 本来であれば第二皇女とは言え、他人の髪の毛を梳いてやるなど、第三皇子のすることではない。だが、紅覇は首を横に振った。



「良いんだよぉ。好きでやってることだしぃ?濡れ鼠はちょっとぉ。」



 ジュダルがどうやら煌帝国からついてきた神官に呼ばれたため、は女官のヒューリャによって風呂に入れられた訳だが、髪も乾かさぬうちに、追い出してしまったのだ。そのため紅覇が遊びに行った時、は湯浴みをした後髪を乾かすこともせず、濡れ鼠の状態で、長椅子にいた。

 紅覇の女官である三人の魔導士、仁々、純々、麗々も真っ青である。



「そもそもさぁ、なんで濡れ鼠だったのぉ?」

「ヒューリャが、魔法で乾かすとか言うから、良いって言ったかな。」



 は紅覇に背を向け、肘掛けに頬杖をついたまま、僅かに首を傾げる。

 先日から、彼女にはヒューリャという名の魔導士である女官が皇后によって付けられた。ただとその女官との関係はあまりうまくいっていないように紅覇の目からも見て取れた。

 元は皇后付きの女官であったこともあり、ヒューリャは非常に優秀だ。芸事に通じ、教養もある。頭も良い。そしての細かいことにも目を配っていると思うし、が過ごしやすいように、彼女の趣味を把握しようとはしているようだ。

 しかし、あらゆることを魔法でしようとするヒューリャと、魔法を用いないとでは考えの違いが如実で、さらに芸事に関しては、芸妓として生きていたの方が数段上だ。そのためなにかが合致しない。声高にが誰かを罵ることはないが、すぐに部屋から追い出してしまうことが多かった。



、ヒューリャ嫌い?」



 紅覇は綺麗な銀色の髪に赤い櫛を通しながら、尋ねる。さらさらと細い銀色の髪は、素直に赤い櫛の間をまっすぐ通っていく。



「んー、あんまり好きくない。かな。」



 が人間の好き嫌いをはっきり見せるのは、実に珍しいことだった。なぜなら養父を殺したであろうヴァイス王国の国王に対しても話し合いを望んだし、「好きではない」と口にしたことはなかった。



「どうしてぇ?」

「わたしを心配しているのは本当だと思うかな・・・、でも、んー、魔法は万能じゃないし、わたしはこうやって、髪を梳いてもらったり、あったかいのが好きかな。」



 ヒューリャが自分を心配しているというのはもわかっている。のためになることを行うのが女官だ。その気持ちに恐らく嘘はない。だが、が求めているのは便利さではなく、人の温もり。それが、ヒューリャにはわからないのかも知れない。



「ジュダルもよくしてくれるしね。」




 だいたいジュダルがいる時はともに風呂に入って、二人とも長い髪を梳いて、そうやって一緒に同じことをするのは当たり前だがとても楽しいし、一緒だと心から感じることが出来る。それを魔法で補おうとは思わないし、思えない。

 その時間自体が、かけがえないのだ。




「じゃ、こうやってる時間も大切って訳だねぇ。」




 紅覇はにっこりと笑って、もうだいぶ乾いてきた長い髪を緩く大きなリボンでまとめる。



「うん。そうだね!」



 は満面の笑みで返して、向き直った。



「ありがとう。頭の後ろに手が届かないから助かったよ。」

「普通、届くよぉ?」

「あれ、本当?あれれ、届く。」



 自分の頭の後ろに手を伸ばし、彼女は首を傾げる。ただもちろん、後ろは見えないから彼女が後頭部を見ることは出来ないのだが。



はこの国をどう思う?」



 紅覇は素直にに尋ねる。

 トゥーボー王国の国王であるアギスは国王として非常に優秀で、国民のこともよく考えている。ただ国はそれほど豊かではなく、国土も山に囲まれており、整備は非常に難しい。煌帝国が昔からこの国を蛮族とするのは、そこに理由があるのだろう。



「・・・んー、別に?煌帝国と変わらないけど。」



 には意味がわからなかったのか、不思議そうに首を傾げる。



「どうして、変わらないのぉ?」

「だって、人が住んでるし。」

「・・・ぶっ、」





 紅覇は何とか笑いを堪えたが、後ろで控えていた紅覇の女官三人組の内、純々の方が吹き出してしまった。だが、は真顔だ。



「煌帝国も、ヴァイス王国もみんな人が住んでて、頑張ろうってしてるでしょう?トゥーボー王国も同じだし、何も変わらないかな。」

「でも蛮族だって、言われてる国だよぉ?」

「ばんぞ?」

「文化のない、馬鹿なやつらってことさぁ。」



 それが一般的なトゥーボー王国に対する、煌帝国の評価だ。

 技術力に劣る、野蛮な国。文化のない国。暴力だけで義理や人情のない、理性のない国。だが、その理性とは何なのか。国が他の国を下に見る要素は一体何なのか。一般と、自分の考え。この旅は、紅覇にとってもこれから王として、自分がどういう王であるべきか、改めて考えるためのものでもあった。



「文化って、誰が決めたのかな。食べ物みたいなものだよ。その国とかで違うかな。」



 は近くの皿に盛られていた干し肉を口の中へと運ぶ。

 保存食は、国によって形態が違う。このあたりは冬が冷たく、乾燥しているため干し肉にして保存する。ヴァイス王国は腸詰めにして、燻製にする。煌帝国は広いので場所によって違うが、もともと農作物が豊かであるため、保存食にすること自体が少ない。

 そんなふうに場所や気候にあわせて文化も変わる。多分それだけの話だ。




「それが上とか下とかは、違うと思う。」



 の基準は、非常に公平な意見だった。

 確かには今こそ煌帝国の第二皇女であり、ヴァイス王国の首席魔導士だが、もともと辺境で育っており、芸妓だった。彼女の意見に偏見はない。本当にただ単にそう感じたのだろう。





は、ちょっと違うよねぇ。」




 紅覇は目の前の、一応姉と言うことになった少女を眺める。

 の意見は非常に面白い。彼女は少なくとも人と人とを円滑に繋ぐ。

 彼女が昼ご飯をアギスや紅覇とともに食べることをもとめ、実際に直接国王であるアギスと話したことによって、少なくとも紅覇は彼が何を考え、何を煌帝国に求めているかを知った。もちろん煌帝国にとって応えられないこともたくさんあるが、応えられることも多い。

 自分と相手の出来ること、出来ないこと、望むこと、望まないこと、それをきちんと把握することが、相手の理解に繋がるのだ。




「そう?おなじ。みんな人だよ。」



 身分が高くても、権力があっても、例え強大な力を持つ誰かだったとしても、にとって目の前の人間は人に変わりない。それは紅覇に対しても、奴隷に対しても同じだろう。



「人、かぁ。」




 上に立てば立つほど忘れてしまう。自分が特別な気がして、命令してしまう。でも、違う。自分も命令される側の人間たちと同じ、「人」に過ぎない。

 には、それを忘れさせない力がある。

 紅炎が自分の傍にを置いておきたいのは、彼女は王であり、特別故に彼らが捨ててしまうものを、拾い上げる気もなく、当たり前のように捉えるからだ。そしてそのことによって、自分が本来はちっぽけなひとりの「人」であると再認識することが出来る。




「おごるなってことなのかなぁ。」




 まだまだ、紅覇に紅炎の意図がすべて理解出来るわけではない。だが年の離れた兄たちが、とともに世界を見てこいと言った理由を、紅覇は何となく理解し始めていた。