初めての海外は不思議な物でいっぱいだった。

 一緒に来た岩倉使節団の人達も戸惑っていたが、何より戸惑っていたのは幼いだった。民族衣装
である着物を着ている人もいるので目立つのはそうだが、幼く鮮やかな緋色の着物を着ているに、
自然と視線が集まる。手に抱きしめているのは日本から持ってきた日本人形だ。幼いから、と言うより
も、その人形とそっくりの容姿をしているが気になるのだろう。

 皆の目が怖くて菊にしがみつくと、菊が頭を撫でてくれた。





「大丈夫ですよ。一緒に居ますからね。」





 そう言う彼の顔もやはり不安そうだ。誰もが初めてで、誰もが安全を保証できない。これから国同士
の会談に臨むのだが、他国と会う機会はほとんどなく、ましてや他国で会うなんて考えたこともなかっ
た。

 菊はきちんと洋装を着込んでいる。対して幼いにはそこまで何も望まれていなかった。扉が門塀
によって開かれる。中には髪の毛も目の色も同じで、背の高い人々がたくさんいて、はそれを見た
途端すぐに菊の後ろに隠れた。


 菊は引っ込み思案のに困った顔をする。





「あれ、ちっこいのがいた。」





 そんなの様子を目の端に捉えて、言い出したのは短い銀髪の男だった。





「え、嘘。見間違えじゃないのー?」





 丸めがねの男が言ったが、彼には核心があったらしい。興味なさそうに腕組みをしていたが、菊に歩
み寄ってくる。そして後ろにいるを引っ張り出そうとする。は一生懸命菊に掴まってどうにか
菊と離されるのはだけは阻止した。





「ほら、いんじゃん。ちっこいの。」






 男はにっと笑ってを離した。菊は安心させるようにの頭を撫でる。男は泣きそうなの様子
なんて気にすることなく、に目線を合わせるべく膝をついた。





「初めましてちびっこ。俺はプロイセンだ。名前はギルベルトだ。」



 手をさしのべられる。握手って言うのだと知ったのは菊に言われたついこの間だ。菊よりずっと大
きな手に、自分の手を恐る恐るのせると、ぎゅっと握られた。





「よろしくな。」

「えー、プロイセン。どっちが国なんだっけ?」





 丸めがねの男が菊とを見て首を傾げる。





「どっちもじゃねぇの?」





 ギルベルトは首を傾げてぐしゃぐしゃと豪快にの頭を撫でる。髪の毛がぼさぼさになったが、悪
い気はしない人だ。





「あぁ、そっちのでかい方だよ。」





 後ろから出てきた金色の髪の男が菊の方を指さして言う。見覚えのある人だった。前にを可愛い
と言って帰った、確か。





「お久しぶりです。イギリスさん。確かアーサーさんでしたよね。」





 菊がぺこりと頭を下げて礼儀正しく言う。菊にくっついたままも釣られて頭を下げた。





「あぁ、久しぶりだな。日本。」

「えー、知り合いなの?」

「あぁ、ちゃんと一応挨拶に行ったからな。ってかおまえ、挨拶に行かなかったのか。」





 呆れたように丸めがねの男に言った。 





「えー、いや。行ったけど。日本、久しぶりだな。よーろしく!」





 菊に突然抱きつき、突然身を離したかと思うと握手を求めると言うよりも勝手に手をひっつかんでぶ
んぶんと振る。フレンドリーな態度に菊は呆然だ。





「否、慣れてないんだから可哀想だろ。」

「駄目だよ。アメリカ。女性には丁寧にね。」





 長い金髪の大きな男がにこりと笑って、菊の手に口付けた。どうして赤い花を持っているんだろうと
が首を傾げていると、ギルベルトと名乗ったプロイセンと目があった。





「あー、あいつはフランシス。フランスだ。フランス。今は良いけどもっと大きくなったらたらしだか
ら近づくなよ。」





 彼の言う英語は難しすぎて、一部分しか分からなかったが、それよりも不思議なことがあった。





「・・・・・きく、ちがう。」





 ぽそりとは拙い英語を話す。





「は?」

「なんだ、」





 ギルベルトは首を傾げ、それを聞いたアーサーはに聞き返す。英語を習って少ししかたっていな
いから間違ってしまったのかも知れないと思いながら、首を横に振る。





「おんな、きく、ちがう。」




 言うと、ちゃんと通じたのか、通じていないのか、ふたりとも硬直して同時に菊の方を振り向いた。
それからもう一度の方を見た。





「違うのか。」

「ちがう。はおんな、きく、おとこ。」





 わかりにくい英語をしているようなのでわかりやすいように指で自分と彼を示しながら、説明すると
ふたりともきちんと理解してくれたようだ。





「フランス。そいつは男だぞ。」





 アーサーはにやにや笑いながらフランシスに言う。なんでそんな嫌がらせみたいな顔をしているのだ
ろうと思っていると、ギルベルトがの頭を撫でた。



「あいつらは犬猿の仲なんだよ。見ててみろ。今に喧嘩をおっぱじめるぞ。」

「きらい?」

「そこそこかな。ま。俺はフランスには滅茶苦茶嫌われてるけどな。」





 ギルベルトは両手を天にかざしていった。





「どうして?」

「おまえ、マジでちびだな。普仏戦争の話、聞いてないのか。」

「せん、そう?」

「おまえ、戦争をしらねぇのか?」





 ギルベルトが目を見張って言うから、はこくりと頷いた。





「しらない、わたし、こうたいしたから。」

「は?おまえ国か?」

「うぅん。むかしからのかみさま。きく、くに。わたし、こころ。でも、このあいだ、こうたい。」





 昔々、中国が攻めてきたことがあったと、朝鮮を日本が攻めたことがあったと祖母が話してくれたこ
とがあるが、それはずっと昔のこと。本当にが生まれていない頃の話だ。が生まれた時にはも
う国交はほとんど開かれていなかった。





「交代、な。」





 ギルベルトが僅かにその緋色の綺麗な瞳に愁いを含ませて、またの頭を撫でた。





「強くなれよ。」

「つよく?」

「あぁ、俺の国も若いが、すぐにフランスに勝てるくらい強くなった。頑張れば、おまえらにもきっと
出来るさ。」





 励ましてくれているのにしては、凄い自信のある言葉だった。今は菊以外の人は怖くて仕方が無いが
、彼に言われるといつか強くなれる気がする。





「つよく、どうする?」

「軍制だな。まず。あとは政策だ。」

「わからない。」

「まだちっこいからな。まぁ、賢くなれよ。わからないことがあったら聞けば教えてやるさ。」





 馬鹿にするように、けれど応援するように彼は笑った。





「きく、」





 ははっきりと兄の名前を呼ぶ。談笑していた菊は小首を傾げて笑う。





「どうしました?」

「ぷー、ぐんせい、つよいのつよいって、」





 菊はの言ったことが分からなかったようだが、ギルベルトを見て納得したような表情になった。





「丁度良かった。フランス式の軍制を取り入れようかと思っていたんですが、ドイツ式にしようと思っ
ていたんです。詳しく教えてくださると有り難いですね。」

「え、は?あぁ、」





 仲間はずれにされがちのギルベルトは人当たりの柔らかい菊に話の主導権を奪われたように素直に頷
いた。



  無垢であり無知である