国際会議に時間にはぴったりだが他国より遅れてきた日本こと菊は会議の後、腕を組んだまま何か物
思いにふけっていた。




「どうしたんだーい。日本。」





 隣にいたアメリカ、ことアルフレッドが菊の肩をばんばんと叩く。






「悩み事かい。そうだんにのるぞ!」

「はぁ・・・・」






 そのノリについていけないのか菊は少しいやそうな顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻った。





「どうしたんだ?日本。ストレスには気をつけろよ。いつか胃に穴開くぞ。」






 イギリスことアーサーが言うと、菊はじっとアーサーの顔を見上げた。くるりとした黒目がちの漆黒
の瞳はと同じだ。兄のせいなのか、菊とはよく似ている。特に菊が中性的な顔立ちをしている
のもあって、背を小さくして髪を長くすれば見分けがつきそうになかった。






「な、なんだよ。」





 どきりとしてアーサーが言うと、菊はため息をつく。






をどうしようかと思いまして、」

「どうしようかって?」





 アーサーは先ほどの手紙を思い出す。菊に渡した手紙を、菊はさらりとしか目を通さなかった。通し
て次の瞬間大きなため息をついていた。笑い出したギルベルトとは対照的で、何が書いてあるのかとア
ーサーが気になるほどの速さで、菊は読むのをやめたのだ。






ちゃんって、あの使節団の時にいた小さくてかわいい子?」






 長髪の男が楽しそうに笑って尋ねる。





「ちっ、てめぇフランス!出てくんじゃねぇよ!!この歩く18禁!!」

「だってー、ひでぇじゃん。おまえがあずかってるんだろー。俺にくれよー。」





 フランシスはアーサーの暴言も全く効かず、菊に言う。

 相変わらず子供だろうが男だろうが大人だろうがひとまず人間好きの男だ。にももともと興味は
あったのだろう。まぁ性的な意味でだが。


 言われた菊は額を抑えて眉間に深いしわを刻む。






がどうしたんだよ。」





 アーサーは腰に手を当てる。





「日清戦争が終わり次第、を日本に戻そうと思うんです。」





 手を組んで、困ったように菊は言った。





「は?」






 驚いたのはアーサーだ。政治的な意味も含めて、をもらいうけた身としては、その判断は納得が
いかない。






「なんでだよ。」






 睨みつけるように言う。菊はアーサーの翡翠の瞳を見てから、「わかりませんか?」と逆に尋ねてき
た。






「あの子のほうがいつかストレスで胃に穴開けますよ。」






 菊の見解に、アーサーも反論が出なかった。彼女はものを言わない割にこたえているところがある。
だからアーサーに言わなくても悩んでいるというのは、ギルベルトへの手紙を見るとわかった。

 ならなんで言わない。

 アーサーはそれに対して苛立ちを覚えた。言ってくれたらわかることもある。なのになぜ彼女は全く
言わないのだ。それは現状を認めるのと同じことだ。なのに、つらいだの寂しいだの帰りたいだの、こ
ちらにチャンスを与えてくれないのに、どうしろというのだ。

 アーサーは一気に不機嫌になったが、菊もそれは感じていたらしい、






「すみませんね。」

「一応政治的な意味も含む友好の証だろ。簡単に、帰せって言われてもな。」





 言ってしまえばは人質でもある。そしてイギリス自体も、日本と手を組みたいと思っているため
に、日清戦争後に今一番イギリスが疎ましく思っているロシアと日本が手を組まないように、を保
険として確保しているのだ。

 政治的な意図がある限り、簡単に帰すわけにはいかない。






「だったら、別にほかの国に協力を求めりゃいい。だろ?」






 話を椅子に座ったままふんぞり返って聞いていたドイツのギルベルトがにやりと笑う。アーサーは疎
ましさに眉を跳ね上げたが、ギルベルトが恐れる風はなかった。は国そのものではなく、思想や心
だ。確かに心を奪われるのは恐ろしいことだ。それは菊とてわかっている。菊がをヨーロッパに置
く理由は、日清戦争で彼女を傷つけないためだ。

 日本は近代に入って初めての対外戦争を今行っている。それで彼女を傷つけないためにヨーロッパに
おいているのであって、傷つけるのであればイギリスに置かずともよいし、日本においても同じだ。





「アーサーさん。あなたが悪いと言っているわけではないんです。たぶん、悪いのはあの子だと思いま
す。本当に何も言わない子ですから。」





 菊だって、の性格は分かっている。ただそれを正すには菊にも勇気が足りない。に、そのま
までいてほしいのだ。何も知らず、何も言わず、黙って後ろをついてくる、幼い妹のままで。





「ま、俺はにもきちんと言って聞かせるべきだと思うけどな。」






 先ほど菊の味方をしたギルベルトが、現実的な見方を主張する。







「でも、あの子、海外どころか、ほとんど家からも出たことがなくて、まさか住むなんて、きっと不安
なんですよ。」

「あんなぁ、順応していかなきゃならねぇだろ?今まではひきこもりだったからそれで良いかもしんね
ぇけど、これからはどうせ関わっていかなけりゃならないんだぜ、」

「まだは子供なんです。」

「子供だったとして、後々苦労するよりゃ、いいだろうが、」






 菊とギルベルトはお互い相容れない考えをぶつける。

 前からそうだった。ギルベルトが日本に軍制の指南に言って菊の家に滞在したときも、こうやっても
めることは多かった。ギルベルトはを押し入れから乱暴に引きずり出すことも、叱ることも厭わな
い。

 たいして菊は何でも許す。仕方ない、自分にも不甲斐ないところがたくさんあるからと許してしまう
のだ。それがマイナスに働くこともある。






「えー、だったら、俺んちにきちゃいなよー。ちゃんだって喜ぶって。」

「論外ですね。」

「論外だぜ、ばっかじゃねぇの。よわっちいくせに。」





 フランシスの意見は菊とギルベルトによって一掃される。

 ギルベルトからしてみれば、この間普仏戦争で負けたのだから、フランスなど論外だろう。ちなみに
フランスはまだそのことを根に持っている。





「くそぅ、俺だって俺だってぇ、」





 ハンカチをかみしめて言ってみたが、アーサーとアルフレッドすら彼に見向きもしなかった。





「難しいことはわかんないけど、は帰りたいって言ってんの?」





 アルフレッドが不思議そうに尋ねる。






「私には言っていないんですが・・・無理してるのは丸わかりで・・・」

「あー、俺んとこに来た手紙には、遠まわしだが、日本に帰れる方法はないかって書いてあったぜ。」






 菊とギルベルトが答え、ギルベルトはアルフレッドにからの手紙を渡す。






「ふむふむ。理解出来たぞ。要するにアーサーが嫌いってことだな。わかったぞ。」

「なんでそうなんだよ!!」

「だって、プロイセン以下ってことだろ。ん?」





 アルフレッドはここぞとばかりにアーサーをいじめる。アーサーは机に突っ伏した。






「そんないじめなくてもよろしいのでは・・・・」

「駄目だぞ。日本。甘やかしは禁物だ。そしての話を聞かないとだめだぞ。当事者抜きで話すなん
てナンセンスだ。」





 アーサーを甘やかすことが禁物なのか、菊がを甘やかしていることが禁物なのか、曖昧ながら、
アルフレッドは真面目な意見を言う。




「それもそうだな。」






 ギルベルトも矛先を収め、かりかりと頭をかく。

 アルフレッドはが書いたという手紙を再び眺めていたが、くるりとギルベルトのほうを見た。





「ところで、これ、なんて書いてあるんだい?」

「何が理解できたんだおまえ!!」





 アルフレッドがドイツ語を読めるはずがなかった。













 
その優しさが 泣かされるぐらいずるいよ