士官が報告に来た話では、どうやら日清間の戦争の結果は、既に出ていたらしい。
「日本の兵力は24万、清朝が63万。しかし死者は日本が3分の一で圧勝ですね。」
士官は報告書片手に淡々と説明をする。菊がが気になるのに日本へとんぼ返りした原因は簡単で
講和条約のためだったのだ。勝敗は既に決定済み。なるほどとアーサーは思う。それは彼も出席しなけ
ればならないわけだ。
「近代的な軍備を身につけたという訳か、」
「そうですね。恐ろしい成長です。」
士官もそれに賛同する。この結果を受けて英国政府がどう出るか。の存在価値は高まるわけだ。
報告を聞いているアーサーの隣ではギルベルトからもらったというブルストを食べている。
イギリス大使館の料理人は幸か不幸かドイツ人で、マッシュポテトとブルストの組み合わせが気に入
ったらしい。イギリスよりも遙かに食が進んでいるから口に合うのだろう。
「勝ったんですか?」
アーサーが彼女を観察していると、目があって、はおずおずと尋ねた。母国のことだ、気になる
がまだ聞いていなかったらしい。
「あぁ、圧勝だそうだ。」
「やったぁ、良かった。」
嬉しそうに言う手を合わせて喜ぶ。
「これで戦争が終わりなんですね。良かった。」
「講和条約の内容は聞いたか?」
「え?勝ったんですよね?」
内容をまったく把握する気がないようだ。これで終わったと思っているらしい。国の戦争は勝敗だけ
が全てではない。講和条約の内容如何によって成功か失敗か、その成功がどの程度の質の物なのか、ま
た交渉能力なども分かるわけだが、そう言った細かい事象は彼女にとっては分からないことらしい。と
言うか考える必要性自体をまだ知らないのだろう。彼女をイギリスに置いていった菊の気持ちが少し分
かる。実際的な事象を彼女は何も知らないのだ。そしておそらく菊も知らないで欲しいと思っているの
だろう。
「此処だけの話、ロシアとドイツ、フランスが組んで三国干渉を始めて、日本の講和条約の邪魔をした
ようです。ロシアが主催者ではありますが、これには英国政府も誘われましたが参加せずです。ロシア
が拡大しつつあるので警戒をせねばと。」
士官がこっそりと耳打ちする。三国干渉は成功したのかとアーサーはため息をつく。
イギリスとアメリカは参加しなかったが、中国での権益を守るために日本の拡大を危惧したロシアが
主流になって、ドイツ、フランスを呼び込んで日清戦争の講和条約の内容を一部撤回させたのだ。
しかしこれによってロシアが拡大するのは非常にこちらとしても気分が悪い。
「困ったもんだな。」
アーサーはため息をつきながらも、を横目で見る。
政治的な会話に興味がないのは相変わらずなようだ。女らしいというか、口出ししないだけか。本心
はどこにあるのか。慮れと菊に言われたことを思い出して注意深く観察しては見たが、本当に興味がな
いようだった。
まぁ、アーサーにとっては日清戦争勝利と三国干渉は朗報と言えた。これで三国干渉に関わったドイ
ツが改めて日本と手を組むためにを取りに来ることはないだろうし、利害関係から、おそらく
やドイツ、フランスと組むことはしないだろう。徐々にロシアが中国での権益を獲得し、南下政策をア
ジア方面に拡大させるのならば、ぶつかるのは新興国日本帝国だ。そこに、イギリスが日本と手を組む
理由が生まれる。
「遅かれ早かれ、日本とは御仲良しか。」
アーサーは言いながら日本人とのつきあい方も学んだ方が良いのかも知れないとも思う。
「、」
「は、はい。」
もくもくとブルストを食べていたは顔を上げる。
ブルストとマッシュポテトの組み合わせが本当に気に入ったらしく、パンにマッシュポテトをつけて
食べている。イギリスにいるとき以上に食べているのもあって、アーサーが食べ終わった後もまだ食べ
ていた。気付かなかったが、彼女は食べるのが遅い。なのにイギリスにいたときはアーサーよりも早く
食事を終えていたと言うことは、まったく量を食べていなかったのだろう。
にはかなり長くイギリスにいてもらうことになりそうだ。そのためには彼女がイギリスにおいて
心地良く過ごせるようにしなければならない。もしも彼女が帰りたいと泣き叫ぶようなことがあれば、
上司から大目玉である。
「やっぱり、イギリスは嫌いか。」
アーサーは素直に尋ねる。直球な質問にはたじたじで、視線をそらす。だが根気強く待てば、照
宮はやっとの事で口を開いた。
「き、嫌いじゃ、ありません、市場、楽しいし、あの、えっと、ご飯は、その、でも、」
「でも、寂しいんだろ?」
「・・・・それは、あの、えっとひとり、ですから、」
はふっと淡く笑う。
アーサーの屋敷は広い割に人がいない。彼が国であるせいかも知れないが、人もおらず、アーサー自
体が遊びほうけてあまり帰って来ない。
菊はある意味家庭的な人だった。仕事が終われば遊ぶなんて事はせずにまっすぐ家に帰ってくる。照
宮はご飯を作って待っていればいい。昼寝をしてしまって夕ご飯を作り忘れれば、一緒に作るのだ。朝
食も2人ともきちんと起きるから、一緒に食べる。
にとってそれが世界の全てだったわけだけれど、文化だと言ってしまえばそれまでなのだ。規則
正しい生活が好ましいと言われるのも、家庭を大切にするのも、日本の文化で、イギリスの文化ではな
いのかも知れない。
「別に、寂しいってんなら、パーティー出ず帰ってくるぜ。」
アーサーはににっと笑う。
「俺みたいな独身男は遊びほうけるってのがセオリーだけど、別に帰ってきても構わねぇよ。おまえが
頼むならな。」
そもそも家に帰っても何もすることがなかったし、誰もいなかったので遊びほうけていたが、が
食事などを作ってくれるならば、帰っても良いかもしれない。
「え、ぁ、でも、それは、文化、ですし、わたしの、わがままです、から。」
は首を振る。
毎日夜会に出かけて遊びほうけるのも、文化なのだ。認めているからこそ、イギリスは自分に合わな
いと思う。だから帰りたい。
「じゃあ、一緒に来いよ。」
「え、?」
「文化なんだったら。だったら出てこいよ。」
文化があわないと彼女は言うが、文化と見ていながら合わせないのはずるい。それで逃げるのもずる
いから、せっかくだから、自分も参加すればいい。
「でも、わた、し、マナーも知り、ません、し、」
は思わず反射的に首を振る。外に出てたくさんの人と会うなんて、緊張するし、考えられない。
考えただけでも疲れそうだ。
「大丈夫だって。俺も一緒だからさ。」
な、とアーサーは優しく言う。
一緒が良いと言うのならば、一緒に出て行けばいい。屋敷に閉じこもっていても何も見ることは出来
ない。知ることは出来ないのだから、
「今度このベルリンで歓迎のパーティーがあるし、菊は帰ってしまったが、他の奴らはみんな来る。」
「・・・わた、し、白人じゃ、ないです、し、」
「関係ねぇよ。偉そうにしといたら良いのさ。」
「え、そんな・・・」
「これからおまえは必要とされるさ。」
アーサーははっきりと言う。講和条約が終わり次第、日英間の条約、もしくは同盟を目指した明確な
協議が徐々に始まるだろう。
は困ったように小首を傾げ、その話を考えていた。
姫君の憂鬱