の控え室は広間に続く廊下の一番手前にあった。
はそこに入って、備え付けてあるソファーに崩れるように座った。柔らかな背もたれが受け止めて
くれるのを、どこか他人事のように感じる。
『違うに決まってんだろ!そもそも、こっちはあいつを押しつけられたもどうぜ・・・!!』
アーサーの言葉は、どこか自身も分かっていたことで、けれど否定したかった言葉だった。本人か
ら言われてしまえば、認めざる得ない。
「押しつけられた、かぁ。」
は淡く笑って近くにあったクッションを抱きしめる。
政府に言われて、の面倒を嫌々見ていたのだから、そりゃさぞかしいやだっただろう。が何か
を言えば対応しなければならないし、はまだ子供で物知らずだ。上司からいろいろ言われたのかも知
れない。
市場に一緒に行って、少しだけ近くなれたかなと本当に少しだけ思ったけれど、勘違いだったのだ。
「帰りたいな、」
アーサーだって自分を疎ましく想っているのだから、賛成してくれないだろうか。国同士の話し合い
とはそう簡単にはいかないのだろうか。くるくると考えが頭の中を巡って、結局最後に残ったのはアー
サーの怒った顔と、菊の優しい笑顔だった。
「おーい、。開けるぞ。」
ドアからノックの音がして、ギルベルトの声が続いた。
別に着替えているわけでもないので、は閑かにギルベルトが入ってくる様子をソファーに座って背も
たれに背中を預けたままの体勢で見つめた。彼は恐る恐ると言ったふうに扉を開いて、そして閉めた。
「大丈夫か?」
ギルベルトの困ったような顔が菊と重なって泣きそうになったが、はぐっと堪えた。
今泣いてしまえば、他の国に泣き顔を見られる心配がある。そうすれば菊が、強いては日本が弱いと思
われてしまう。だから、
「だい、じょうぶです、」
は絞り出すように声を押し出した。喉から違う物まで出てしまうそうだ。
「あいつに、会えるか?」
ギルベルトがソファーまでやってきて、を見下ろす。
アーサーに会えるか、
その質問の答えは、考えるまでもない。
「会いたくない、です。」
は本心からそう思っていた。
本来なら日本の立場を考えれば、そんなことは言えない。でも、ギルベルトが怒らずにその答えを許
してくれることを、は知っていた。案の定、ギルベルトは諫めることもなく笑っただけだった。
「・・・・わたし、も、わるかったのは、わかってます、でも、」
そりゃだって、彼よりもギルベルトが良かったみたいなことを言ってしまったから悪かったとは
思うけれど、不安だったのだ。知り合いのいないところに放り出されてよそよそしいアーサーを前にし
て、失態は許されないし、緊張しっぱなしだった。だから、知り合いであるギルベルトとあえて、ほっ
としてしまったのだ。
しかし、それを責められるのだったら、ずっと良かった。
「わた、し、どこに、いたらいいのでしょう。」
押しつけられただけだとアーサーは言う。
アーサーにとってはおそらくの存在は邪魔だったのだろう。だが、菊は今が帰ってくること
を望んでいない。そしてイギリス自体もが滞在することを望んでいる。イギリスの中のどこならば
、いて良いのだろう。同じ国であるアーサーの元ではなく、日本国の心であるはどこに移ろえば良
いのか。言い出せば、どんな問題になるのだろうか。経験のないは、文句の一つも、自分の行動が
起こす波紋を思えば訴えることが出来ない。
「人間とともに暮らすと言うことも、打診できなくはねぇよ。」
「え?」
「別に国が国と暮らさなくちゃならねぇと決まってるわけでもねぇ。ただ腫れ物として扱われるぞ。」
ギルベルトはに事実を伝える。
長い命を持つ彼らを理解するのはやはり同類だけだ。それは固定観念であるし、また人間の中には深
い理解を示す者も存在する。だが、多くの人間にとっては腫れ物同然の存在だ。希少な珍獣に等しいか
ら、奇異の目は絶対に向けられる。
ギルベルトは日本でにあったときから、がそう言った奇異の目を向けられたことがないこと
を知った。神社の神域という限られた人間しか出入りしない場所で育ったは、物を知らないだけで
なく、菊以外とほとんど接さず、人間と関わらずにここまで来た。
ギルベルトが人間の将校に怒鳴られればおそらく、自分が悪くても若造がふざけんなと思っただろう
が、彼女は真に受けて呆然としていた。それは彼が人間を自分と同じ者であると認めていると言うこと
だ。その同じ者から奇異の目を向けられればは傷つくだろう。
アーサーの家にいれば使用人は長年理解しているし、気にしない。少し夜会に出て行くくらいに彼女
が国家の心だなんて細かい事情を話す必要もない。しかし、別の場所に滞在するというならば、彼女が
国家の心であるという事実を、少なくとも使用人達に知らせなければならない。そうなれば、彼女を見
る人々の目はどう変わるだろうか。
「でも、アーサーさんは、わたし、を、疎ましく、お、思い、でしょう?」
は俯いてギルベルトの手をぎゅっと握る。
「だ、たら、わたしは、」
離れたい。アーサーから離れたい。疎ましく思われるくらいなら、辛い思いをしても離れた方がずっ
とましだ。
綺麗な緋色のドレスは、菊が奮発して買ってくれた物だ。柔らかい上質の布の上にぽたりと滴が零れ
る。汚れてしまうとその滴をとめようとすればするほど、あふれ出てぽたぽたとこぼれ落ちる。深い緋
色に色が変わっていく。
「・・・・・仕方ねぇな。」
ギルベルトは深いため息をついて、彼はを突然抱き上げる。
「きゃっ、」
子供のように片腕で抱えられて、は慌ててギルベルトの肩に手を置いて自分の体を支える。涙す
ら忘れてギルベルトを見ると、朱い瞳と目があった。
「要するに、おまえの言うことは、イギリスがおまえを疎ましく思ってたら、おまえは別の場所で暮ら
すって事だろ。」
「へ、ぁ、はい。」
「単純明快で良いじゃねぇか。もしもそうなら、俺様が味方してやるよ。」
「えぇ!?」
ギルベルトの言葉には目を丸くする。
「ど、どういう、」
「だーかーらー、俺様が菊に告げ口してやるって言ってんだ。」
ギルベルトは不敵に笑ってを抱えたまま、入り口の扉に向かう。は焦ってギルベルトの肩を
叩いたが、彼は笑うだけだ。
「ど、どこに・・・・」
「だから、イギリスのとこに決まってンだろ。」
は彼の答えに真っ青になって暴れたが、何の意味もなかった。ギルベルトの腕は細そうで強くて
まったく動かない。
そのままギルベルトはの抵抗もまったく介さず、すたすたと歩いて片手で広間の扉を開ける。
各国面々が、を抱えてやってきたギルベルトに驚くが、一番情けない顔をしていたのはアーサー
だった。
「おーい、イギリス。ちょっと顔貸せや!!」
高らかに言うギルベルトの首にしがみついて恥ずかしすぎてはどうして良いか分からなかった。
嗚呼 どうして