ロンドンに戻ってくると、アーサーは忙しくなった。

 しかし、夜になるとちゃんと帰ってきて、と共に朝食だけではなく夕食までとるようになったのは執事
も誰もが驚きだったらしい。女性を連れて帰ってくることもなくなって、恋人がいれば申し訳ないし、少し気
の毒に思ったが、それでも帰ってきてくれることは素直に嬉しくて、彼とよく話をするようになった。

 アーサーはよく、の幼い頃の話を聞きたがった。幼い頃と言ってもアーサーと違って長い時を生きてい
るわけでもないし、神社で育ったに日本の面白い話はあまりなかったが、それでも興味を持って聞いてく
れるのは嬉しかった。





はお兄ちゃん子なんだな。」





 アーサーは紅茶のカップを掲げながら、困ったような表情で言う。

 アーサーの前のテーブルにはケーキとスコーンが並んでいる。スコーンは少し固いがジャムをつけて食べれ
ば食べられないことはないので、も食べていた。今日はアーサーは仕事が休みで、家でふたりでくつろい
だティータイムを過ごしているのだ。

 彼の言葉に少し考えては答える。





「やっぱりそうですかね・・・」






 自分で自覚はあったのだが、他人から言われると再確認してしまう。は自分の握った手を口元にもって
いって首を傾げる。





「そう、その仕草。」

「はい?」

「菊にそっくりだよな。」





 アーサーがふぅっと息を吐く。そうなのだろうか、はますます首を傾げた。

 実は結構よく言われる。菊とは黒髪だと言うだけではなく、顔立ちまでそっくりで、どうしても幼い頃
から菊の顔を見てきているのですぐ違いに気付くが、周りから見ると最近が成長したのもあって、男女の
双子のように見えるらしい。






「そうですね。わたしは前のであったおばあさまには似ていなくて、何故か日本である菊にそっくりなん
ですよね。」






 それは少し不思議な話だった。

 は天照大御神の化身、しいては日本の心として生まれた。ただこれも、前にいた“おばあさま”がいた
わけだから、その形質が変化したからこそが生まれ、“おばあさま”とが呼んでいた前のが消え
た。

 が生まれたのは江戸時代の末の頃だ。本当ならばの姿は“おばあさま”に似ていても良いはずだっ
た。しかし生まれたは日本そのものである菊そっくりだったのだ。それは、心と国が結びついたと言うこ
と。






「わたしと菊が似ているのは、同じになっているからだと言っていました。国も心も、同化してきているから
その過程だって。」






 もちろん本質は違うので別の個体として存在するが、それでも姿形が似ているのはお互いに影響し合い、違
いながらも同じ存在であることを示している。






「まぁ、わたしには難しいことはよくわからないんですけど。」




 は笑って自分の手を眺める。若いには正直分かることは少ない。菊もよくわからないといっていた
のだから、なおさらだ。菊に分からないことがに分かるわけがない。






「別にどちらだって、なにだって良いんです。菊は、いつもわたしの手を引っ張ってくれていたんで、わたし
は、菊と生まれてからずっと一緒に歩いて来たんですから。」





 菊の手は少しよりも固くて、大きくて、でも海外の人ほどは大きくない。は生まれてからずっと菊
の手を握って此処までやってきた。江戸時代末期、滅び行く幕府をと争う人々、黒船を見つめる彼が、汗ばん
だ手で縋るようにの手を握りながらも、「大丈夫です、」と笑ってくれたことも、は覚えている。ど んな
苦難も、一緒にあることがの義務だ。






「ギルベルトさんも何となく菊と同じ臭いがするので、仲良しなんですよ。」





 はアーサーににこりと笑う。アーサーは複雑そうな、嫌そうな表情でスコーンを一口する。






「お兄ちゃん、か?」

「はい。お兄ちゃんです。」






 ギルベルトも日本に来たのは軍事指南それだけだったのだが、が当時まだ少女の姿ではなく、明らかに
幼かったせいもあるのか、妹のようにかわいがってくれた。いつも連れてるひよこみたいな鳥といい、彼は案
外面倒見がよい。彼と仲良くなったおかげで、少し外国人恐怖症が消えたのだ。

 アーサーはの話をぼんやりと聞いていたが、いくつかのことに気付いた。彼女は本当に神社から出る前
も、出てからも、ほとんど友人はおろか日本人とも触れあいが少なく家にいたこと、そして言葉尻から分かる
とおりあまり人を批判できない性格だ。家の中で蝶よ花よと育てられたのだろう。






「このジャム、美味しいですね。」






 珍しくがスコーンにつけていたジャムをほめる。







「そうか?木イチゴなんだが、」

「はい。甘さ控えめで美味しいです。」






 はイギリス料理があわないのか、なかなか食事をするのに苦心している。だいたいは果物とスープ程度
で賄うのが常で、オートミールは食べ物だとすら当初認識しにくかったようだ。そのため彼女がジャムであれ
イギリスの食べ物をほめるのは珍しい。まぁ実はフランス製のジャムなのだが、それは黙っておいた。






「そう言えばギルベルトさんがアーサーさんも昔はお兄ちゃんだったって言ってたんですけど、そうなんです
か?」






 は小首を傾げて尋ねる。






「あ、あぁ、まぁな。」






 いらないことばっかり吹き込みやがってと内心悪態をつきながら、アーサーはかりかりと頭を掻く。






「アーサーさんも優しそうなのできっと良いお兄さんですね。」






 内心なんて知らないはニコニコと笑う。アーサーは複雑な表情でを伺う。

 何となくお友達も嫌だがお兄さんも嫌だ。要するにそれは恋愛対象に見ていないと言うことで、フランシス
の言葉を借りるなら“頼りがいはあるけれど男性としては範囲外”を示していることになる。女性にそう思わ
れるのは非常に不本意だ。

 おそらく彼女に説明しても分かってもらえないだろうが。







「そういや今度アメリカのアルフレッドが遊びに来るって言ってたな。」

「そうなんですか?アルフレッドさんって面白い人ですよね。」

「・・・・そうか?」






 アーサーは自分で話を振っておきながら、何となく嫌な気分になった。






「あいつ、案外がさつなんだぞ。簡単に皿は割るわ、」

「なんかアルフレッドさんって力持ちっぽいですもんね。」





 は紅茶を飲みながらにこりと笑う。

 確かに彼女の言うとおりアルフレッドは驚くほどの怪力の持ち主だ。正直アーサーが多少頑張っても及ばな
いくらいには。は何でそれが分かったのだろうと首をひねる。それが顔に出ていたのだろうか、がき
ょとんとした顔をした。







「だってわたしのお荷物を運んでくれましたもの。覚えてます?ベルリンの最終日。」






 に言われて振り返ってみる。

 何故かアルフレッドはとアーサーが泊まっていたヴィラにやってきて、べちゃくちゃしゃべり倒したあげ
く結局汽車に乗る寸前まで一緒に居たのだ。は喜んでいたが、どうやらいつの間にか使用人に変わって
の荷物を持っていたらしい。






「なんで、」






 アーサーは呟きながらも何となくわかっていた。

 隙あらばとろうって言う魂胆だ。アルフレッドはアーサーのものをとるのが大好きだしアーサーが嫌いだ。
それに可愛い女の子に目がないのは、やっぱりイタリアと同じだ。アルフレッドも年頃の男の子だ。まぁ、
アーサーは菊ほどではないが年寄りだが。






は他の国にあってみてどうだった?」






 そう言えば聞いたことがなかったなと思って尋ねると、はうーんと顎に手を当てて唸った。






「どうって、にぎやかだなぁと思いました。」

「確かにな。もめ事も多いし。」

「・・・・・長いおつきあいをすると菊が他の国の誰かと、アーサーさんとフランシスさんとかギルベルトさ
んとローデリヒさんのように数百年後には喧嘩するのかと思うと少しびっくりです。」

「いや、それは、・・・そうとは限らないぞ。」






 一応の間違いを訂正しておく。

 イギリスとフランス、プロイセンとオーストリアのように長らくいがみ合うのも珍しいし、数百年後に菊が
声を荒げて誰かと喧嘩しているなんて、少なくとも今のアーサーには想像できそうになかった。














 
受け止めること 受け入れること