はロンドンに戻った途端に忙しく出て行ったアーサーとは違い、暇なものだった。

 屋敷でのんびりしているだけで、執事もたまに紅茶を入れてくれるくらいだ。アーサーから庭の散歩や敷地
内ならば人をつけないで歩いても良いと許可をもらったので、カークランド邸の探検に乗り出した。

 カークランド邸は一応ロンドンの一等地に建っている上に、広い。森とか湖とおぼしきものまであり、左右
対称に作られている。庭は常に整えられ、おりおり花が咲いているが、その配置は明らかに左右対称仕組まれ
たものだ。人工的な臭いのする綺麗な庭に、は少し驚いた。外からは見たことがあったが、入ったのは初
めてだったのだ。


 薔薇園には淡い色合いの薔薇がいくつか咲いていた。






「持ってきますかな。レディ、」





 近くにいた庭師がに問いかける。





「ぁ、でも、切ってしまうとせっかくの綺麗な花がもったいないので良いです。」





 は慌てて首を振った。

 見事な薔薇の大輪は、やはり切ってしまうのはもったいない。それに淡くて柔らかな良い香りがした。せっ
かく咲いているのだから、失われてしまうのは可哀想だ。





「もう少したくさん咲いたら、くださいますか?」





 が庭師に問うと、庭師は本当に驚いた顔をしてから、一言「お届けに参ります。」と答えた。彼と離れ
た後、池の方へと歩いていく。

 鯉などいるかもしれないと楽しみにしていると、池の畔に女性の姿が見えた。すっと背筋を伸ばした美しい
立ち姿の女性で、金とも茶ともつかぬ髪をゆるりと肩にかけていた。服装から決して身分の低い人ではないと
わかるが、カークランド邸にアーサー以外に住んでいる人がいるとは聞いていなくて、は驚かずにはいら
れなかった。

 そのまま立ち去った方が良いのだろうかと困っていると、ふっと女性が人の気配に振り向いた。





「ぁ、」





 目があって、はどうすればいいのか分からず彼女を凝視してしまう。彼女は非常に面立ちも美しい女性
で、は見とれてしまった。





「あら、可愛らしい、」






 彼女の口から零れたのは、そんな言葉だった。赤みを帯びた唇が柔らかい縁を形作り、そしての方に歩
み寄ってくる。は一歩後ずさってしまったが、何とか踏みとどまる。近くに来られると、背の高い女性で
は彼女を見上げないといけなくなった。






「カークランド卿もこんな可愛い女の子を隠しているなんて、酷いわ。」






 彼女はニコニコ笑って言う。

 賞賛には頬を染めて俯くが、はっと気付いた。庭を歩くだけのつもりだったので、髪の毛は束ねていな
いし、服だって彼女のようにきちんとしたものを来ているわけではない。なんて恰好をしているのだと慌てて
いると、彼女がの頬を微笑みながら撫でた。






「黄色人種にしては、酷く白い肌だわ。」

「ぁ、え、」





 はどう答えて良いのか分からず瞳を瞬かせる。






「白と黒のコントラストが綺麗なのね。ドレスはもう少し明るい色の方が映えて綺麗よ。」





 勝手に評価をつけられて、は自分のドレスを見る。

 確かに、庭を歩くだけだったので、薄い水色を基調にした淡い色のドレスを着ている。明るい色と言われて
も、は比較的淡い色合いが好きで、パーティー出来るように菊が買ってくれた緋色のドレスを鮮やかすぎ
て似合わないと淡い色にしようと結構粘った。

 まぁ、そちらは菊に押し切られたのだが。






「あ、ご教授ありがとうございます。」






 はよくわからないが女性に頭を下げる。






「うん。英語も悪くないわね。」






 女性はの発音を確認して一つ頷き、柔らかに、艶やかに微笑んだ。





「まったくカークランド卿ったら、毎回毎回茶会の出席を断っちゃって文句の一つも言って差し上げないと。
こんなに可愛いこを隠すなんて人が悪すぎるわ。」

「はい?」







 話が良く飲み込めずには首を傾げる。

 すると後ろから慌てた執事が走ってきた。遠くにはアーサーの姿も見える。どうやら彼も帰ってきたらしい。





「あー、おかえりなさーい。」





 はのんびりと手を振ったが、アーサーは駆け寄ってきた途端にの肩をがしりと掴んだ。





「何もされてないか?」

「?、何がです?」





 全然事態が飲み込めない。

 アーサーはが何もされてないのを確認すると、じろりと目の前の麗人を睨み付けた。






「人の屋敷に勝手に入ってこられて何をやっておられるのですか。」






 険しい声音に、この女性は一体誰だろうとは思った。もしかして少し危ない人なのだろうか。が見
ている前で、執事が女性に頭を下げた。






「ひとまず、屋敷にお入りください。皇太子妃殿下、」






 執事の最後の科白に、は目を丸くして女性を見上げる。





「え、皇太子妃、殿下?」

「・・・・・お前が知らないのも無理はない。」







 アーサーが軽くてでつむじを押えて息を吐く。





「イギリスの皇太子妃でデンマーク王女であられるアレクサンドラ妃だ。」

「うふふふ、お会いできて光栄だわ。極東の日、出ずる国のお嬢さん。」






 アレクサンドラ妃は華のような笑みを浮かべ、扇で口元を隠しながらに歩み寄る。

 イギリスの皇太子妃と言えば美貌で酷く有名で、日本から来ただって知っている。目をぱちくりさせて
いると、アレクサンドラ妃は声を上げて笑った。





「最近、カークランド卿が女遊びもせずにまっすぐ夕飯に帰ると言うから気になって尋ねてみれば、まさかこ
んなに可愛いお嬢さんとラブラブしているなんて、ずるいわ。」






 子供のように唇をとがらせて彼女は大輪の笑みを浮かべた。

 それは丁度先ほど庭で見た深紅の薔薇に似る。しとやかではなく、華やかな大輪に。






「なんてお美しい。」






 思わず呟いてしまったは慌てて口を紡ぐ。






「そんな良いもんじゃねぇよ。たまにお忍びで来るんだ。ちなみに子持ちのもういいと・・・」






 いい年、とアーサーはに耳打ちしようとするが、それはしっかりアレクサンドラ妃に聞かれていたよう
で、冷ややかな目がアーサーへと向けられる。





「あら、何かおっしゃって?カークランド卿?」

「いえなにも?」






 ころりと態度を変えてアーサーはうやうやしく頭を下げる。

 ちなみに子持ちのいい年というのは本当だ。アレクサンドラ妃はヴィクトリア女王の死後王妃となったわけ
だが、ヴィクトリア女王の治世が長かったこともあって戴冠時50歳を過ぎていた。しかし、30代にしか見えな
いほどに美しかったという。






「私主宰の茶会へ、姫もいらっしゃるのよね?」






 アレクサンドラ妃はに問いかける。






「はい。参加させて頂くつもりです。」






 この間アーサーに言われて、本当はマナーなどが分からず怖がっていたのだが、勇気を出していくつもりだ
った。

 アレクサンドラ妃はの答えに満足げに微笑むと、アーサーを見た。







「貴方はどちらでも構わなくてよ?」






 にこぉっと笑われ、アーサーは表情が引きつりそうになったが、此処で笑みを崩せば負けだとにっこりと笑
い返す。





「彼女をエスコートする役目がありますから。」





 負けじと返答する。するとアレクサンドラ妃はむっとした顔をしたが、がアーサーの手を不安そうに握
るのを見て、口を噤んだ。






「あら、脈あり?」







 ぽつりと彼女が呟いた意味をはわからなかったが、アーサーは承知していた。












 
ほくそえむ魔女