「日本は日英同盟を理由に参戦、物資などの援助は惜しまないと言うことです。」
白い軍服を着た日本軍の将校は、アーサーの部屋の執務室の小部屋にいたに報告しに来る。それ
は8月15日付けで最後通牒勧告を送り答えがなければドイツ帝国に宣戦布告をすると言う物だった。
「そう、なんですか。」
はそもそも宣戦布告をしなければならないという戦争の常識すら知らなかったため報告の意味は
よくわからず首を傾げたが、戦争が始まりそうだということだけはわかった。
「内閣総理大臣の大隈様の即決で御前会議にもかけなかったそうです。」
将校は緊張しているのか少しろれつの悪い、きりりとした態度で言った。
彼はそれほど高い地位にある将校ではないが、みなが忙しいのでへの伝令に足ったようだった。
「大隈さんですか、御前会議にもかけないとは強烈ですね。」
天皇の御前会議にもかけずになんて過激なことをやってのけるとは、もう良い年なのに相変わらず熱
意だけは衰えを知らないようだ。
「おそらくドイツからの最後通牒への回答はないそうなので、23日宣戦布告いたしました。」
「そうで、すか。」
「ベルギーのリエージュ要塞はもう落ちるでしょう。ドイツ軍はフランスに侵入し、英仏軍とぶつかっ
たということです。」
将校は無情にも事実を報告する。それに抗うすべはにはない。
「日本の派兵も、長引くようでしたら考えることになるでしょう。」
「日本もですか?」
「はい。帝国議会ですでに遠洋での作戦のための、中型駆逐艦の建造の議論が始められるそうです。明
日、明後日には承認されるでしょう。」
ヨーロッパから遠くて関係ないと思ってはいても、やはり日英同盟を結んでいる以上はかなりの協力
を行うようだ。
日露戦争では軍隊の派遣等をイギリス軍が行うことはなかったが、それでも軍資金、艦隊、諜報など
では多大な協力を得た。日本としてはやはり放置しておくわけでもないのだろう。それはアーサーを夫
とするにとっては朗報ではあったが、母国が戦争に巻き込まれてしまうのは、決して良いとはいえ
なかった。
「そうですか・・・・みんな戦争なんですね。」
は頬に手を当てて嘆息する。
「さまは、戦争がお嫌いですか?」
将校は年頃の近いに親近感を抱いたのか、素直にたずねてきた。当然の年齢は正直彼のうん
倍なのだが、それでも容姿的な意味で話しやすかったのだろう。
も不敬だと怒ることもなく答える。
「だって、アーサーも、みんな悲しそうな顔をするでしょう?」
にはまだ戦争が何を指し示すのかまでは理解できない。経済、政治、そういったことに対する影
響は、には到底想像もつかないものだ。ただ人は傷つくし、みなは悲しそうな顔をするし、それが
悲しい。
「勝っても負けても、人が死んでしまうのは悲しいですし・・・・それでも守らなければいけないもの
があると、菊には言われたのですけれど。」
は睫を伏せた。
日清、日露戦争のとき、はイギリスに遠ざけられていた。それはを傷つけないようにという
菊の意図があったけれど、やはり日露戦争のときはイギリスに日本の外交官が頻繁に外交交渉で来てい
たし、戦費の調達も大変で、その後も戦死者が多く出て反戦運動が盛んになるなど状況は大変だった。
「さまが心痛めるお気持ちはご察しします。難しい問題ですからね、」
将校は明確な答えを避けたが、それでもの言葉に一応の賛同を見せる。そして少し顔を伏せると
、表情を曇らせた。
「菊さまから、というよりも、天皇陛下よりのあくまで《お願い》です。」
「はい?」
「ご帰国なされませんか。と。」
はその言葉に目を丸くして将校を見返した。
「帰国、しろ、と?」
日英同盟締結時にはアーサーと結婚した。これは国家間の取り決めの一部であると同時に、将来
日本がイギリスの敵に回ったとしても、日英同盟が破棄されても、の身柄の決定権の全てはイギリ
ス側に帰属する形となった。
だからこそ、《お願い》しているのだ。強制をすることは出来ないから。
「そ、そんな、の。」
「おふたりとも、心配なさっているのです。イギリスが戦火にまみれ、さまが傷つかれるのを。」
将校は驚くに頭を下げる。
「どうか、お心、察しください。」
彼の言葉には酷い思いがこもっていた。
われらが母よ。
たまに日本人の中に、のことをそう呼ぶ人々がいる。アマテラスの化身。日本の心。が大切
だといってくれる彼らの、自分を心配してくれる気持ちはよくわかる。わかるけれど、
「また、お伺いを立てに参ります。」
将校は敬礼をして部屋から退出する。部屋の外はアーサーの執務室だ。何か将校は一言二言アーサー
と会話してから、帰っていった。
「日本からは派兵に関しては微妙だったが、援助に関しては色よい返事がもらえたよ。」
アーサーの部屋の方に入ると、アーサーはにっと笑って椅子にもたれた。少し疲れているのか、顔色
があまりよくない。笑いが酷く不自然だ。無理をしているのではないだろうかと不安になってアーサー
の元に駆け寄った。
「どう、なさったんですか?」
がたずねると、彼は困ったという顔をして、笑いをすぐに引っ込める。その憔悴した表情に
はどうしていいかわからない。
彼と出会ってからもう100年弱。彼と暮らし始めて何十年たったのか。
彼のこれほどに深刻な表情をが見たことはなかった。
「・・・・・戦線が良くないらしい。」
「え?フランスのですか?」
「あぁ、ベルギーのリエージュ要塞はほぼ攻略されたようだ。イギリスも海外派兵をしたが、戦線は芳
しくない。かなりの兵士が死んで、ドイツの侵攻も・・・・止められていない。」
アーサーは机の上にひじをついて祈るようにこぶしを握る。
先ほど将校の話していた話だとは眉を寄せる。だめだったのか。戦略的にベルギーが落とされる
というのはわからないが、それでも重要な場所であるという話は、前にアーサーから聞いていた。その
上自国の兵士が死んでいるのだから、アーサーにとっては一番憂慮すべき事態だろう。
「こんなに悩んだって、俺に出来ることなんて、ねぇんだけどさ。」
アーサーはあきらめたように言う。
昔と違ってアーサーが一緒に攻め込めばよいという戦争は終わってしまった。飛び道具は、アーサー
の命を簡単に奪える。要するに国そのものである彼が死に直面する可能性だって考えられるのだ。それ
は出来ない。だからアーサーは昔のように共に軍隊と戦うことは出来ない。
国民に任せるしかない。
「痛い?」
菊が内戦の時に体が痛いからだが痛いとあえいでいたことを思い出して、は思わずアーサーにた
ずねる。菊は国土が傷ついたら痛い、は心だから国民が死んだらとても痛い。だから、日露戦争の
ときは昏睡状態になったほどだ。アーサーは大丈夫だろうかと見るが目立った違いは見当たらない。
「痛くはないさ。攻められてないしさ。」
イギリスが直接ドイツに攻められたわけではない。だから痛くはない。
「そんなに心配するなよ。天下の大英帝国様だぜ。」
アーサーはの頭をなでて笑う。しかしにはそれが無理をしているようにしか見えなかった。
侵食された世界の 色