目を覚ました時、彼がいた。自分の望んだ彼ではなかったけれど、会いたい人ではあった。大切で、
自分を一番愛してくれた、夫。死ぬ前に一度で良いから会いたい人だった。彼はお化けや妖精が見え
る と前に言っていたから、幽霊になったら一番に会いに行こうと思っていた。

 まぁ、神様や人の思想に近い自分がお化けになれるのかどうかは別だが。





「アーサー、」





 名前を呼ぶと、アーサーは泣きそうな顔をした。





「俺がどれだけ心配したと思っているんだ。。」

「ぇ?」





 上手く頭が働かない。どうして、心配されているんだろう。会いたいって気持ちしか考えていなかっ
た。彼にそんなに会いたいって思っていたんだろう。あれ?自分はどうして、死んでしまって彼に会い
たいと思っていたんだろう。小首を傾げて彼を見上げる。





「ぁ、」





 そうか。もう何年会っていなかったんだ。色々辛いことがありすぎて、愛おしい人とすら遠ざかって
いた。嬉しいなと目を細めるが、彼の翡翠の瞳に宿る冷静な憤りの色に戸惑いを覚える。どうしたん
だ ろう。怒っているのだと理解して、自分が彼の敵になって戦っていたことを思いだした。

 国のためとはいえ愛しい夫を、敵に回すことになってしまった。 


 そして大切な人とともに、戦うことになったのだ。





「菊、は?」





 そう尋ねると、彼は表情を憤りで歪めた。





「おまえ、」

「菊、は、どこ、ですか?」





 痛む喉を押えながら身を起こす。体が僅かに痛む。胸を見ると大きな傷があった。どうしてだったか
記憶が混乱している。

 なのに、帰らなくちゃいけないことだけは覚えている。詳しいことは忘れてしまったけれど、早く帰 ら
なくちゃ。今の菊は自分がいないと負けてしまう。壊れてしまう。今だって傷だらけで必死で攻撃に 耐
えているのだ。






「ここ、は、どこ?わたし、」





 頭が痛くて、頭を抱える。





「覚えていないのか、混乱しているのか。ちょっとおちつけ。」





 アーサーが優しく背中を撫でてくれて、少しだけ心が平静を取り戻す。

 そうだ。戦争をしていたのだ。日本そのものである菊が傷だらけで壊れてしまいそうだから、天照大
御神の思想そのものであるが、頑張って頑張って、がんば、て。





「だ、め、」





 初めて前戦に出て、気付いたんだ。気付いてしまったんだ。が懸命に頑張ったことが、兵士達の
抵抗を長引かせていた。もう駄目だって、分かっていただろう。傷だらけの日本のためにと、、頑張って
いたのは、だった。日本の気持ちそのものであるだった。

 それが、菊を、日本を、ますます傷つけた。


 帰らなくちゃ。違う、いなくならなくちゃ。死ななくちゃいけない。そう考えれば、サイドテーブル にあった
果物ナイフが目に入る。


 胸が痛い。そう、自分は菊がくれた菊の刀で、胸を貫いたんだ。

 自然と、手がナイフに伸びる。その細い手は、上から大きな手に掴まれた。





「何を、しようとしてんだ。」




 深い憤りを含んだ声音にびくりとする。アーサーを見上げると、翡翠の瞳は緋色の光を宿していた。
ぎりりと掴まれた手首が痛む。





「還らなくちゃ、」





 はふるりと首を振った。涙がぽたりとこぼれ落ちる。

 もう駄目なのだ。この世界に自分がいることは、日本のためにならない。だから死ななくちゃいけな
い。還らなくちゃいけない。





「どこにも、いかせねぇよ。」





 アーサーが一瞬目を伏せ、冷たい翡翠の瞳でこちらを睨む。





「だめ、だめなの、還らなくちゃ。私はどこにもいちゃいけないんです。私がいたら菊が、こわれちゃ
うの。」





 寄り添って、生きてきた。辛い時も、悲しい時も、楽しい時も。いつも恐がりのは菊にひっつい て
離れずに。でも菊はそんなを笑って許してくれた。だから今度は傷ついた菊を、が守ってい っ
て上げないといけないと思った。

 でもそれがもっと菊を傷つけた。早く自分がいなくなっていればこんなことにはならなかったのに。




『ふたりで、助け合って。どちらがかけても駄目なのですよ。』




 おばあさまはそう言って、神社の神域から、新しくなる日本のためにを送り出した。思想の要と
してのを送り出したのに、はちっとも彼の役に立てなかった。





「おまえ、菊、菊って、じゃあ俺の気持ちはどうなるんだよ!!」






 アーサーがを怒鳴りつける。手荒にベッドの上に倒され、上にのしかかられる。傷が痛んだけれ
ど、間近に迫った彼の顔に息を呑む。久々に見た彼は少し大人びてその目には酷い憂いを抱えていた。

 イギリスもドイツにやられてぼろぼろになっていると、菊から聞いたのはいつだったか。


 涙が溢れる。





「アーサーだって、早く戦争が終わって欲しいでしょう?私が、私がいなくなれば、すぐに戦争はおわ
り、」

「そんなこと聞いてんじゃねぇ!」





 言葉を遮るように怒鳴られ、は身を縮める。





「おまえが死のうが死ぬまいが、どの道、戦争は終わる。ドイツももう詰め時だしな。」

「え?」

「遅かれ早かれ枢軸は負ける。日本がどれだけ粘ろうと一国でどうこうなる問題じゃねぇだろうが。資
源だって、もうほとんどないさ。」





 は戦局を実はほとんど聞いたことがなかった。硫黄島に来たのだって、実質的な戦局を何も理解
していなかったからだ。死ぬ可能性は分かっていたが、ただ要所を守りたかっただけ。

 今にも負けそうな程危ないなんて、誰からも聞いていない。





「そんな、」





 はもう言葉を失うしかない。上層部は隠していたのだ。菊にも、皇族達にも、全てを。

 よく考えれば元々石油などの資源を、日本は持っていない。硫黄島を初め領土がどんどん落とされて
いく今、資源の備蓄など微々たる物しか残っていないはずだった。普通に考えれば当たり前の可能性を
どうして気付かなかったのだろう。


 結局、菊も自分も、あまりにも物知らずだったのだ。





「帰らなくちゃ、菊に、」

「黙れ、」





 厳しい声音が上から振ってくる。






「お願い、菊が、」

「うるさい。菊、菊って、そんだけ叫べるんだったら体調も回復してるんだろうな。」






 アーサーは冷たい声音で言って、の首筋に口付ける。久しぶりの、忘れていた感触に体をびくり
と震わせれば、彼は満足げに喉を震わせた。





「だめっ、わたし、かえ、」

「あぁ、日本は壊すぞ。」

「え、」





 ひくりと喉が鳴って声が震える。軽い言葉に呆然とした面持ちで彼を見上げると、彼は唇をつり上げ
の白い頬をぺろりと舐めた。





「や、やだ、やめて、帰らなくちゃ、わたし、」





 彼の体の下から逃れようと暴れれば、ますます強く押さえ込まれる。遠慮なく服の中に手をいれられ
傷だらけの肌を撫でられ、は悲鳴をあげた。こんな冷たい手、知らない。





「俺を、忘れた罰だ。」





 ぐっと胸をわしづかみにされる。


 それからはもう、拷問に等しかった。今まで会わなかった分を埋めるように、怒りも悲しみも全て 忘
れるように、ぶつけるように熱くなって、痛みすらも伴ってぐちゃぐちゃになる。逃れようと、早く 帰
らなくてはと泣き叫んだけれど、許されることはなかった。

 どこかの傷が開いたのか、それとも愛撫もそこそこに中に入ったせいか、シーツが愛液や汗と混じっ
て桃色に染まり、整えることすら面倒でくしゃくしゃに皺が寄る。それでもアーサーはやめない。

 最後がいつだったかは覚えていない。痛覚も全て無くなって頭が真っ白になった頃に、やっと
気絶することが出来た。

 
 今の状況を忘れ、全てを忘れ、頭を真っ白にして、眠ることが出来た。





















優しい監獄