屋敷の中に閉じ込めてしまうのは簡単だった。

 国とかそう言ったものは、それ同士でしか分からないと上司も踏んでいる。ましてや彼女は元々自分
の妻だ。日英同盟が破棄されてもその契約まで破棄されたわけではない。ただし、敵国の妹である限り
どう扱おうがイギリスである自分の勝手だ。要するに、文句をつける奴は誰もいない。そういうこと。





「ひっ、ぅ、」





 裸の体をベッドに力なく横たえて、は泣いていた。シーツを握りしめるくらいしか力がないのは 、
昨晩手ひどく抱いたからだ。彼女は昔から体力が無くて、アーサーが好き勝手にやると次の日はベッ
ドから起き上がれなかった。それでも昔は手加減している方だったが、今は手加減など無い。

 長らく離れていたのもあるし、状況が状況で気が立っているというのもある。欲望と願望をただぶつ
けるだけ。動けなくなっても何も問題はない。外に出すことなど絶対にないのだから、動けなくなって
くれている方が逃げ出す心配が無くてこちらとしても安心だ。




「まったく、いつまで泣いているんだ。」





 悪態をつきながら、アーサーは服を着る。シャツを羽織れば、肩が引きつった。久々に女を抱くと、
何か別の筋肉を使っているらしく、少し肩が痛い。筋肉痛のような軽い痛みなので、無視した。

 今日もドイツの戦線のことでアメリカと話し合う予定だが、アメリカはこの屋敷に来る予定なので、
大丈夫だろう。ベルリンを攻略もすぐ、おそらく降伏もあと数ヶ月だ。


 ちらりとを浮かべれば、ブランケットで身を包んで猫のように丸くなっていた。





「菊、のところに、かえして、ください、」





 昨晩声を上げすぎて喉が嗄れているのか聞き取りづらい声では言った。

 アーサーは自分が不機嫌になるのが、自分で分かった。眉を寄せ、ベッドに近づくと、彼女はびくり
として肩を震わせ、漆黒の瞳を潤ませた。


 保護されてから、彼女はそればかりだ。動けるようになり、熱が下がって1週間。抱かれて悲鳴を上げ
ている以外は口を開けばそればかりだ。昨日は監視している士官から、逃げだそうと鍵穴あたりを探っ
ていたと報告を受けた。だから手ひどく抱いたのだ。仕置きの意味も含めて。





「いい加減にしろってんだろ。おまえの祖国は日本だが、俺の妻だ。で、俺の戦利品だ。帰すはずがな
い。」

「わ、わたし、は。」

「くどい。」





 アーサーは近くにあった自分のベストを拾い上げる。するとはすねるようにアーサーに背を向け
た。


 は自殺未遂も、この一週間に3回やってる。警戒はしていたから、使えそうな物はほとんど置いて
いなかったが、一度目はカーテンを止めてあった紐で首をつろうとした。二回目は割った茶器だ。三度
目は暇つぶしにと与えた刺繍のための糸だった。2回目まではアーサーと士官が阻んで、三度目は糸
の方 が、の重みに耐えられなかった。

 逃亡未遂もしているので、警戒は怠っていない。だがこの部屋は窓硝子も防弾の全く割れない物だし
、鍵にも詰め物がされていて内側からでは開かない。あちこちについているネジにすら覆いがかぶせら
れている。

 とはいえ、ここはイギリス。ヨーロッパの端だ。この屋敷から逃げ出したとしても、彼女が日本に帰
れる可能性など、万に一つもありはしない。



 アーサーは近くの柱時計に目を向ける。会談は12時からと決まっているから、あと数時間はここにい
られる。どうせ会食も行われるから、今更朝ご飯を食べる気にはなれず、ベッドの端に座って彼女の様
子を眺めた。

 白い肌は傷だらけ。それ以外にも点々と赤い痕が残っている。アーサーがつけたキスマークだ。中に
は紫色に変色しているところもあった。強く掴みすぎて指の痕がついてしまっているところもある。



 背中を向けているから、アーサーはそっと彼女の背中に手を沿わせる。びくりと小さな体が撥ねた。

 白い背中にはいくつか傷と痕が残っていて、背骨は昔よりもずっと浮き出ていた。栄養状態が悪かっ
たのだろうと、医者は言っていた。まともに食事も食べられないほど日本は飢えていたのだ。脱水症状
もあったから、硫黄島では水すらも手に入らなかったんだろう。生きていたことが奇跡とさえ言える。


 彼女を助けた将校は彼女の信奉者の1人で、天照の加護がどうのと言っていた。彼女が日本人の地母
神 をルーツにしていると言うことは知っていたが、その形態は江戸末期から明治時代に入って大きく変わ
っ たという。祖母がいたと、彼女は前に話してくれた。物を知らないのが、彼女だ。




「…昼は出かけるが、ひとりでも食事はしろよ。」




 アーサーは背を向ける彼女に声を掛けた。食事をボイコットしていると言う話はすでに聞いている。
食事をしなかったからといってすぐに体調を崩すわけではないが、彼女は満身創痍だ。そう言う点では
抱くこと自体も、本当はやめた方が良いのかも知れない。




「今日は中国から米をもらったから、ポリッジみたいな物を用意させた。」




 米を煮崩して、消化を良くして食べるのが、日本の病人食だという。イギリスのオートミールを煮た
ポリッジに似るが、昔ポリッジを食べさせた時、彼女はそれを人間の食べる物とは思えない味だと話し
ていた。日本は食事が美味しくて、イギリスの食事にはなかなかなじめないようだったから、中国に尋
ねたのだ。中国は日本と似たところがあるから彼女が食べられる食事も教えてくれるだろうと思った。

 中国はが絶食を続けていると聞くと、酷く驚いて詳しい作り方まで教え、米までくれたのだ。そ
の上、料理人まで貸してくれた。イギリス人の料理人では当てにならないからと。失礼な話だ。





「・・・・、ごめん、でも、いらないよ。」





 泣きそうな声で、背を向けたまま彼女は言った。

 意地の為に絶食を続けている。だが、元々優しい彼女だ。わざわざ自分が中国に食べ物を聞きに行き
、中国も日本に攻撃されているというのに、米をくれたと言うから、良心の呵責に耐えかねているのだろ
う。 意地と申し訳ないと言う意識の狭間でゆらゆら揺れている。


 後一押しかな、と、アーサーは思った。





「アメリカが、あまりにが衰弱してるって聞いて、心配してオレンジを大量に送ってきたぞ。後で
食うと良い。」





 ご飯が無理でも果物ならば食べれるだろうという話だった。ただ問題はアメリカであるアルフレッド
の意識がでかすぎるという点だ。大量のレベルがあまりに違い過ぎて、アーサーは保管場所だけで
はなく、食べるのにも困っている。現在進行形で。





「中国も今度、おまえが好きなライチを持ってくると言っていた。」

「・・・・・・」





 は黙り込む。だがアーサーの言っていることは嘘ではない。元もと中国とは仲が良かった。
は日本固有の神様だが、彼女の祖母が中国を非常に慕っていたらしい。戦争には、さぞ心を痛め
たことだろう。





「…すこし、なら、たべます。」





 結局良心の呵責に耐えかねて、はそう呟いた。





「そうか、良かった、」





 少し安堵して、アーサーはそっと彼女の頭を撫でてやる。長い黒髪は少しつやが落ちたが、手触りは
相変わらず柔らかくて良い。





「ひっ、」





 が後ろを向いているから分からないが小さく肩が震えた。立ち上がって上からのぞき込むと
はまた泣いていた。白い頬には幾筋も涙が流れる。





「まったく。おまえはどうしてそうも素直じゃないんだ。」





 アーサーは無理矢理彼女の体を起こして、抱きしめた。が目を丸くして怯んだが、そんなことは
関係ない。腕に力を込めれば観念したのか、彼女はアーサーの肩に顔を埋めたままひっくひっくと泣き
じゃくった。






「もう泣くんじゃない。今日はアメリカが来るんだ。アルがびっくりするだろう。」

「だめ、です、かえら、」

「帰さないと言ってる。帰さないし、還さない、」





 本当にしつこいなと思いながら、息を吐く。

 彼女が死ぬなんて、想像するのもごめんだというのに、今の現状は悪夢だとしか言えない。ましてや
彼女が死にたがっているなんて、拷問だ。

 それでも、良かったと呟いたアーサーを見て泣いてくれたと言うことは、少なくとも、少しはアーサ

に悪いと思ってくれていると言うことだ。ここ一週間は盲目的に菊の名ばかりを唱えていたから、別 の
ことに目が向いただけでも成果かも知れない。


 微々たる成果ではあるが。



 あまり昨晩寝かせなかったせいか、泣き疲れてか、はアーサーの肩に頬を寄せたままうつらうつ
らとし始める。

 まるで子供のようだ。

 昔と変わりない様子に、アーサーはゆっくりとあやすようにを揺する。初めてあった頃は、とて
も小さな本当に日本人形のような女の子だった。いつも菊にしがみついている、可愛い女の子。



 これはアルフレッドを待たせるしかないな、と、アーサーは心の中で呟いた。


 










あんたを繋ぎとめる為なら恥も見栄も全部捨て去るって決めたんだよ(逃がさないよ だから お願い
だからおれから逃げようだなんて想わないで)