「ぅ、う、」
苦しそうに、彼女は口元を手で押えて、声を押し殺してイった。ベッドがぎしりと不穏な音を立てて
軋
んで、汗がぽたぽたと落ちてシーツの色を変える。見下ろした彼女は汗と涙とでぐちゃぐちゃになっ
た
顔をせめてもの抵抗だとでも言うように背けて、荒い息を吐いていた。
漆黒の瞳は潤んでぼんやりとしていて、何を映しているのかよくわからない。それが不快で、涙で濡
れた頬に手を添えてこちらを向かせようとしたが、拒まれた。
「ほら、こっちを見ろ。」
言ってもなかなかはこちらを向うとはしない。なかなか強情だなと、アーサーはため息をつくし
かなかった。まだ彼女の体に入ったままなので、ゆるりと腰を揺らすと、彼女は目を丸くして悲鳴を上
げた。
「や、っ、も、やで、」
「答えない罰だ。ほらこっちを見ろ。」
そう言って動くと、彼女はごめんなさいと一生懸命喘いで、やっとこちらを向いた。帰ってきてから
彼
女の体力はもともとあったわけでもないが、ますます落ちている。それでも毎日一生懸命逃げようと
するのだから、その根性は感服する物があった。粘り強い日本人らしいと言えばその通りだ。
ちらりと近くの時計を見れば、もう3時を疾うに回っていた。彼女は疲れのせいか朦朧としていて、荒
い息を本当に苦しそうにはいた。道理でだんだん疲れて眠くなってきたわけだとアーサー自身も思う。
「ふぇえ、きく、やだぁ、」
譫言のようにそう彼女が呟く。愛おしい兄の元に返りたいと、彼女は未だに懸命に言う。それがアー
サーを不快にさせ、仕打ちが酷くなることは彼女だって承知しているだろうに、それでも嫌がって、呼
ぶのだ。そして逃げようとする。
「それにしても、よくベッドの上で他の男の名前を呼んでくれる物だな。」
ぐっと、遠慮なく彼女の奥に自分を突き立てれば、白い首筋がのけぞった。痛みがあるのか眉間に皺
が寄って、悲鳴を上げる。痛いのは、アーサーだって一緒だ。
彼女が戦中にどのように生活したのか、日本で一体何をしていたのか、アーサーは知らない。でもよ
くここまで洗脳されてくれた物だと思う。それとも彼女の意志なのか。
元々菊にべったりであったけれど、戦い傷つく菊のために、死のうと、還ろうとまでするなんて、呆
れて
物も言えない。
「まったく俺の気持ちもこれっぽちも考えないでよくやってくれるぜ。本当に。」
もう憤りを通り越して呆れの言葉しか出ない。それがアーサーの正直な感想だった。
戦争中も今もずっとアーサーはのことだけを思っているし、その為に生き残りたいと思って戦っ
て
きたのに、相手のはと言えば、兄である菊のために死ななくちゃいけないとか、還りたいとか譫
言
のように繰り返す。だからアーサーはどんどん確信が持てなくなっていった。
本当に、彼女は自分を愛してくれているのか、と。
「本当に、独りよがりみてぇでむなしい。」
彼女を四つん這いにして、そう言う体勢を嫌がる彼女の体にゆっくりと入る。もう疲れ果てて手を挙
げ
るのも億劫そうなのに、彼女の体は収縮してアーサーを包み込む。目を閉じれば前に愛した、大好き
だ
と手を伸ばしてくれた彼女が映る。自分だけの、彼女はどこに行ってしまったんだろう。
「愛してんのは、俺だけだ。」
言った途端に、かくりと彼女の体重を支えることが出来ずに手が崩れて、彼女はシーツに顔を押しつ
ける。けれど、足で支えてさえくれれば四つん這いで手を崩しても関係ない。
「ち、が、」
言葉に、途切れ途切れには反論する。出し過ぎて掠れた声が哀れだったが、容赦をするつもりは
さらさらなかった。紳士なんて言葉は一体どこに行ったのか。
「違わねぇだろ?」
彼女の中に酔いながら、愉悦を含んだ声音を彼女の耳元で流し込むと、は逃れるように腰を逃そう
として、けれど許さず、アーサーは腰を掴んでそれを制した。深く入り込めば愉悦を得ることが出来る
が、
それは自分だけで、は苦しそうに喘いでいた。かくりと膝が折れる。
「無理か、」
四つん這いの体勢は、もう支えられるほどの元気がに残っていないらしい。いつも通り仰向けに
して、もう一度入れ直せば、どろどろになっているのに痛みがあるのか、怯えるように腰を引いた。い
れれば掠れた悲鳴が上がる。動き出せば、規則的に声を漏らす。ぽろぽろとこぼれる涙は綺麗だった。
「ち、が、ひっ、あ、さぁ、」
言葉にならない言葉で名前を呼んで、はアーサーの自分の頭の隣に置かれた手に、自分の手を重
ねる。アーサーは何かを訴えるような目に、仕方なく動きを止めた。
「何が違うんだ。」
汗で肌に張り付いた前髪をかきあげながら尋ねると、はきゅっとアーサーの手を握る。
「だ、て。あいた、て。おもて、まし、た、ずっと、し、んだら、あい、こて、」
会いたくて、思ってました。ずっと死んだら、会いに行こうって。
途切れ途切れの聞き取り辛い言葉に耳を傾けて、アーサーは後悔する。
死んだらなんて、いらない。生きて会いに来ようとは思わなかったのか。それすら怒りたいのに、彼
女はまだ言い募った。
「あさ、ぁ、は、みん、な、いるけ、ど、きく、ひとりで。ひっ、おばぁ、さま、かけたら。」
「おまえの言うことは意味わからねぇ、」
聞き取りづらい上に、脈絡を得ない会話だ。おばあさまとは、彼女が言っていた前ののことか。
だったとしても“かけたら”という言葉は何なのだ。何を言いたいのかよくわからない。ひとまず彼女
は、彼女なりの理由があったと言うこと以外は、何も分からない。
「俺が怒ってるのはそんなんじゃねぇよ。」
「ぅ、あ?」
「こっちはお前にまた会うために必死に生き抜いたってのに、おまえが死のうとしてるってことだ。俺
の努力はどうなるんだ。」
アーサーは漆黒の瞳を睨み付ける。
本当は菊の元に戻ったのだって、彼はの兄だし仕方ないことだと分かっている。嫉妬してもふた
りは一心同体で、心と国の繋がりは深い。彼女の容姿が菊とそっくりであることもそれを示している。
要するに切っては切り離せない存在なのだ。菊にとっても、にとっても。それは今更否定しても仕
方が無い。
だが、許せないのは彼女が命を絶とうとした事実だ。こっちはドイツに攻められようがヨーロッパで
孤
立しようが再び彼女に会える日が来ると頑張ってきたのに、その彼女がそれを否定したのだ。怒りた
くもなる。
怒りをぶつけるように彼女の中にある自分で彼女の最奥えぐると、の体がおもちゃのように痙攣
して、泣き叫びながら一際強く締め付けてくる。それでアーサーも彼女の中に何度目とも覚えていない
精をはき出す。
息を整えて彼女を見下ろすと、彼女は苦しそうに喉を鳴らした。
「ぅ、ごめ、なさ。」
はくしゃりと顔を歪めて、涙をぼろぼろ流しながら謝る。アーサーは疲れもあってそのまま
が重いと分かっていながらも、面倒になっての体にのしかかるようにして体の力を抜いた。
「そう思うなら、二度と自殺未遂なんてまねをするな。」
「でも、」
「でもじゃない。おまえが死んでも死ななくても戦争は終わるんだ。馬鹿。」
根源がの持つ神格と日本の精神性だったとしても、どのみち後数ヶ月で戦争は終わるだろう。照
宮には言っていないが、ドイツが先日降伏した。日本だって多分、あと数ヶ月。戦争は、彼女が死のう
が死ぬまいが、終わるのだ。
「で、も、きく、に、ひどい、ことを、」
「全部がお前のせいじゃねぇよ。戦争をおっぱじめたのは、菊だ。心はその事態に人が抗うための慰め
でしかない。」
神なんていないって、誰もが心のどこかで分かっている。それでも神を唱え続けるのは癒しを求める
から。どうにもならない目の前の状況への慰めだ。
彼女はその慰めに使われただけだ。
「泣くんじゃねぇよ。ほら。」
アーサーはぐしゃぐしゃとの頭を撫でる。
傷ついて、傷つきすぎて、訳が分からなくなってしまったのかも知れない。彼女にとっての初めての
戦争だった。それ以外の対外戦争で攻め込まれたことはなく、本当に初めての大きな戦争だったのだ。
そして深い傷を残した。自分を許せないほどに、彼女は傷ついたのだ。
縋るようにして手を握ってくる彼女を見つめながら、アーサーは閑かに目を閉じた。
赦しを乞うのではなく赦されざる烙印を求めている