日本はしばらく連合軍の統治下に置かれることになった。






「もう秋ですねぇ。」






 縁側に座って、日本茶を飲みながら菊がのんびりという。

 とはいえ、目の前の庭先には焦げた木と黒い地面しか残されておらず、秋の訪れなんていまいち感じ
られない。家に戻れば空襲で家は半焼けで、庭はぼろぼろだった。菊はそれでも半焼けの自宅で暮らす
ことにした。アーサーとアルフレッドが微妙な顔をしたのは言うまでもない。家に戻った菊は一応監視 つき
で軟禁されているが、怪我が酷いこともあって医師を一人つけてもらって、じっとしている。

 毎日定期的に届けられる食材で料理を用意したり、近所の飢えた子にそれを配ったりと傷の痛みに耐
えながらも、どうにか日々を過ごしている。怪我をした体で家事をするのは大変だが、それでも毎日来 て
くれる妹が、ほとんどをこなしてくれていた。






「戻りました―。」






 の声が聞こえて、ぱたぱたと走ってくる音が聞こえる。何やら足音が多い。来客もいるのだろう
かと痛む体を気にしながら縁側に上がって室内に戻る。






「菊−、あ!!」





 丁度が襖を開けて入ってくると、目を丸くした。





「どうしました?」

「き、菊!だめです!!寝て無くちゃ!!!!」






 は狼狽して、持ってきた食材を取り落とした。後ろからきたアーサーが律儀にそれを拾っていくが
は真っ青の顔で菊に詰め寄った。






「ど、どうして起きてるんですか。痛みは、あの、」

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」






 菊はを宥めるように言って机の前に正座した。





「あまりじっとしていても、駄目ですしね。」





 言って腰を叩くと、は近くから菊の羽織をとってきて菊の肩に掛けた。






「最近は少し冷え込むんですから、気をつけてくださいね。」






 は心配そうに眉根を寄せた。あまり寒くはなかったが妹の心使いを有り難くうけとっておく。





「食材落としてどうするんだ。ほら。」





 アーサーが困ったようにをたしなめて、に食材を渡す。籠の中にはジャガイモだったりトマ
トだったりが入っている。随分たくさん持ってきたようで、アーサーは先ほどから重そうにしていると 思
っていたら、米らしき袋を持ってきていた。

 はイギリスのアーサーと共にGHQの官舎に住んでいる。夫婦であるのだからそこに問題は何も
ないが、ことある事に毎日菊の家に家事をしに来ていた。心配性なほどかいがいしく世話をしてくれる
妹に感謝すると同時に、菊は少し困ってもいた。

 夫であるアーサーはそのことを決して良くは思っていないからだ。





「わ、わたし、料理作ってきますね。」






 はアーサーから籠を受け取って、ぱたぱたと台所に走っていく。






「もう大丈夫なのか?」





 アーサーが困ったように尋ねる。





「大丈夫ですよ。本当はもっと動けるんですけど、が随分心配するので、のいる時はあまり
動かないことにしているんです。」





 最近足あたりの火傷にはかさぶたが出来て、どうにか座れるようになったが、まだ上半身の火傷はど
うにもなっていない。実は随分前から床からは起き上がれるようになっていたが、が心配するので
大人しくしていたのだ。






「あの子こそ、大丈夫ですか?」





 菊はのいる台所の方に目を向ける。





「聞いたのか?」





 途端アーサーは不機嫌そうに緑色の瞳を細めた。






「はい。アメリカさんから聞かされました。」






 菊は机の上で組んだ自分の手に目を落とす。

 目を覚ましたあの後、アルフレッドから自分の国のことと、についてのことを聞かされた。

 は沖縄で、満州で、そして他の戦線で兵士達がしたのと同じ行動をとった。自分で自分の命を奪
おうとした、と。胸を貫いたのは、菊がに与えた刀だった。彼女の胸には大きな傷が残っていると 、
アルフレッドは言っていた。それは身体的な傷だけでなく、精神的にも。


 菊は国。は心。

 太陽の神であるを国である菊が国をまとめるために、戦争を続けるために利用したのだ。
それに倣った。 いつもそうだ。は何も知らない。でも、義務は果たそうとする。日本に求められ
るす
べてを努力しようとする。権利を主張しない癖に義務は果たそうとするのだ。
 アーサーに会いたがっていたことは知っていた。ともにいたいと思っていたことも。でも彼女は菊を 選ん
だ。その理由は自分が生まれた由縁であり、菊が自分の分身であることを知っていたからだ。前の
が“おばあさま”と呼ぶあの人はいつも表に出るような人ではなかった。菊を前に押し出し て、
寂しくないようにと一緒に押し出して、消えた。


 と手を取り合って歩くことは、とても心地が良かった。一人だと思っていたのに、二人だと思う
だけで強くなれた気がした。小さな手を守らなきゃと躍起にもなれた。

 もいつしかを心のよりどころにしだした菊を感じていたのだろう。アーサーよりも国を選び 、
そしてそれがアーサーとの再会を望む心すらも押しつぶした。菊が追い詰めたのだ。天照の象徴 ―日
の丸を彼女が背負うようにと、逃れられないように。彼女はイギリスにいて、何も知らなかった。 実状も、
何も知らなかった。それでも、日本という心に従った。菊に従った。そして、心としての死を 願った。

 追い詰めた責任は、明らかに菊にあった。





「・・・・どこで間違ったんでしょうね。」






 開国の時、海外の人など嫌いだ、怖いと泣きじゃくるに、自分が頑張って強くなって、が泣
かなくて良いように頑張るからと言ったのに、結局彼女に頑張らせる羽目になった。酷い傷を与える羽
目になった。


 何故多くを望んでしまったんだろう。がいて、笑って、それで良いんじゃなかったんだろうか。

 守ってあげたいと思いながらも、本当はそうしてを守っていないと、崩れてしまう自分を、彼女
は気付いていたのではないかと思う。






「本当に、貴方には申し訳ないことをしました。」





 菊はアーサーに頭を下げる。

 彼だってと戦うのは苦しかっただろう。悲しかっただろう。再会を心から望んでいたはずだ。な の
を追い詰めてしまったが為に、彼女はアーサーのことを諦めざる得なかった。も、アーサ ー
も苦しかったはずだ。






「昔から、一発殴りたいくらいにおまえには苦い汁を吸わされたよ。」





 アーサーは不機嫌そのままに言い放つ。

 は幼い頃から菊といて、本当にお兄ちゃん子に育っていた。何か問題が起こる度に菊菊とうるさ
いのだ。何度それに嫉妬と苛立ちを覚えて喧嘩をしたかはわからない。





「今なら一発ぐらいなら、殴られても文句は言わないですよ。」





 菊は苦笑して言う。するとアーサーは菊の顔をじっと見て首を振った。





「無理無理、にそっくりのその顔で言うなよ。」





 ため息をついて、座布団を自分でひっぱてきて、座る。

 アーサーだって幾度となく菊を殴りたいことはあった。しかしながら、毎回その顔がに似ている
ために躊躇ってしまうのだ。菊とは背の高さこそ違うが、驚くほど似ている。流石に自分の妻をひ
ったぱたくことは出来ない。






「そんなに、似てますかね。」

「鏡見ろよ。そっくりだから。」





 菊は口元に手を当てて分からないとでも言うように言ったが、アーサーから見れば横に並べればあま
りにそっくりだ。柔らかな雰囲気もよく似ている。あえて言うならば、の方が弱そうだが。






「それに、は、昔に戻りたいんだそうだ。」






 アーサーは淡く笑って菊に言う。





「昔に、ですか?」

「あぁ、みんなで笑っていた頃に戻りたいんだそうだ。」






 言葉を聞いた菊が小首を傾げて、口元に手を当てて笑う。





「笑う、ですか。」

「だからここで喧嘩をしたら俺が悪者ってこった。」

「そうですね。アーサーさんは悪役面ですからね。呪いをかけてるって噂が。」

「おまえ、言うなよそれ。に、」





 アーサーは菊の頭を掴んで軽く後ろに押す。

 菊は笑いのツボにはまったのか、ずっと笑っていた。



だから想うのです