菊の家に行ってから、夜遅く官舎に戻ってきたは、シャワーを浴びてから部屋に戻った。
タオルで髪を拭きながら部屋に入ると、先にシャワーを浴びたアーサーが本を開いた体勢で寝転
がっていた。びしょびしょの髪の毛に上半身に服を着ることもなく転がっている。上がってきてから
時間もたっているから、ベッドの枕はすでに水の染みがついていた。
は自分の髪の毛の水気を拭いてから、近くにあったタオルをとってアーサーの頭にばさりと
かけた。
「?何しやがる、」
「拭かないと駄目です。これから寒くなるんですからね。」
半ば無理矢理金色の髪の毛を包んでふかふかと拭く。黒髪よりも何か頼りないから、優しく拭い
ていると笑われた。
「そんな丁寧にしなくても問題ねぇよ。」
はアーサーの言葉にふむと頷く。
剛毛と昔フランシスが言っていたのを思い出す。確かに金髪にしては随分しっかりしている。と
いうことはフランシスは将来はげるのかとぼんやりと思った。
「今、失礼なこと考えなかったか?」
「…貴方にとって失礼なことではないので気のせいだと思います。」
はひきつった笑みを返す。するとアーサーの方は意地の悪い笑みを浮かべた。
「セクシーだな。」
言われて、ははっと自分の姿を見直す。
せっかく羽織っていた浴衣ははだけて危うく胸元が零れそうになっていた。は慌てて襟元を
会わせる。自分の姿を見返してはいなかったから、気付かなかった。顔に血が上って頬を押えると
アーサーは笑っていた。
「そんな今更だろ?」
結婚してからもう数十年。一緒に住んでいたのは戦争まで30年以上。しばらく離れていたとして
も、長い命を持つ自分達の逢瀬は人間の誰よりも多い、はずだ。なのには相変わらず顔を赤く
して恥ずかしがる。
「そ、そんなの、わた、し、寝る時に裸っていうのですら、信じられないんですから!」
はふるふると首を振る。
そう言えば同じようなことを菊も言っていたと、イタリアのフェリシアーノから聞いた記憶がある。
あまりに恥ずかしがって目を背け、安眠どころではないから一応下はきちんとはくようになっ
たの
は彼女と結婚した頃だったか。一緒に住んではいたが部屋は別だったので良かったのだが、一
緒
になると耐えられないようだった。昔のことを思いだして、アーサーは思わず笑ってしまう。
「どうせ脱ぐんだから、どっちでも良いだろ?」
意地悪く言うと、は襟元を手で握りしめたまま凍り付いてしまった。
「なんだよ。毎日してるんだから良いだろ?」
彼女を日本から取り返してからと言う物、無理矢理も含めて毎日のように体を重ねていた。
と少しぎこちないながらも和解し、日本に連合軍として戦後処理のために来てからもそれは変わり
なかった。今まで会えなかった時間を埋めるように、そして日本に来てからはアーサーの不安のた
めに、毎日を抱いていた。本当に恥ずかしがるなんて、今更だ。
「だ、だって、」
は頬を染めて目線をそらす。その姿が面白くて、アーサーはますます彼女を虐めたくなる。
「それとも、なんだ?脱がして欲しいのか?」
「いえ、いえ、」
はこれでもかと言うほど首を振った。もう恥ずかしさで耐えられないらしく枕で顔を隠す。
「な、なんでそう言う事言うんですかっ、」
「おまえ、本当に面白いよな。」
「あ、アーサーは、経験豊富かも知れないですけど、わ、私は、にひゃく年そこそこしか、」
生きていないんですから!と狼狽えて言う彼女がとても可愛い。
確かにアーサーは遊びほうけていた時期もあるし、年齢も1000歳など優に超しているが、彼女は
江戸時代末期に生まれたと言うから200歳そこそこで、確かに彼女と初めてあったときは、アメリカ
だったアルフレッドと同じくらい小さかった。
ちなみに菊は2000歳くらいらしい。年上の癖に童顔なのがありえない。
「確かにな。初めてあった時の菊にへばりついてるちまいおまえとこんなことになるなんて考えも
しなかったぜ。」
と最初にあったのはアーサーがイギリス艦隊と一緒に来た本当に開国すぐの頃だ。菊の足下
でじっとこちらを見ていた子供が、まさか数十年で自分の妻になるなんて想像も出来なかった。
は漆黒の瞳をぱちりと丸く開いて、「そりゃぁ」と続ける。
「わた、しも、まさかと思いますよ。菊以外の人と、暮らす日が来るなんて、本当に、」
思いもしなかった。
そもそもが生まれた時は鎖国していて、外国の人間なんてほとんど入ってこなかったのだか
ら、外国の国と結婚するなんて誰が考えられるだろうか。
の体に触れれば、は少し顔を歪めた。
「まだ、傷、痛むのか?」
の体には第二次大戦で負ったたくさんの傷があり、菊と同じように癒えていない。痛みがあ
るのは当然だった。は自分の襟元を整えて、俯く。
「俺は来月イギリスに帰るぞ。」
「え、」
「イギリスも結構被害が出てる。いつまでもこっちにいるわけにはいかねぇ。」
アーサーは息を吐いてまだ濡れている髪を掻き上げる。
「そ、そうですか。」
「そうですかじゃねぇよ。おまえも、イギリスに帰るんだぞ。」
「え、?」
は目を丸くして首を傾げる。
「当たり前だろ。公式ではおまえは俺の妻で、イギリス側に身柄の拘束権がある。それはおまえと
俺が結婚したときに決められたことだ。」
結婚した時点で、日本である兄の菊はへの一切の権利を放棄しそれをアーサーに移譲する。
身柄の処遇を決める権利は、アーサーにある。それが、結婚の時の条件だった。
第二次大戦前、アーサーはが日本に帰りたがるので帰国を許可した。そのままいろいろな理
由をつけて帰って来ず、挙げ句の果てに菊が敵になったために敵に回ったは、ある意味では完
全にアーサーを裏切ったと言っても過言ではない。アーサーではなく、兄を選んだのだ。それは明
白
な事実だった。
しかし本来ならどちらにしろ、の処遇はアーサーが決めることが出来る。戦勝国であろうと
戦敗
国であろうと、関係ないアーサーの権利だ。離婚して牢に閉じ込めても問題はないくらいだと
いう
のに、今までのの行いを帳消しにして妻としてイギリスに連れ帰ると言っているのだ。何
を拒
絶することがあるのだろう。
「そ、そんな、菊だって、まだ、」
は嫌がるように後ずさって首を振る。
「、」
「嫌、だって、日本も、菊も、ぼろぼろなのに、わたし、ここに、」
帰れないとは言い募り、立ち上がって部屋の外に出ようとする。その腕を、アーサーは掴ん
だ。
確かに日本は今焼け野原で、菊も怪我だらけで、酷い状態だ。だってこれほどの傷を負って
いるのだから、直接日本と結びつく菊はもっと酷いだろう。兄であるのだから、彼女が彼を心配す
る
理由はわかる。わかるけれど、アーサーの苛立ちはもう極限まで来ていた。
「いい加減にしろ!」
アーサーはを怒鳴りつける。
「おまえ、勝手なんだよ!いつもいつも人の話をこれっぽちも聞かずに何でも勝手に決めやがって
菊菊って、おまえ、人の状況もちょっとは考えろよ!!」
ぼろぼろになったのは、菊だけではない。イギリスだってそうなのだ。なのに、はちっとも
そのことを理解しない。見ようとしていない。未だに、菊だけを見ている。
「こんなんなら、結婚しなけりゃ良かったんだ。」
「きゃっ!」
呆然とした面持ちで突然キレたアーサーを見ていたを、アーサーはベッドに放り込む。この
ままやってしまえば、この間と同じだ。心の通じ合わない行為を始めることになる。
そうわかっていても、アーサーはとまれなかった。
愛しているから愛してほしい