「家出、ですか…」
菊は事情を聞くと困った顔をしながら口元に手を当てて思案した。
「そうなんだよー。君、どこか思いつくとこないかい?」
アルフレッドも心配そうに尋ねる。その後ろではアーサーが相変わらず三角座りで沈んでいた。
最近菊に構い倒すを見て傷ついていただろうアーサーだ。その反動で言葉足らずで酷いこと
を言ったのだろう。もしくはやったか。だいたい菊には理由の根源は言われなくても、2人を見てい
てだいたいわかっていた。も嫌気がさしたか、はたまた酷いことを言われて傷ついたか、イギ
リスに帰りたくなかったのか。
もで、言わず実行がよくある。うまく言えないことの多いは誰にも言わずに自分の
意志で動くことが多いので、言ってほしいアーサーとはかみ合わないときがある。
「そうですね。いくつか心当たりがありますが…もうが官舎を出てから2時間以上ですよね。」
菊は時計を見る。もう5時半。が官舎を出たのは3時。2時間半という長い時間でまだどこから
も連絡がない。がひとりで来れば今の時期だしおかしいのは誰だって分かるから、GHQか菊
の所に連絡が行くだろう。2時間半連絡がないと言うことは、まだ目的地には着いていないと言うこ
とだ。
「外出許可をくださいな。少し遠出をすることになります。」
菊はよっこいしょと腰を上げて、近くにあったおにぎりをタケノコの皮に包む。
「遠出って、そんな遠くかい?」
「そうですね。あの子、お金持ってませんか?」
「さぁ、知らないぞ。」
アルフレッドは菊の質問に部屋の隅にちっこくなっているアーサーを見る。
「…持ってる。だって菊の所に飯作りに行くから…だから、持たせて、」
うぅっとアーサーがちょっと涙目になってまた俯く。アルフレッドは鬱陶しそうな顔をしたが、
菊は大人だ。
「アーサーさん。大丈夫ですよ。はちょっと日本に戻ってきて懐かしくなってしまっただけな
んですよ。」
「でも、いっつも菊菊って。それに、俺、結婚しなければ良かったって、言っちゃったんだ。もう
戻ってこねぇかも。」
意地を張って酷いことを言って、酷いことをして、今度こそ、アーサーに嫌気がさして出て行っ
て
しまったのかも知れない。そうならば、アーサーにはもうに会う資格はない。本気で泣きだ
し
たアーサーに菊はますます困った顔をする。
「それは、ないと思いますよ。」
「何でそんな自信満々に言えんだよ。」
思われている本人であるアーサーの方はもう何も言えないというのに、他人の菊になにがわかる
のだ。少しむっとして返すと、菊は穏やかに笑った。
「は結婚しなければ良かったっていう、それを気にして家出したんだと思うからです。」
ごそごそといろいろな物を探りながら、菊は言う。
「なんで、だ?」
「あの子が家出したのは一度きりです。昔、昔の話ですけど。」
まだ日本が開国してしばらくした頃、小さくて役に立たず、引きこもってばかりのを責める
ものもいた。幼いが出てきても出来ることは少なかっただろう。だから、菊は彼女が引きこも
っても良いと思っていた。でも、一度だけ苛々して、冷たい言葉をかけたことがある。
――――――――――貴方、神社に帰りますか?
声音には気をつけたつもりだった。根底にある、自分と暮らすのではなく、役に立たないから神
社に帰れと言う思いも、見せたつもりではなかった。菊にとってはただ自分だけに分かる、冷たい
言葉のつもりだった。けれどはその言葉と菊の意図するところを正しく読み取ってしまった。
家に帰っていないと聞いたときは、酷く慌てた。
は当時ひとりで外に出たことはほとんどなく、いつも人を連れていたし、いなくなることな
んて
なかったから、迷子の可能性だって考えた。でも、すぐに意図的に家を出たと聞いて、悪寒す
ら抱
いた。探し回って、それでも見つからず、途方に暮れたのを、菊は今でもよく覚えている。
「それで、は家出したのか?どうしたんだ?」
アルフレッドが興味津々に尋ねてくる。
「…ギルベルトさんが、迎えに行ってくださいましたよ。」
菊は小さく息を吐いた。
菊の家には当時、ギルベルトが軍制指南のために滞在していた。日本の軍の官舎から帰った彼も
また、の家出に驚いていたが、菊の話を聞いて、なんとなくのしそうなことがわかったら
し
く、すぐ迎えに行ってくれた。
「菊が迎えに行ったんじゃないのかい?」
「仕事がありまして、行くことが出来なかったんです。」
アルフレッドに答えた菊は風呂敷に自分の用意を包んで、アーサーの方を見る。顔を上げたアー
サーに菊はふっと笑いかけた。
「三重のお伊勢です。」
そこには天照大御神を祀る、伊勢神宮がある。の生まれた場所であり、魂のある場所。
「あの子は家出したとき、私の言葉を真に受けて、私に言われる前に帰ってしまったんです。」
伊勢神宮側も、がやってこれば無視することは出来ないし、が菊に連絡するなと一言言
えば、その命令を聞かざる得ないだろう。
「アーサーさん、あの子は貴方が嫌いになったのではなく、貴方の口から離縁だと言われるのが怖
かったんですよ。」
菊は風呂敷を持って立ち上がる。
「貴方たちはお忙しいでしょうから、を説得して連れて戻ってき…」
「俺もいくよー。なんか面白そうじゃないか!」
アルフレッドはにっと笑って手をぶんぶんと振る。
「だって、神域って奴だろ?なんかスピリチュアルじゃないか!」
そう言うのって大好物だよ!
アルフレッドは乗り気らしく、車で行く気でその辺の士官に車の鍵を借りた。
「君も行くよな。」
「…」
アルフレッドはアーサーにも話を振る。だがアーサーは俯いたままで首を横に振った。
「俺は…」
に会う勇気がない。菊の話を集約するならば、まだの心の中には自分がいるのかもしれ
ない。でもかもしれないであって、本当かどうかも分からないし、傷つけたのは本当だ。ましてや
にあってもまた酷いことを言ってしまうかも知れない。
「いけねぇ…」
「さぁ行くぞ!!」
がしりとアーサーの服の襟首が掴まれ、アルフレッドが清々しい表情でアーサーを縁側に引きず
っていく。アルフレッドは行く気満々だ。
「ちょっ、俺の話を聞け!!行かないって言ってンだろ!」
「俺がアーサーを連れて行くって言ってるんだ。ちなみに反対意見は認めないぞ。」
「俺はいけない!絶対愛想尽かされてる!!」
はアーサーの口から離縁という言葉が聞きたくないと言うが、アーサーだっての口から
そんな言葉聞きたくない。酷い、嫌いだと、泣き叫ばれるのだってごめんだ。自分は心ないことを
意地張って平気で言えるのに、卑怯だって分かっている。でも、聞きたくない。
「ひとまず俺はいかない、絶対にいかな…」
「うん。菊、そのあたりに紐はないかい?」
アルフレッドがくるりと菊を振り向く。心配そうに見守っていた菊は突然話を振られて驚きなが
らも、アルフレッドに着物を止めるための布紐を束で渡した。
「こんなもん、どうするんですか?」
「決まってるじゃないか、」
アルフレッドは清々しく笑って、アーサーの鳩尾を思いっきり殴る。
「てってめ!、」
「菊、押えるの手伝ってくれよ。」
アーサーが腹を押えてうずくまると、アルフレッドは菊の手伝いを受けて、アーサーの手足をぐ
るぐるまきにして拘束する。菊はアーサーが死なないかと不安になったがアルフレッドは遠慮なく
縛っていく。
「…良いんですか?」
「このほうが運びやすいじゃないか。」
アルフレッドはずるりと紐を引っ張ってアーサーを引きずっていく。菊はふたりのやりとりを久
々に見ながらふふっと笑った。
きれないきずな(あるいは きれいなきずな)