はぼんやりと木で作られた柱に手をついた。

 ここにいたおばあさまはもういないし、長らくは此処に帰っていなかったから、ほとんど
を知る人もいない。ただ形式上はやはりをここにいれるのは問題ないらしく、相変わら ずあ
っさり中に入れてくれたし、GHQにいるアーサーやアルフレッドに連絡しないでというと 連絡もし
ないでくれたようだ。ただ、おそらく菊にはばれているだろうが。




 ――――――――――おばあさま、




 皺だらけの手のおばあさまと、綺麗な白い手をした菊。手鞠を投げて遊んでくれた。ぽむぽむ
と地面を弾む鞠。緩やかに流れていく世界。

 菊は忙しくてあまり来てくれることはなかったけれど大好きで、一緒に住めると言われたとき
にはとても嬉しかった。おばあさまが消えてしまった日はふたりでこの神社で空を見上げた。




 赤い空。それははじまりの歌だった。

 苦難の始まりだった。黒船、開国、戦争、苦難の連続で、傷つく菊を見ることになった。助け
ようと一生懸命頑張って、頑張って、それが結局菊を傷つける結果になった。

 自分の愛した人を、傷つける結果になった。





 ――――――――――





 アーサーがに手をさしのべる。

 海外への世界を、広げてくれた人。日本という極東を大国にのし上がっていく上で、一番重要
な役割を果たしたイギリスをその手に持つ彼は、を愛してくれた。初めて菊以外の人を好き
になって、手を取った。


 小さな世界ではなく、大きな世界を見せてくれた。





「でもね、」





 菊を傷つけてアーサーを傷つけて、の得られた物は何だったのか、よくわからなかった。





 ――――――――――こんなんなら、結婚しなけりゃ良かったんだ





 突きつけられた言葉はあまりに冷たくて、どうすれば良いのかわからなかった。もうそれ以上
彼の言葉を聞きたくなかった。

 菊の所に帰れば迷惑がかかるし、怒られてしまうだろう。ならばと思ったのが、故郷であるお
伊勢だった。伊勢はの勢力範囲で、菊であろうとも勝手出来ない。それが分かっていたか
ら、結局伊勢に逃げてきたのだ。






「あの、様。」





 外にいた女性が、に声をかける。






「来客です、が。」

「いないって言ってください。」





 が一言言うと、彼女も逆らえないと分かっているから、物言いたげな様子ながらすぐに退
出した。

 もうこのまま伊勢で引きこもって余生を送ってしまった方が、心穏やかかも知れないとすら思 う。
菊が回復するまでは日本にいたかったし、アーサーから冷たい言葉をかけられるのはごめん だ。
伊勢ならば引きこもり生活も許してくれる。 

 戦争は終わった。はもう、いらないのだから。





「…そう、だよ、」





 戦争が終わったら、思想のは必要ない。菊だってもうに用はないかも知れない。ぼん
やりしていたらどんどん自虐的になってきた。





「失礼しますよ。」






 部屋の向うにある庇に人影が映る。柔らかな声音は、自分のよく知る菊の物だ。御簾越しに見
て、は思わず部屋の奥に隠れた。彼の隣には背の高いアルフレッドとおぼしき影があり、肩
にはアーサーとおぼしき固まりまで抱えていた。






「すごーい。これがエスニックスピリチュアルって奴だな!!」

「離せ、離せよ!!」

「うるさいよ。君。耳元でぎゃんぎゃん叫ばないでくれるかい?」

「ひぎゃ!!」






 アルフレッドがアーサーとおぼしき固まりを庇に放り出す。あまりに痛そうな悲鳴が上がった
ので駆け寄りたかったが、勇気がなかった。

 ひとまず頭を落ち着かせようと襟元をきゅっと掴もうとすると、袖が邪魔して手が出ていない
ことに気付いた。首を傾げて手を出して襟元を整えようとすると、変に襟元が開いていた。変な
感覚だ。気付かぬうちに着崩れていたのだろうか。


 襟元を整えながら鏡はあっただろうかと周りを見回して、供えてあった鏡を見て、は絶句
した。





「どうしたんだい?」





 アルフレッドが御簾の中にいるの不穏な雰囲気に心配そうな声を上げる。





「ぇ、嘘、え、えぇ!!」





 そこには確かに自分が映っている。憂鬱そうな表情をしたが映っているわけだが、確かに
自分だが、あまりの違いに衝撃を受ける。





「菊、菊ぅ!!!!!」






 思わず真っ先に叫んでいたのは兄の名だった。






「ど、どうしたんだ!?」

「アーサーは入ってこないでください!!」





 アーサーが焦った様子で叫んで、御簾に手をかけるが、が鋭い声で制止する。アルフレッ
ドと菊は顔を合わせてアーサーには見えないように御簾の中をこそっとのぞき込む。


 そこには小さながいた。

 最近は大きくなって20代過ぎくらいの姿をさらしていたが、御簾の中にいるのはどう見ても13
、4歳そこそこ。欧米的な常識で行くならばもっと若くすら見積もれる。





「どうしたんだい、。随分キュートだね。」





 アルフレッドはきょとんとして、首を傾げる。





「貴方、…そうですね。なるほど。」





 菊は納得して頷く。は天照の化身だが、宗教を政治に用いていた時代は戦後終わった。 

 そのためには小さくなってしまったのだろう。ただ、この程度で済んだのは、やはり根強 く日
本の中にその思想があるためだ。





「ふ、ふぇえ、ええ、」





 は溢れてくる涙を止めることが出来なかった。

 こんな小さい少女の姿じゃ、アーサーのところに戻れるはずもない。奥さんなんて言っても、
変わりすぎてしまった。どうしよう、どうしようと泣きじゃくれば、菊がそっと頭を撫でた。





「大丈夫ですよ、小さくなっただけじゃないですか。」





 菊は幼い頃のも知っているから、別に抵抗がないのだろう。





「そうだぞ。ちっちゃくて可愛いぞ。」

「でも、うぅ、ひっ、もぅ、無理、此処で暮らすぅ、ひっ、」





 こんなに小さくなって、アーサーだって大好きなセックスだって出来ないし、今度こそ嫌だろ
う。嫌われてしまうならば、もうここから出たくない。






「これこれ、アーサーさんだって迎えに来てくださったのですからきちんとお話ししなさい。」






 菊が穏やかに言ってのあわない着物を着付け直す。

 袖が長いのだが、着物なんて言う物は元々裾も長く着付けさえ知っていれば大丈夫だ。だから
適当には形になる。だが、着物が形になっても姿が縮んだら意味がない。





「別に話したくなかったんだったら良いんだからな!!俺だって、」





 話が見えないアーサーが叫んだ。それはツンデレ全開な叫びだったが、はひくりと喉を引
きつらせてまた泣きだした。菊はため息をついて御簾の外にいるアーサーを眺めたが、アルフレ
ッドはもっと容赦がなかった。





「君さぁ、いい加減にしろよ。」





 御簾の外に出て腰に手を当てる。





「何だよ、俺だって…」





 アーサーは元弟に詰め寄られて、それでも一応強気で返す。





「俺だって、何?」





 アルフレッドが思いっきり冷ややかにアーサーを見下す。





「飲み屋で呑みまくってあげくが構ってくれないだの、菊より俺に構って欲しいだのぐちゃ
ぐちゃ泣き叫んどいてさ、君、を前にしたら偉そうにしか口聞けないわけ!?」






 ツンデレだかなんだか知らないが、何故本人を前にすると態度を変えて強気になれるのか、後
から泣く癖に意味が分からない。アルフレッドは元兄に青筋を立てて切れる。





「もうが可哀想で俺黙ってられないよ!俺がもらうよ。」

「その辺に、しておいてあげたら、どうですか?」





 菊がアルフレッドを止める。床にはもう何も言うことが出来ないしょんぼりしたアーサーが沈
没していた。





「ほら、エスは打たれ弱いからエスだって言いますしね。」

 










まったく 君って人は馬鹿で馬鹿すぎてしょうがねぇよ