菊はアーサーとアルフレッドを落ち着けてから御簾の中に入れた。

 アーサーはの小さくなった姿に驚いたが、それでも何も言わなかった。





「はいはい。まず皆さん落ち着きましたね。」





 菊はのんびりと言って、膝に縋り付くの頭をあやすように撫でる。緋色の着物を着た
はまだぐずぐずと鼻をすすってはいたが、落ち着いたようだ。対するアーサーも同じように鼻の 頭
が赤くなっている。





「夫婦揃って泣き虫さんですね。」

「だな。おそろいだ。」






 アルフレッドが大きく頷いて床に座る。

 も菊に促されて身を起こすが、結局アーサーの目が怖いのか、菊に身を寄せた。アーサー
は思わずむっとする。それにがまた怯んだ。





「強面はもてないよ?」

「うるせぇ!!」

「今更顔まっ赤にして怒ったって怖くないよ。」





 アーサーが言い返すのを簡単にいなして、アルフレッドはの方に目を向ける。





「まぁ、まず、アーサーさんにひとつ言っておきます。しばらくの情緒不安定は許してあげ
てください。国民が皆不安なのです。この子は日本の心なのですから。」





 菊はそっとの頭を撫でる。

 は今は菊と同じく国であるが、元々は日本の心と大きく繋がる物だ。今、日本の国民は大
きく傷ついている。だから、が情緒不安定になるのも仕方が無いのだ。同じように幕末、
は非常に情緒不安定になって、夜泣きも酷かったから、菊はなんとなくは分かっていた。







「そして、、貴方はイギリスに行きなさい。」





 菊は落ち着いた目をに向ける。





「ぇ?」





 が酷く狼狽えた目で菊を見上げる。アーサーも自分の援護に出た菊に驚く。





「い、いや、嫌ですっ、わたし、は、もぅ、」

「貴方はアーサーさんとうまくいかないから、日本に帰ってくるのですか?」





 縋り付くの手を握って、菊は尋ねる。





「少し冷静にお考えなさい。そして貴方が本質的に帰る場所はどこですか?戦争は、終わったの
ですよ。」





 もう母国に帰る必要など無い。ましてやアーサーに望まれているならばなおさらだ。はア
ーサーと結婚した。アーサーを選んだのだ。ならば、母国の戦争が終わった限りは、夫であるア
ーサーに従うべきだ。





「だって、ひっ、こんな小さく、」





 小さくなったからもう戻れないと泣くを抱きしめて、菊はぽんぽんと背中を撫でる。





「それを決めるのは貴方ではありません。アーサーさんです。」





 体を離して、涙で揺れる黒い瞳を見据える。それは菊とが共通で持つ、同じ色。水の膜の
掛かった漆黒を、菊は自分達らしいと思う。





「離縁されたら、帰還を許しましょう。それ以外は、アーサーさんとともにいらっしゃい。これ
は絶対です。」





 菊は身を離してアーサーの隣に座るように促す。が座るべきは兄である菊の隣ではない。
結婚した限りはアーサーの隣だ。立ち位置を間違うのは良くない。

 それでもは手を離されてもどうすれば良いか分からないようだった。床に座り込んだまま
呆然と俯いている。





「貴方は日本人です。女は嫁ぐ前は父兄に従い、嫁いでは夫に従う。当然でしょう。」





 少し厳しい声音で言うと、はびくりと肩を震わせた。

 なかなか動かないに、菊は眉を寄せる。ここまで言っても駄目かと頭を抱えたくなる。本 当
に甘やかしすぎたのかも知れない。一応結婚したら夫に従えと言ってあったが、確かに甘やか し
た記憶はある。だがぼろぼろと涙をこぼして泣くは可哀想だ。


 可哀想になってきた。






「あ、あの、否、帰ってくるなって意味じゃないんですよ、帰って来てくれると嬉しいんですよ
いつでも、ね、えっと…」

「菊、さっきの科白台無しだぞ。」




 アルフレッドが半目で一応突っ込む。





「そもそも私はこういう役は向かないんですって〜!」





 菊は結局泣きじゃくるが可哀想になって抱きしめてしまう。





「確かに、菊が怒るのって想像できないんだぞ。ひとまずアーサーが大好きだったら良いん
だろ?アーサーは離婚しちゃっていいのかい?」






 アルフレッドは菊に言っても無駄だと分かったのか、くるりとアーサーの方を見る。菊も縋る
ような目をアーサーに向ける。

 決定的な発言を向けられたアーサーはうっと怯んだ。





「はっきり言わないならアメリカに連れてっちゃうぞ。良いよな。菊。」





 を後ろからアルフレッドが抱きしめる。むぎゅっと言った雰囲気で抱きしめるのを見て、
アーサーは菊の時以上に狼狽えて見せた。





「…仕方ないですね。まぁ離縁が決まったら良いですよ。」

「本当かい?俺、女の子って憧れてたんだ。可愛いし。」

「そうなんですか?まぁ確かに妹は良いですけどね。手がかかっても可愛いし。…アルフレッ
ドさんとか見てたら、もの凄く…」

「なんだいそれは。」

「まぁ…ごついギルベルトさんとこの弟みたいなのも、ちょっとごめんですね…」

「よくわからないけど、結局が良いって事だよな。女の子が良いよー」






 ぐりぐりとアルフレッドがの肩に擦り着くから、は悲鳴を上げた。途端、アルフレッ
ドの腕からアーサーがを取り上げる。





「勝手に話を進めんじゃねぇ!」





 アーサーはをぎゅっと抱きしめる。





「俺は絶対離婚なんかしない!!絶対絶対だ!!!」





 思いっきり声の限りに叫ぶ。

 何があっても、酷いことを言っても、彼女が好きなことに変わりないのだ。ちょっと気まずい雰
囲気とか、敵同士で大変でしたとか、そんなの関係ない。今でもが好きで堪らない。絶対
に誰かに渡したくない。離婚なんて絶対にしたくない。





は俺の物なんだ!!!」





 ぎゅっと腕の中のを抱きしめる。菊は目を丸くして、アルフレッドがぽかんとした表情で
歩み寄ってくる。





「なんだよっ!」





 アーサーは涙目でをとられまいと自分の腕に抱き込む。





「君、言えるじゃないか。なんでそのデレを本人の前ではっきり言えないんだい?」





 アルフレッドが呆れたように腰に手を当てて言う。

 アーサーがはっとして我に返り、の方を見る。はアーサーの腕の中でまっ赤な顔をし
ていた。






「ち、違う!これはお前の為じゃなくて俺のためだ。俺のためなんだからな!!」

「うん。全然の為じゃないぞ。」






 アーサーの焦った言い訳の言葉に、アルフレッドが一言言って、腕組みをした。





「まったく迷惑かけないでくれよ。そして意思疎通の図れないバカップルはとっととお国に帰っ
て愛を育むと良いよ。俺は菊と仲良くするから、」

「そうですね。アメリカと協力して早めに立ち直ることにします。周りの情勢も、危ないですし
ね。」





 よっこいしょと菊は立ち上がる。腰は相変わらず重そうだが、隣のアルフレッドは若い。物資
も豊富で、ロシアとの対抗のためにも、日本である菊に援助は惜しまない。





「なんだか小さくなってしまいましたが、貴方はもう、子供ではないんですよ。しっかりしてく
ださいね。」





 菊はアーサーに抱きしめられているの頭を撫でて、ふわりと離れていく。





「さぁ、帰りましょう。」

「今度は女ありのロードムービーだぞ。」





 アルフレッドが楽しそうに笑って、に手をさしのべる。はアーサーの方を見てから、
アーサーに促されて困ったようにに手を取るように促す。

 はアルフレッドの手を取ったが、アーサーの手も離さなかった。




後悔しています こんなに も