GHQの官舎にとアーサーをおろすと、アルフレッドは菊を送っていくと車を回した。
アーサーに手を引かれながら、は彼の自室に戻る。

 小さくなってしまった体のせいか、いつもよりアーサーに引きずられるような感じがして、
は既に部屋にいたる廊下で泣きそうだったが、部屋に入るとどうすれば良いのかわからず
立ち尽くした。





「はぁ、疲れた。」





 アーサーはの手を離して、真っ先にベッドへと仰向けに転がる。車に揺られて東京から
三重まで迎えに来たのだから、当然と言えば当然だ。も体が鈍い痛みを放っていて疲れて
いたが、動けなかった。





「何してんだよ。疲れてんじゃねぇのか?」






 アーサーがいつまでもベッドに来ないへ声をかける。はじっとアーサーを見たが、
近くにあったソファーに腰を下ろした。少し長い着物の袖が落ち着かない。小さくなってしま
った体をアーサーに見られるのが酷く恥ずかしい。ぎゅっと着物の胸元を握っていると、ぎし
りとベッドが鳴る音がした。

 アーサーがソファーに座るの前までやってくる。は彼の翡翠の瞳に自分がどう映っ
ているのか不安で、顔を上げることが出来なかった。





「…なぁ、、」





 アーサーが名前を呼んで、ソファーの背もたれに手をついての顔をのぞき込む。






「おまえは、俺をまだ愛してるか?」







 真剣な低い声が、に問う。驚いて視線を上げると、翡翠の瞳に捕らえられた。目を、そ
らせなくなる。緊張で、喉から声が出ない。





「わたし、小さく、」

「そんなこと、聞いてるんじゃねぇよ。」






 吐き捨てるように冷たい声が降ってきて、答えを求める。だが答えが返ってこないのが分か
ったのだろう、アーサーは背もたれに着いた手でソファーを押して反動で体を起こし、ため息
をついてベッドの上に上着を放り出した。ついでにネクタイを緩める。





「…おまえ、日本に残れよ。」

「え?」





 突然の言葉に、は目を丸くする。あれほどイギリスに自分を連れて帰ろうとしていたの
に、あっさりとその言葉を翻され、突き放されるような感覚を受ける。

 やはりこの小さな体ではアーサーに応えることも出来ないし、いらないということなのだろ
うかと、自虐的なことを考える。日本に残りたいと思っていたのは自分だというのに、実際に
言われると酷く心乱れた。小さく、なってしまったからだろうか。

アーサーの後ろ姿は酷く遠く映る。





「嬉しく、ねぇのかよ。」





 アーサーはふっと振り向いて、感情を押し殺した声でに問う。 

 返すことも出来ずにはアーサーを見ると、やはり怒っているのか、彼の翡翠の瞳には憤
りが見えた。いつもは優しすぎるほど、彼は優しいけれど、酷く激昂することがあるのを、
はよく知っている。びくりと身構えると、案の定アーサーは外したネクタイに八つ当たりす るよ
うに床に投げ捨てた。






「おまえはいつもそうだよ!俺にはろくに話しもせず、本心なんてこれっぽっちも言わない!
行き詰まって困ったら菊、菊!俺の気持ち、一度でも考えたことあるか!?」





 心を言葉にするのが、苦手だった。すれ違うといつも菊やギルベルトを頼りにして、どうに
か解決をつけてもらう。それがいつもの術だった。菊が助け船を出してくれることを心のどこ
かで知っているから、は逃げる。

 アーサーの激昂は当然の理由を含んでいて、はぐっと押し黙って泣きそうになった。





「いつもそう!俺が思うほど、お前は俺を思ってない!!」




 好きだ好きだと、いつも言ってくれる。多分な愛情を与えてくれるアーサー。同じだけの愛
情を返すことは、出来ていない。返したいと思っているけれど、やはりうまく返せない。言葉
に出来ない。伝える方法が、分からない。

 だから、アーサーの訴えは当然だった。好きだよの一言も、なかなか伝えられないのだから。

 自分の感情を押し出して、アーサーははぁと荒い息を吐いて、ベッドへとどさりと体を横た
えた。





「おまえが望むなら、もう好きにすりゃ良い。でも、離婚はしない。絶対にだ。」





 アーサーは疲れ、諦めたように呻いた。一体、どうすれば良いんだろう。はぽたりと涙
をこぼして、アーサーのいるベッドに歩み寄る。腕で顔を隠した彼は、こちらを見ようともし
ない。





「…アーサ、」

「何も聞きたくない、疲れた。」

「あー、」

「黙れ」





 名前を呼ぼうとしても、拒絶される。

 彼はいつも求めてくれた。無理矢理でもを求めた。それが今は突き放している。応じて
くれないのに求める辛さは、こんな感じなのだろうか。は初めて感じた。気付かないうち
に、はこうして彼を拒絶していたのだろうか。






「ひっ、ぅ、」

「泣くなよ。うるさい。」






 冷たい声音が耳を打つ。必死で涙を拭って声を押し殺す。ベッドの上にあがって、アーサー
を見るが、腕で顔を隠したまま、彼は動こうとしない。


 一体どうしたら、良いのだろう。


 アーサーの方に手を伸ばす。顔は手で覆われているので、何も出来ない。どうすれば良いの
かわからなかったが、いつもアーサーがしてくれるように、そっとアーサーの首筋に自分の唇
を寄せた。





「おい!」





 アーサーがの肩をぐっと掴む。





「…ご、ごめんなさいっ、気持ち、悪い?あ、さぁが、いつも、する…から、」





 は頬を伝う涙を袖で拭いながら、今の行動を弁解する。恥ずかしい。酷く恥ずかしい。はし
たない。





「あーさ、好き、ごめんな、さい、好き、だから。だからっ、」




 もう自分でも何を言っているのか分からなかった。恥ずかしさと彼を好きだと思う気持ちと
がごちゃ混ぜになる。涙が止まらない。頭の芯が壊れたように熱くて、涙ばかりが出てくる。

 アーサーをぐちゃぐちゃの顔で見下ろしていると、彼は驚いたような顔をしながら落ちてく
る涙を拭った。





「なぁ、もっと言えよ。」

「う、ぁ、」

「愛してる?」





 尋ねられて、は頬の涙を袖で拭いながらこくこくと何度も頷く。だが、言葉にしなかっ
たのが駄目だったのだろう、アーサーの眉が寄った。

 それを見ては目をきつく閉じて恥ずかしさに震えながらも、口にした。





「好き、ぁ、あいして、る。ごめん、なさい、」





 ここまで来る前に、きちんと言えれば良かったのだろう。もう恥ずかしさだとか色々なもの
が混在する頭は、上手く働いてくれなかった。

 アーサーは身を起こして、の体を抱きしめる。いつもより小さい体を抱きしめられれば
昔菊に包まれていたことを思い出す。でも、兄と違ってどきどきして、いつも落ち着かない。
だから、何も言えなくなってしまう。





「もっと素直にいろんな事言えよ。くだらないことでも良いから。おまえわからないんだよ。」

「だって、ひっ、はずか、しいです、し、」





 恥ずかしくて、は自分の顔を手で覆う。





「…おまえ、日本にいたいのか・・」





 アーサーが表情を曇らせたまま、の頭を抱きしめる。





「そ、それもっ、わかん、なっ、…菊しんぱっ、でっ、でも、」





 にとって菊はかけがえのない兄で、大切な人で、でもそれはアーサーもだ。きっとアー
サーが菊のように大怪我をしていても一緒に居たいと思っただろう。それはアーサーが嫌いな
のではなくて、どちらが切羽詰まっているかという話で、大怪我をしている菊が心配なのだ。





「…そっか。」





 アーサーは複雑そうな表情ながら、やっとの言葉の意味を理解できたようだった。





「俺が、嫌だから、帰りたくないわけじゃ、ないよな。」

「ち、ちが、違います!!」





 は大きく首を振った。まさか、そんなことはない。絶対に。必死の形相で否定すると彼
も分かってくれたようだ。菊が心配で、兄と一緒に居たい気持ちは、裏を返せばアーサーとい
たくないとか、アーサーが大切ではないとか、そう言う訳ではない。





「良かった…」





 はき出された言葉は、酷く嬉しそうで、これほどまでに苦しめていたのだろうかと心が痛ん
で、戸惑いながらもはアーサーを強く抱きしめた。




叫んでも聞こえないのなら届かないのと同じです