待って、待って、
見慣れない服を着た少女が前を走っていく。ひらひらと舞うのは彼女の服についている、な
んだろうか。自分は相手を知らないのに離れて欲しくなくて、一生懸命に追いかける。でも手
は届かない。ヨーロッパの奴らとは違う、漆黒でまっすぐの髪が風に揺れている。少女が振り
向く。髪と同じ、宵闇の瞳がアーサーを映す。
あぁ、そう、そうしていて、違う物など映さないで、自分を見て。そのまま、そのまま、
「また、か。」
アーサーは見慣れない天井を見上げる。
フランシスにおまえは記憶喪失だと言われたその日から、ずっとずっと夢見ていた。眠る度
に、彼女の夢を見ていた。
記憶喪失なんて、昨日まで海賊として呑みあさったり、遊んだり、奪ったりした記憶がある
のに、どうして次の日になったら300年後の世界に来ているのだ。そう思っても、周りは明らか
に今まで住んでいたところと違って、戸惑った。
フランシスもずいぶん落ち着いて(というか弱くなって)、張り合いもなく、唯一張り合い
が
あったのがギルベルトくらいか。
夢で見た黒髪の少女が、自分の妻だと言われても、正直ぴんと来なかった。でも、他の男が
彼女に近づくと苛々するのだ。彼女はフランシスともギルベルトも、彼女の兄だとか言う男と
も
仲良しだ。それがもの凄く不快だった。
その上こっちが触ると複雑な表情をする。アーサーを大切に想いながらも、今のアーサーを
拒絶して葛藤する姿はなかなかそそるものがあったけれど、正直触ることも許されず、むずむ
ずしていたのだ。
「…・」
アーサーは自分の腕の中で疲れて眠っている少女を見やる。
小柄で年も若いため、なんだか自分がロリコンみたいで嫌だったがアーサーも寂しかったけ
れど、きっと彼女も寂しかったのだろう。恥じらいながらも必死な表情で縋り付いてくる彼女
は
可愛かった。あ、前言撤回。ロリコンでも何でも良い。
酷くしたから、首筋には歯形がついているし、血がにじんでいるところもある。優しくして
やり
たい気もしたが、久々で押えられなかった。そう、アーサーは浮気なんてしていない。た
だ
酒を飲み過ぎていただけだ。パブで酒を飲んでいたらいつの間にか朝になっていて、帰りかた
が
分からなくて迷子になっていた。フランシスは鋭いが早とちりな所がある。
「綺麗な髪、」
長くて艶やかな黒髪を手に絡めて、アーサーは言葉を零す。
多分高く売れるだろう。それくらい手触りは良いし、滑らかだ。肌は確かに自分達より白く
はないがきめが細かくて綺麗だ。傷も少ない。
「うぅ、〜ん、」
が目を覚ましたのか、のろのろと身を起こしてとろんとした目をごしごしと手で擦る。
タオルケットが肌を滑って、華奢で未成熟な体があらわになる。寝ぼけているのだろう。昨日
もそうだったが、彼女はシャイだった。
「ん?あぁ!」
眠たげに首を傾げてアーサーを見ていたが、裸であることに気付いて慌ててタオルケットを
引っ張って体を隠そうとする。
「おいおい、別に隠すなよ。今更だろ?」
アーサーがタオルケットを引っ張れば、彼女はまっ赤な顔でタオルケットを取り返そうとし
た。
「良いじゃねぇか?な?」
座る彼女を押し倒す。ベッドがバウンドして、彼女が仰向きに倒れたところを、間髪いれず
に上にまたがる。
「や、やめてください!あ、朝ですよ!?」
は顔をまっ赤にしてアーサーに言う。
「朝だからって別に、やることは一緒だろ?」
「ち、違、い、痛っ、」
アーサーは優しく腰を撫でたが、が悲鳴を上げる。の白くて薄い腹の横側には、ア
ーサーが昨晩酷く掴んだのだろう。青痣が着いていた。
「こりゃひでぇな。」
夢中だったから忘れていたし先ほどはタオルケットで隠れていたが、全身を見ると彼女は酷
い
状態だった。手首やら太股には手の痕や爪の痕がついている。肩や首には噛み痕。こちらは
血
まで滲んでいる。
最後の方はアーサーもよく覚えていないが、熱に浮かされたがやめてやめてと懇願して
いた気がする。彼女は感じやすい体質なのか、それとも慣れていないのか、よく気をやるから
かなり辛そうだった。アーサーもいっぱいいっぱい抱いたから、彼女はもっと厳しかっただろ
う。
「シャワー、浴びるか?」
この感じではは立てないだろう。アーサーが尋ねると、は本当に恥ずかしそうに頬
を染めながら、こくりと頷いた。
彼女の体を労りながら抱き上げ、バスルームへと向かう。ユニットバスでバスはあるけれど
それほど広くはない。お湯につかりたくて、を抱いたままお湯が溜まるのを待つことにし
た。まだは眠たいのかお湯が溜まり始めると、アーサーにもたれたままぼんやりとしてい
た。適当にその当たりにあったバスソープをひっつかんでいれる。すると泡が立って、薔薇
の
においがした。あまりきつくはない自然の香りが鼻腔をくすぐる。汚れを落とすように軽く
の体を撫でると、彼女は嫌がるように身を捩った。
「寝んじゃねぇぞ。こんなとこで、」
「はい、…」
一応返事はしているがいまいち当てにならない。実際に漆黒の瞳はとろんとしていて、うと
うとする状態だった。
桃色に染まった水の中で、柔らかな黒髪が浮いている。こればかりは少し気味が悪いなと思
いながら、の髪を水に濡れた手でそっと掻き上げてやる。本格的に洗うのは少し難しそう
だから、撫でるようにしていると、彼女は心地よさそうに笑った。
「、」
「…はぁい?」
日頃よりも一際ゆっくりと首を傾げる彼女は、やはり眠たいのだろう。
「なぁ、俺の記憶が戻らなかったら、お前はどうすんだよ。」
アーサーは拗ねたように彼女に言った。
前のアーサーをが好んでいるのは知っている。そりゃそうだ。こんな乱暴な男嫌だって
思うのは当然で、少しだけ自己嫌悪に苛まれる。でも、それを自重して優しく術をアーサーは
持っていない。とともにいたアーサーは持っているのだろう。羨ましいと思う反面、今は
アーサーを愛してくれるも、いつか嫌気がさすのではないかと思う。
「そうですね…、別にどうもしませんね。」
はやっぱりぼんやりしていたが、はっきりと言った。
「だって、結局、アーサーと、変わりませんもの。」
何も変わらないと、は小さく笑う。
「わたしが好きになったアーサーは、意地っ張りで、泣き虫で、でも優しいのは、同じですか
ら。少しくらい乱暴でも、そこが同じなら、良いんです。」
彼の本質は意地っ張りで泣き虫で、優しくて、そう言ったことが、粗暴や乱暴だという表に
見せ
る表情によって変わるわけではない。彼の本質がそこにある限り、はアーサーを好き
でい
られるし、何度だって好きになれると思う。
「そう、か。」
アーサーは納得したような、複雑そうな顔をして、の肩に顔を埋める。
多分、否絶対、顔がまっ赤になっていることだろう。にそんな表情を見せたくなくて、
花を肩にすりつければ、くすぐったそうにが笑った。
「ちょっと待ってろ。タオル持ってくるから。」
アーサーは立ち上がり、先にバスタブから上がる。タオルをとり、近くのバスローブをとっ
て羽織る。
「よし、」
にバスタオルを渡して、抱き上げようと腕をまくる。は立ち上がれないので、膝を
ついて彼女を抱き上げようとした時、膝が濡れた床を掠めた。つるりと滑る。体が、バランス
を崩した。
「え、」
の小さな驚きの声が響いたと同時に、アーサーはバスタブの端に額を強打することにな
った。
「ちょっ!え、この状況で!!?」
があまりの事態に戸惑いの声を上げるのをどこか遠く聞きながらアーサーは記憶を失っ
た。
全てを捨てたとしても失くせないものあるでしょう 結局は