恥なんて生ぬるい物ではなかった。

 アーサーはバスタブの縁に頭をぶつけて昏倒してしまっていて、起きる気配がなく、挙げ句
の果てに血がたくさん出ていた。国だからそう簡単に死ぬことはないだろうが、ひとまず
はアーサーのやり過ぎで立てない。

 このままの状況ではアーサーを助けるために人も呼べないから、仕方が無いからバスタブか
ら這って出て、頑張ってバスタオルで体を隠したまま、近くにあった携帯電話をひっつかんで
まだロンドン滞在中の兄に緊急コールをした。部屋まで行く気力はなかった。



 幸い菊がギルベルトとルートヴィヒを連れてきていたので、ひとまずギルベルトとルートヴ
ィヒがアーサーを病院へと運び、菊はを部屋に運んで服を着させるということになった。
アーサーの怪我は幸い血の量の割に大したことはなく、別に問題はなかった。

 そして、状況が状況だっただけに目が冷めると冷ややかな目で彼を見つめる三人に、アーサ
ーは日本で言う土下座をしたのだった。






「本当に申し訳ございませんでした…」






 記憶がすっかり戻ったアーサーは、自分の行いもきちんと覚えていたらしい。には泣き
そうな顔で謝りの兄である菊に土下座をすることになっていた。なんだかんだ言って
の兄貴分をしているギルベルトにもたいそう迷惑をかけたから、土下座も当然だ。





「あ、まぁ、記憶、なかったわけですし。」





 はそう言って事を丸く収めようとしたが、菊とギルベルトの冷たい瞳はそう穏便に片付
けようとはしていなかった。






「記憶がなかったあったではなく、男として最低だと思いますが、」





 フランシスからも話を聞いていた菊は、冷ややかな漆黒の瞳をアーサーに向ける。


 幸か不幸か、どうやらフランシスが言っていた浮気の話はない。あり得ない、ただ単に酔っ
ぱらってその辺で転がっていただけだ。女の家に入り浸っていたとか、そう言う事はない。だ
が、の体の歯形やら痣を菊は見てしまっていて、も隠そうとはしたが着る物がなかっ
たので仕方が無かった。


 おかげで額に包帯が巻かれているけが人なのに、この修羅場だ。





「最低だぜ。まったく。訴えられちまえ。」

「…そうだな。なんぼSMが趣味でも、女性の体に傷がつくまでやるべきではない。」





 ギルベルトとルートヴィヒのアーサーを見る目も絶対零度だ。

 と親しかったこともあって、怒りは当然のことだった。アーサーは記憶がなかった時の
自分を本気で呪う。なんでこんなに浅慮なことをしてしまったのだ若い頃の俺。でもやっぱり
悪いのは自分で、言い訳は何もなかった。

 凍り付く部屋でアーサーがどうすればいいのか分からず居心地も悪くて身じろぐと、突然ば
んっ!と病室の扉が開いた。






「へい!アーサーがくたばったって本当かい!?」 





 嬉しそうにハンバーガーを片手にアルフレッドが笑う。だがすぐに床に正座をしているアー
サーを見て、首を傾げた。






「なんだくたばってないんじゃないか。」






 酷く残念そうに呟いてから、首を傾げる。






「何しているんだい?彼は、何か顔色が悪いね。」

「さぁね。」






 菊はいつもより低い声で言って、腰に手を当てる。







「なんだい?みんなで集まって一体!」

「アーサーがに酷いことをしたのでどうしようかって話になってんだよ。」







 アルフレッドが尋ねるから、ギルベルトが頭をがりがりと掻く。

 菊の怒りはまだ収まっていないようだが、ギルベルトの方はアルフレッドの緊張感のない様
子に興を削がれたようだ。






「えー、最悪だね。男の風上にも置けないよ。」





 アルフレッドは良いことを聞いたとここぞとばかりにアーサーを罵る。

 詳しいことは知らないだろうが、宿敵アーサーに対して何か言うことが出来れば良いアルフ
レッドだ。






「ぐっ、屈辱だ…」






 アーサーは歯を食いしばってアルフレッドを睨み付けたが菊がいる手前大きくはでれない。
今大きく出て違うとでも口走りそうなら菊からどんな罰を言い渡されるか、分かった物ではな
かった。






。君、だったらアメリカに来ないかい?」

「だったらって今の発言に何の繋がりがあんだよ。バーガー」






 ギルベルトが反論するが、アルフレッドは全く介さずの手を取った。






「ついでにマシューんとこにも一緒においでよ。案内するよ。あんまり君、アメリカ大陸に来
たことないだろし狼好きって言ってただろ?大自然もたっぷりあるよ!!」




 文化的な面ではアメリカやカナダの歴史は浅く、歴史的遺物などは少ないかも知れない。し
かし代わりに手つかずの大自然が残っている。自然の神様を存在の起源とするは、きっと
気に入るはずだとアルフレッドは思っていた。




「え、そうなんですか?」




 も先ほどのアーサーと菊の冷ややかなやりとりなど忘れて、心引かれそうになった。

 日本で狼が見られなくなってしまったのは、開国してしばらくたった頃だ。神社の狛犬さんの
中には狼を起源にする物もあったから、寂しくて泣いてしまったのを覚えている。






「マシューも凄く喜ぶと思うんだ。なんて言ったって、は俺達の妹だしね。」

「…お姉さんだと思うんですけど。」





 は冷静に突っ込む。

 アーサーと結婚してから、アルフレッドは何かとを妹として扱いたがる。と言うのも、
菊に妹がいるのを、アルフレッドは常々羨ましく思ってきたらしい。本来ならば兄であるアー
サーの妻なので姉に当たるのだが、アルフレッドは妹と主張していた。

 ちなみに年齢は確かにの方がアルフレッドよりも年下に当たる。だが、アルフレッドが
幼いこともあって、は彼を弟のように思っていた。






「そうですね、それ、良いですね。」




 菊が腕を組んで、一つ頷いて手を叩く。





「はい?」

「なんだい、菊。」







 とアルフレッドが突然言い出した菊に目を向ける。床に正座しているアーサーも、呆れ
た顔をしているギルベルトとルートヴィヒも同じように彼に注目した。






、貴方、行ってらっしゃい。」






 菊はニコニコ笑っての肩に手を置く。





「やっほーーーーーー!菊から許可が出たぞ−!」





 アルフレッドが万歳をして喜び、マシューに連絡すべく携帯電話を出してくる。どうやら前
々から2人でを誘おうと計画していたようだ。





「あー、マシュー!が来るって!!本当だよ!」






 アルフレッドはベッドの柵をばんばんと叩きながら話している。はそれを横目で見なが
ら、冷ややかな笑みを浮かべている兄を見上げた。





「え、アメリカですか?」

「そうです。少し羽を伸ばしていらっしゃい。」






 菊は労るような目をに向ける。





「マシューも楽しみにしてるって言ってたぞ!」





 アルフレッドが携帯片手にVサインをする。菊は満足げに頷いた。






「どうせだから楽しんでいらっしゃいね。」

「そうだな。おまえも大変だっただろうし、息抜きに大自然見に行くのも良いかもな。」






 ギルベルトも日頃は無計画なアルフレッドの計画に、を思いやって賛成する。

 都会の喧噪から離れるのもたまにはよいかも知れない。それに同じ英語圏でも気楽だろ
う。カナダのマシューも穏やかで良い奴だ。アルフレッドはうるさいが、その分マシューが静 かな
ので丁度良い。





「じゃあ、お言葉に甘えて、行ってきても良いですか?」






 は少し俯きがちになりながら頬を染める。






「大歓迎さぁ!いぇええええええ!!」








 やったねとアルフレッドは手を振り上げて、アーサーをちらりと見る。

 アーサーはうっと怯んだ。アルフレッドは間違いなくアーサーを歓迎しないだろう。だがア メ
リカとカナダまでとなると、おそらくは1週間半は帰って来ない。ついて行かなければ離 れ
てしまうことになる。どうしようかと考えていると、菊がこちらを見た。





「アーサーさんは、もちろん居残りですよ。」

「え、俺…」

「何か問題あります?」





 綺麗なほほえみがそこにある。アルカイックスマイルという奴だろう。それが今アーサーに
は悪魔のほほえみに見えた。

やってしまったことがやってしまったことだけに、アーサーは大人しく黙るしかなかった。


 
墜落記念日