はうつむき、椅子に座っていたが、落ち着きなく辺りを見回す。

 変な剥製だったり本だったり、甲冑などがあってもの凄く怖い部屋だ。

 あの後フリードリヒ国王が助けてくれて何とか退出できたが、ギルベルトはかなり怒っているようで結
局そのまま彼に掴まってバイルシュミットの家に連れてこられてしまった。彼はを座らせるとばた
ばたと部屋を出てしまったため、勝手に帰るわけにも行かない。

 これで婚約が破棄になっても別段は困らないが、父やお世話になっているフォンデンブロー公爵
は困るかも知れない。そう思うと酷く気が重かった。





「もうやだなぁ、」





 そうは思っても、もともと帰る場所もなければ行く場所もないのがだ。父からは疎まれているし
、フォンデンブロー公はもうあくまでただの遠戚であって全面的に頼るのは申し訳無い。今も公爵にお世
話になっているが、いつまでもお世話になるのは気が引けた。だからといって父には帰ってくるなと言わ
れているので、行く場所がない。そう言う意味ではこの結婚はよいのかも知れない。



 目を伏せていると、ばたんと荒々しい扉を開く音がして、ギルベルトが戻ってきた。





「おまえずっと此処に座ってたのか?」

「え?だって貴方が座れって・・・・」

「ずっと座ってなくてもいいじゃねぇか。いろいろ見たことねぇもンあんだろ?本当に面白くねぇ奴。」





 ギルベルトはまたそう言って、俯いているの手をとって引っ張り、無理矢理たたせる。






「な、何ですか、あの、」






 の手を引っ張って彼は部屋を出て、ずんずんと廊下を進んでいく。彼は背が高いせいか、歩幅が
大きすぎて、歩くのが速い。はドレスを着ているのもあって引きずられるようだった。






「部屋だよ部屋。」






 突然止まって彼はの方を振り返る。はすぐに止まることが出来ず、彼の胸にぶつかってし
まった。






「ひゃうっ!」

「何やってんだおまえ、」

「すいません。」







 彼の胸板にぶつかった額を抑えながら謝っては見るが、なんだか非常に理不尽な気がする。どうしてこ
んな事に、は心の中で悪態をつく。





「部屋、ですか?」

「そうだ。おまえの部屋。って言っても俺の部屋の隣だけどな。」

「わたしの、部屋ですか?」





 首を傾げて彼を見上げると、ギルベルトはこちらを馬鹿にするような顔をした。






「おまえ、行くとこねぇんだろ。」





 一言、言われては俯く。

 その通りだ。行くところはない。だが、どうして彼がそれを知っているのだろう。国王にいつの間にか
調べられていたのだろうか。ぐっと拳を握るが、また手を引っ張られて、廊下の奥から二番目の部屋に入
れられた。






「ここ、おまえの部屋。」






 少し陰った臙脂を基調にした、落ち着いた部屋だった。綺麗に整えられており、新しい壁紙が貼られて
いるようだ。






「俺の部屋にはこの扉から繋がってっから、勝手に出入りしたらいい。いいな。」





 ギルベルトは笑って、だがどうでもよさそうに言い捨てる。は彼の緋色の瞳をぼんやりと見上げ
た。






「いや、あの、わたし、・・・」





 帰らないといけないけれど、本質的には帰る場所もない。かといって彼は婚約したと言っても勝手に決
められた初対面の人だし、ここに住むのも気が引ける。彼の血筋は知らないが、彼には両親はいないとい
う。親族でもない男の家に住むなど、もってのほかだ。進むも退くも出来ないは、凍り付くしかない。
いつもそうだ。誰もを望んではいないし、彼女が進むべき場所はない。

 泣きそうになって俯くと、ギルベルトはなんの恥じらいもなくに顔を近づけ表情をのぞき込む。





「しけた面だな−。おまえ根暗じゃねーの?」

「・・・・・・・」






 貴方がわたしの何を知っているの。危うくそう言いかけた言葉を飲み込んで、は何とか表情を押
し隠したが、眉間にはやはり皺が寄ったのが自分でも分かった。





「俺はぐだぐだすんのも、しけた面すんのも嫌いだから、くれー顔すんなよ。ほーらー、」





 ギルベルトは何を思ったのか、の頬に触れて遠慮もなく横にびっと引っ張る。

 は彼の行動に呆然として、すみれ色の瞳を丸くした。このような身体的な暴挙を受けたことは14
年間の人生で一度足りともない。そして、こんなふうに男性に触れられること事態ありえない。あまりの
事態に反論すら出来ず呆然としていると、の横に伸びた顔が彼は面白かったのだろう。






「けせせ!ぶっさいく!!」






 彼は頬から手を離して、心から楽しそうに笑った。

 無邪気なその笑顔には彼をぼんやりと見上げる。女にこんな暴挙を働いて何が楽しいんだろう。
それでも彼の無邪気な笑顔は酷く心に響いた。彼は人生が楽しくて堪らないのだろう。と違って。


 ぎーぎーと彼の頭に止まっていた黄色の小鳥が鳴く。もう夕刻で、餌でも強請っているのだ。

 大きな窓を見れば、少し空が赤くなっていた。あと数刻もすれば日が落ちてしまう。このベルリン近く
の地からフォンデンブロー公国に帰ろうと思えば、時間がかかる。馬車で数時間。今日中に帰れるだろ
うかと思う。





「公爵が、心配します、」





 帰らなければとは言わなかった。フォンデンブロー公爵の屋敷に住まわせてもらっているとはいえそれ
は彼の好意で、の帰る場所などありはしない。それでも、が帰らなければ心配するだろう。

 言うと、ギルベルトははぁ?との手を掴んだ。






「ばっかじゃねぇの?公爵も同意済みだぜ、」

「同意、済み?」





 が聞き返せば彼は頷いた。

 あぁ、とは心の中で声を上げる。とうとう公爵からも疎まれたのだろうか。プロイセンとフォン デンブ
ロー公国は微妙な関係にあるから、プロイセンの将軍である彼に自分の息のかかったを嫁が すこと
に反対ではないのかも知れない。確かに、公爵は緩く微笑んでを見送っていた。フリードリ ヒも公
爵は結婚に反対ではなかったと聞いた。

 なんの力もない小娘1人を家に置いたところで、意味はない。利用しない手もない。考えれば当たり前
のこと過ぎて、涙すら湧いてこなかった。





「そう、ですか、」





 はもう此処にいるしかなかった。僅かなり共の希望は、戦争と共に去っていった。残されたのは
この身ひとつで、帰る場所も行く場所も元々持っていなかった。





「忘れんじゃねぇぞ?」








 ギルベルトがにやりと笑っての耳元に唇を寄せる。顔が近くては怯んで後ろに下がろうと
したが、強く二の腕を掴まれて許されなかった。





「死のうなんて考えんなよ。」

「・・・・・」

「そうすれば、そうだな・・・・、おまえの父親の命はないと思えよ。」






 残酷な笑顔が目に焼き付く。瞳は残酷にに語りかける。

 その緋色の瞳はが見たこともない、血を求める目だった。戦いを、争いを求め、勝ち進む覇者の
緋色。






 「アプブラウゼン侯爵領もオーストリアとの狭間にあるからなぁ・・・・欲しいんだよ。」





 にギルベルトはぎらついた目をそのままに言う。

 元は神聖ローマ帝国の騎士であった一族だ。先のオーストリア継承戦争では確かにプロイセン側に着い
たし、プロイセン王国の臣下の地位を与えられており、プロイセン領ではあるが、きな臭い動きがあると
言われている。




「なんて、無情な、」






 は小さく呟いていた。

 戦争は全てを奪っていく。大切な希望も、すべてすべて。

 争いを望む瞳でを見下ろす彼はそれを知っているのだろうか。争いの中で失われた希望があるこ
と、絶望を与えることを、

 は目を閉じた。運命の甘受以外の答えは、用意されていなかった。












 
それでも 捨て去りきれぬそれを抱え生きてゆくのだと