バイルシュミットの屋敷は広大だった。
領地は別にあり、ベルリンでの仮住まいになるのだが、それにしても広い。しかしギルベルトに親族は
いないらしくて、そこに住んでいるのは彼1人のようだった。また、使用人の数自体も少なく、閑散とし
たイメージがある。
ギルベルトは遊び癖がある上に将軍職にある軍人でもあるため、屋敷に帰ってくることも下手をすれば
3日に一度くらいで、頻繁に顔を合わせることもない。
白髪をオールバックにした執事はに自由に誰かに手紙を書いたり、連絡を取ることも、身の自由
も保障されていると言ったが、何をするでもなく結局ギルベルトは使うことの無いという書斎とピアノの
部屋を占拠して本を読んだり、ピアノを弾いたり、楽譜を書くことに一生懸命になった。元々連絡する人
もいない。婚約を目だって知らせたい人もいない。母には知らせたいが、母の墓所はイングランドにある
ため、そう簡単にいけない。
「わぁ、綺麗、」
は庭に出て花を愛でる。それも毎日朝の日課で、たまに庭師と枯れた花を摘み取ったりするよう
になっていた。最初は主人の婚約者であるにたじたじだった庭師も、自然と慣れてきて、今では喜
んでくれるようになった。
芝生には白摘め草がたくさん咲いていて、はそれで幼いときに作ったのと同じ花輪を作ろうと奮
闘していた。こういうくだらないことに時間を掛けてもあまりある時間をどうなのだと思うが、実家のア
プ
ブラウゼン家にいるよりも、またフォンデンブロー公国にいたときよりもずっと気楽だった。
ギルベルトは出かけていることが多く、に全く干渉しない。たまに朝帰りしたり、夜遅く帰って
き
ての寝顔を見に来たりする。最初は男性に寝室に入られる恥ずかしさに飛び起きていたが、だん
だん眠気に負けて感化しなくなった。
結婚式をするのかしないのか、とか、細かい事項は何も知らされていない。いつかというのすらも。
それでも外界から隔離されたようなバイルシュミット家の屋敷は穏やかなものだったし、も心穏
やかに生活することが出来ていた。
「おまえ、こんなとこにいたのか、」
芝生に座り込んで白詰め草の花輪作りを勤しんでいたに後ろから声が掛けられる。振り向くとギ
ルベルトが珍しく昼にもかかわらず帰ってきていた。後ろには国王であるフリードリヒの姿もあり、
は凍り付いた。白い質素なドレスは飾り気がないし、朝から芝生の上で遊んでいたから汚れてしまって
いる。
「なにやってんだ?」
ギルベルトはしゃがんでに尋ねる。
「えっと、差し上げます。」
自分の姿を見返して焦っていたはどう説明しようかと困ったが頭がまともに働かず、ギルベルト
の頭に作った花輪をのせる。
「なんだこれ?」
「花輪じゃないか、」
フリードリヒがギルベルトの頭にのせられたものを見て笑う。はギルベルトの頭にのっている花
輪をじっくり眺めてから、うーんと考える。
「微妙ですね・・・」
「は?おまえ勝手に頭にのっけといてそりゃねぇだろ、」
「いや、あの、えっと、…髪が白いので、白詰め草よりは赤詰め草の方がよかったなぁと思って、」
ギルベルトの髪は見事な銀髪だ。花輪はあちこちに咲いている白詰め草で作ったものだったが、髪の色
と混じって見栄えが良くない。どうせなら瞳の色と同じ赤で作った方が綺麗だっただろう。
「レディから花輪を献上されるなんて、良いではないか、」
フリードリヒが少しふざけたように言う。
「レディじゃねぇよ。こんなガキ、」
ギルベルトはふてくされた顔をしてそう返したが、それでももらった花輪を放り投げようとはしなかっ
た。ぎぃと黄色い小鳥が彼の頭の上で花輪を喜ぶようにくわえてみせた。
確かにギルベルトの年齢は聞いていないが、多分20歳は超しているだろう。はと言うとまだ14歳
だから、子供と言われて当然かも知れない。
そんなことを考えていると、ギルベルトはどさりとの隣に腰を下ろした。
「汚れ、ますよ?」
自分は座り込んでいるのにが言うと、「おまえもだよ。馬鹿。」と頭をこづかれた。
人の頭を小突くなんて、貴族でする人がいるだろうかと思う。だが、このギルベルトという人は、おお
よそ貴族とは思えない行いをする人だった。非常に優秀な指揮官ではあるそうだが粗暴で、豪快で、そ
のくせ狡猾で賢い人。乱暴と賢いは実際には別物なのだが、乱暴=馬鹿というイメージがあったため、
はその間違いを正すことになった。
彼は、朗らかに笑う。人生が楽しそうに、愛おしそうに景色を眺めながら、懐かしみを含めて柔らかに
瞳を細めながら、笑う。
はその横顔を眺めながら、首を傾げた。彼はどうして、自分などを妻にしようとしているのだろ
う。アプブラウゼン侯爵家への牽制のつもりで娘であるを娶ったのならばその間違いは正してや
らねばならない。プロイセン王国は元々オーストリアの旧臣であるアプブラウゼン侯爵家と関係も浅く
事情も知らないが、、は。
「良い国だろ。」
唐突に、ギルベルトが言った。フリードリヒが突然の口調に吹き出す。はギルベルトの顔を眺め
たまま小首を傾げた。
「わたしは、プロイセンを見て回ったわけでは、ありません。」
プロイセン王国にアプブラウゼン侯爵家が帰属したのはオーストリア継承戦争でのことだ。それまでは
オーストリアに帰属しており、預かってくれていたフォンデンブロー公国も神聖ローマ帝国に属すため
の知る宮廷はオーストリアのものだ。プロイセンの宮廷に出たことは未だに無い。見て回ったこ
ともないので、正直プロイセン王国自体が好きかどうかは分からなかった。
「ただ、ここは、穏やかで、好きです。」
は素直に口にする。このバイルシュミットの屋敷は、外音も入ってこず、穏やかで、とても良い
場所だ。綺麗な自然もある。
「まぁまぁな答えだな。」
ギルベルトは不満なのか、ぶすっと答えれば、フリードリヒがますます笑う。一通り笑った彼は改めて
に目を向けた。
「君はプロイセン王国の宮廷に来たことがなかっただろう?今度私の后のエリーザベト・クリスティーネ
がシェーンハウゼン宮殿で舞踏会を開くから、来ると良い。」
「え?」
「バイルシュミット将軍の妃に皆興味があるのさ。それに、君の父上や兄上、姉上もいらっしゃるよ。」
フリードリヒは緊張した面持ちのを宥めるように言ったが、それは逆効果だった。父や兄と聞い
た途端にの表情は青ざめる。
「?」
ギルベルトが心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「顔色悪いぞ。」
「あ、は、はい。」
は俯いて小さな息を吐く。
父にも疎まれているが、兄や姉とは母が違うし、それだけではなく仲が悪い。会うかと思うと少し気が
重かった。
「・・・・アプブラウゼン侯爵は君に非常に冷たいが、何か理由があるのかい?」
フリードリヒはに尋ねる。
バイルシュミット将軍がを欲しがっていると言った時、アプブラウゼン侯爵は難色を示した。彼
女は相応しくないという論旨だったが、言葉尻にへの憎悪が含まれていたことに、フリードリヒ
は驚きを感じた。まがいなりにも自分の娘だ。なのに、彼は非常に冷たく、仮に結婚するとしても婚資
は一切用意しないと言うことだった。持参金が普通のこの時代にそれは酷い話だが、ギルベルトは元
々知りもしないのでそれでも良いと言ったが。
「わたし兄や姉とは母親が違うので・・・・・」
は少し早口で国王の下問に答えた。本当はそれだけではないが、自分の口から話すには、あまり
にも言えない醜聞だった。
「そうか。お母上は確か・・フォンデンブロー公家の」
「はい。縁者であったため、公爵には優しくして頂きました。」
母亡き後父に疎まれた自分を引き取ってくれたのはフォンデンブロー公爵だった。オーストリア継承戦
争では公爵はオーストリアに味方すると言って譲らず大変だったが、今は講和条約を結んでプロイセン
側に着いている。
自分が役に立たないのは伝わっただろうか。恐る恐るはフリードリヒの方を見上げたが、表情は
よく読めなかった。
たゆたゆ 赤い血と水が絡まってあの日のように舞い揺らぐ