シェーンハウゼン宮殿の舞踏会は、華やかなものだった。
もちろんオーストリアのようには行かないまでも、新興国であることを考えれば様々な知識人も来て
い
るし、賑やかだ。とはいえ、身分の高い人々の集まりに出るような身分ではないにとってはびく
つ
くだけのものだった。
「ほら下向くんじゃねぇよ。」
ギルベルトがどうしてもうつむきがちになるの顎に手を添えて引っ張る。
「あ、はい。」
何度目の注意だろう。気をつけようとは思うのだが、物思いにふけるとすぐに俯いてしまう。
は自分の姿を近くにあった鏡に映した。赤色のドレスは青色の軍服を着ているギルベルトに合わ
せたものだが、似合っているかと聞かれるとわからない。似合っていない気もする。ギルベルトが用意し
てくれたものなのだが、美術的センスがあるのかはわからないし、プロイセンがどの程度のファッション
を必要としているのかもには皆目見当もつかなかった。
「びびってんじゃねぇ。」
ギルベルトはふにっとの頬を引っ張る。彼のこの過激なスキンシップにもだんだん慣れてきた。
なんて粗暴な人だと思ったが、彼には別に悪気はない。ただ親しみを込めているだけで、決して
を軽んじているからそう言ったことをしているわけではない。それが理解できれば多少の豪快さは許せる
程度のものだった。
おずおずとは彼の二の腕に手を添える。人が集まる中に入っていくのには気が引けたが、彼の手
をぎゅっと握ることで何とか耐えた。
ギルベルトに声を掛けてくるのは軍人か老人が多い。適当に答えながら彼は人の波を抜けていく。
もそれに伴ってなんとかついて行っていたが、あまり楽しいとは思えず、緊張ばかりしていた。女性達
もや
はり今話題のギルベルトの婚約者となったに興味がある人間は多いようだったが、話しかけら
れて
も彼はそちらにがひとりで行くことを許さなかった。
「プロイセンは無骨だと、オーストリアの宮廷では言われていましたが、ぜんぜんそんなことはありま
せんね。派手すぎず、かといって華やかで、素敵です。」
は周りの人々を見ながらぽつりとそう零した。
鮮やかなドレスも宝石も、そして宮殿の内装も非常に美しく凝っており、オーストリアのほうが確か
に派
手ではあるが、しとやかさがには好ましいと思えた。華やかで、その影にある多くのものが隠
され
ているのがオーストリアだ。
「そりゃそりゃ気に入ってくれて光栄だな。ま、あのぼっちゃんとはちがうからな。」
ギルベルトは落ち着かないのか首元のスカーフを弄っている。そうして手で遊ぶから歪むのだと
は彼の首もとに手を伸ばしてなおしてやった。
ギルベルトは子供のような人だ。素直に笑い、不機嫌も顔に出る。少し天の邪鬼なところはあるけれど
率直で情に厚い。正確な年齢を聞いたことはないし、14のよりは遙かに年上だろうが、我が儘を言
ったり聞き分けのないところがある。完璧ではない彼は、暗いと言いながらもに屈託なく笑いかけ
てくれる。それをは好ましいと思っていた。
「ほらまた俯いてる。顔上げろよ。」
ギルベルトに言われて、ははっと顔を上げる。
「おまえ俯く癖あんなぁ。」
ギルベルトは腰に手を当ててを諫めた。
そうかもしれない。小さいときから自分の存在があまりに後ろめた過ぎて、周りの大人が怖くて俯いて
ばかりいた。自分の存在が否定されていることは知っていたから、いつまた虐められるのだろうと怖くて
仕方が無かったのだ。
「ほら、俺様が隣にいんだから、大丈夫だって。」
ばんと周りからは見えないのだが、多少乱暴に背中を叩かれる。
大きな手と結構な振動が慣れず、はびくりとしたが、彼はあまり気にしていない。いつも自意識
過剰ではないかと思うほどどうどうとしていて、驚きすら抱く。彼のように率直に、素直に、そして逞し
く
いられたなら、良いなと、は小さなあこがれだけを持っていた。
「あら、?」
突然高い声が響いて、名を呼ばれる。ギルベルトと話していたは声の方に顔を向け、それからび
くりと肩を震わせた。
緩い金髪を巻いて優雅に肩に垂らした女性が少し大股でこちらに歩いてくるのが見えた。
「妹がお世話になっておりますわ。ヒルダと申します。」
「アプブラウゼン侯爵令嬢・・・か?」
ギルベルトはヒルダの顔を知らなかったのだろう。確認のように尋ねるとヒルダはにこやかに頷いた。
「その通りですわ。お初お目にかかります。」
ヒルダは優雅にお辞儀をし、に目を向ける。
「姉に挨拶のひとつも無いなんて薄情だとは思わなくて?」
薄笑いを浮かべて言う。
「ご、ごめんなさい。」
ぎゅっとギルベルトの手を握りしめて、は思わず俯いた。
昔から、は母の違う姉であるヒルダが苦手だった。プライドが高い彼女はことある事に幼い頃か
らにあったったし、止める人間もいないことからにやりたい放題だった。しかし、確かにギ
ル
ベルトに連れ回されていたとはいえ、姉に挨拶もしなかったのは自分の不徳だ。
「驚きましたわ。バイルシュミット将軍と婚約だなんて、本当に運の強い・・・・」
ヒルダはにこやかにギルベルトに微笑んだ。
その言葉尻に含まれるとげにはびくりとする。ヒルダはが大嫌いだ。ある事件からそれは
決定的なものとなった。そして今回もそうだ。
「貴方が公爵に嫁ぐなんて、」
ギルベルトの爵位は公爵だ。
ヒルダの言葉に含まれるのは、要するに自分より高いところに嫁ぐなんてという女性特有のそれだ。
は何も望んだことはなかったがそれは女性としては普通のことらしい。気に入らない妹よりも身分
の高いところに嫁ぎたい。と。
それを聞く度に、は気が重くなる。姉を差し置いてと言外に言われているのを感じるからだ。下
賤のおまえが何故、と。
「?」
俯いてしまったをギルベルトが心配そうにのぞき込む。
俯くなと言われても、やはり下を向いてしまう。現実は結局変わらない。バイルシュミットの屋敷にい
れば確かに穏やかに過ごせるが、人と関わらずに生きていくことは出来ないのだ。自動的には
外に出なければならない。
ヒルダはふふっと笑って突然、に抱きついた。耳元に唇を寄せられ、呟かれた言葉はとげのよう
だった。
「このあばずれが。カール・ヴィルヘルム公子の次は、バイルシュミット将軍に取り入るなんて、」
他人の口から聞いたその名にはすみれ色の目を丸くする。
―――――――――俺が死んだら、・・・・
柔らかな金色、茶、青い空、木々の緑、緩やかに円を描く光、鮮やかな色。
それが緋色で塗りつぶされ、赤黒く偏食していく。それは移り変わって茶に、茶に、灰に、灰に、黒へ
、黒へ、黒へ、
―――――――――わたし、は、
ぼやけて歪む視界。変わり果てた大切な人。緋色。黒、冷たい、固い、感触。
「?!」
ギルベルトは力なくゆらりと崩れたを慌てて支える。細い体は手を回せばすぐに支えられたけれ
ど、驚くほど軽かった。
「何を、言った。」
気を失ったをギルベルトは抱えながら、ヒルダをぎろりと睨む。彼女が耳打ちをした途端にこれ
だ。
がヒルダに怯えていたのはすぐに分かっていた。父だけでなく兄や、姉とも仲が悪いと言う話も
聞いていたので、警戒はしていたが、こんなに突然倒れるとは想像もしなかった。
「その子はやめておいた方が、よろしいわ。」
ヒルダはに軽蔑の目を向ける。
「母親と同じであばずれの血が流れているのですわ。」
意味がわからないとでも言うように目を見開くギルベルトにヒルダははっきりとそう言って踵返した。
ギルベルトは倒れたの表情を伺う。眠るような彼女は、ぽたりと一粒、滴を零した。
絶望を問ふ