翌日、は舞踏会を途中退出してしまったので国王であるフリードリヒと妃・エリーザベト・クリ
スティーネに謝りに言った。





「んなことどうでも良いのに。」





 ギルベルトは面倒くさそうに言ってかりかりと頭をかく。





「それを決めるのはお前ではないと思うがね。」






 フリードリヒがあきれたような顔をしたが、それを聞いたは思わず頭を下げた。






「も、申し訳ありません。せっかくお誘いいただいたのに。」

「いえ、大丈夫でしてよ。」





 おっとりとした様子で妃のエリーザベトがをなだめる。





「あぁ、君は気にすることはないよ。彼の横暴さに少しあきれただけだ。」






 フリードリヒも手を振ってに言う。その言葉にはひどいとげが含まれていた。

 は気さくに笑いあうギルベルトと国王に驚きながらも、自分の失態に小さな息を吐いた。ヒルダ
の言葉は衝撃的ではあったが、倒れるほどではなかったはずだ。ただ、彼を失ったあの絶望感を思い出し
てしまった。目の前が、真っ暗になったのだ。





「座りたまえ。」





 フリードリヒはお茶にとギルベルトを誘う。しばらくすると用事があったのかエリーザベト妃は
退出した。もともとエリーザベト妃とフリードリヒは尊敬しあっているが別々に暮らしていることで有名
だ。対してはまだ婚約段階にもかかわらず、ギルベルトと暮らしている。夫婦間にはいろいろある
のだと思う。

 ギルベルトはどさりと何の遠慮もなく腰を下ろしたが、は失礼しますと頭を下げてから座った。





「一緒に暮らし始めて2ヶ月くらいはたったはずだが、何も不自由はないかい?」





 当たり障りのないことをフリードリヒは尋ねた。





「はい。不自由もなく、本当に穏やかにすごさせていただいています。」






 は心の底からそう答えた。

 ギルベルトのいるバイルシュミット家での暮らしは、本当に不満は何一つなく、穏やかだ。主人のギル
ベルトは3日に1度くらいしか帰ってこないが、使用人なども優しく、外界の情報が入ってこないせいもあ
って自分の世界を作り出すことができるのがありがたかった。






「そうか。それは良かったよ。彼は粗暴なので嫌われているのではないかと心配していたところだ。」

「粗暴って別にひどく扱ってるわけじゃねぇよ。」






 ふてくされた顔でギルベルトは反論して、近くにあったりんごを手づかみで取った。切り分けようとし
ていたメイドはひどく驚いていたが、彼はまったく気にしない。フリードリヒは一瞬不快そうに眉を寄せ
たが、息を吐いてメイドに退出を命じた。






「まったく、おまえは本当に行儀が悪い。」





 フリードリヒは言って、皿にもられたケーキを優雅に食べていく。も国王が手をつけたのを確認
してからケーキを食べ始めたが、隣でギルベルトはりんごを丸かじりしていた。






「彼に不満があるなら言った方が良いぞ。行儀が悪いとか、」





 フリードリヒはため息をついて言うが、は首を振った。






「だ、大丈夫です。」






 確かにオーストリアの宮廷でこのような振る舞いをする人間はいなかったが、彼は悪気がない。だか
が目くじらをたてて怒ることではなかった。

 フリードリヒは少し安堵したような顔をしてから、目を閉じて空気を改める。






「ひとつ、聞いておかなければならないことがある。」

「は、はい。」






 もその雰囲気に呑まれて真剣な表情をした。

 ギルベルトだけがりんごを食べ終わり、ケーキを食べながら口にフォークをくわえてぷらぷらさせてい
た。






「フォンデンブロー公国の継承者は、どうなってる。」





 フリードリヒの言葉にははっとする。そして俯いた。

 フォンデンブロー公爵はもう老齢で、いつ死んでもおかしくはない年齢だ。むしろこの時代としては長
生きだといえる。後継者は公爵の孫であったカール・ヴィルヘルム公子が先のオーストリア継承戦争でな
くなり、未定だ。




 そういうことか、とは納得する。

 の母はフォンデンブロー公爵家の人間で、今生きている人間の中では一番濃く血筋を受け継いで
いるといえばそうかもしれない。ギルベルトはオーストリアとプロイセン王国の狭間にある要衝で、神 聖ロ
ーマ帝国に臣従するフォンデンブロー公国の継承権を持っていると考えとの婚約を決定したのだろ
う。先の戦乱でも問題になったが、フォンデンブロー公国は豊かな上に要塞などもきちんとしているので、重要
拠点なのだ。しかし、とは思う。





「それをご期待でこの婚約をお考えになられたのなら、おそらく無意味だと思います。」






 は淡く微笑んでフリードリヒに言って、それからギルベルトに目を向けた。





「わが父であるアプブラウゼン侯爵もまた、血筋であるからです。」





 母の系譜の方が確かにフォンデンブロー公国には近しい血筋ではあるし、母の娘は一人だが、父
もまた一応はフォンデンブロー公国の血筋なのだ。よりも薄い血筋ではあるが、女より男の方が重
んじられるのは当然のことだ。

 もしもが継承者を主張するならば、父と争うことになる。それは申し訳ないし、過去の経緯もあ
るので、はすぐに引き下がるだろう。だからギルベルトがなんと言おうとも、意味がないのだ。





「申し訳ございませんが、わたしではお役には立てません。ですから婚約を破棄になさるなら…、いつでも…」





 これで婚約が破棄になるならば、仕方がない。もともと考えてもいなかった結婚だと思えば、少し寂し
いし居心地も良かったが、の手に負える場所ではない。俯きがちで言えば、ギルベルトに頭を叩
かれた。






「え、あ、あの・・・」

「お前が後継者でなかったところで関係ねぇよ。一応聞いてみただけだから。」





 ギルベルトはそっけなく言う。はわけがわからず頭を抑えていると、フリードリヒがギルベルト
に非難の目を向けていた。






「そういうことを女性にすべきではないと何度言ったらわかるんだ。」

「こいつがくだらねぇこと言うから悪いんじゃねぇか。」

「く、くだらないこと、では・・・・」





 ありませんといおうとしたは、ぎろりとギルベルトににらまれて言葉を途切れさせる。

 赤い目ににらまれると、なにやらとても怖い。きっと蛇ににらまれた蛙というのはこういう気分なのだ
ろう。





「あ?なんか言いたいことがあったらはっきり言えよ。この根暗。」

「ね、ねくらって・・・・確かにそうですけど・・・」






 は結局俯く。否定できない。確かに家に引きこもり形だし、暗いかもしれない。

 それはともかく、どうやら彼はが継承者でなくても、別にかまわないようだ。は不思議に
なってしまった。どうしてそう思っているのかが、わからない。に利用価値がないのはわかっただ
ろうに、






「ギル、いい加減にしろ。嬢も根暗ってそこは認めちゃいけないと思うがね。」






 フリードリヒが女性にたいしてとは考えにくいギルベルトの態度にあきれながらもに助言する。反論
の余地を自分で縮めてはいけない。





「は、はい。」





 頷いてがおずおずとギルベルトを見上げると、彼もこちらを見ていた。





「なんだよ。」

「なんでもありません。」






 にらまれて、は俯いて早口で答えて俯く。





「ほら根暗じゃん。」

「おまえは子供だ馬鹿。」






 まだ言おうとするギルベルトに、フリードリヒが代わりに反論した。









 
未熟と云うなれば笑うがいい