はほとんどバイルシュミットの屋敷から出ることはなかったが、ギルベルトは毎日軍隊に出勤し
ているので外界の情報もよく知っている。そのため、結婚がかなりの話題になっていることを重々承知し
ていた。





「うぜぇ。」






 帰ってきた途端、ギルベルトは一言を口にする。は意味が分からず自分に言われたことだと思い
凍り付いた。






「す、すいません!わた、し、」






 は俯いてぺこぺこと頭を下げ、早々彼の前から逃げ出そうとする。しかしそれは彼の手によって
すぐに阻まれた。






「ちげぇよ馬鹿。」

「え、ちがうんですか・・・え、ばか?」

「馬鹿だよ、馬鹿。あーむかつく!!」






 は自分に向けられているのか他人に向けられているのか見当がつかず泣きそうになったが、ギル
ベルトは重そうな軍服をベッドに放り出した。皺になりそうな軍服は部屋の端に控えているメイドに渡して、
それから彼の部屋から逃げだそうとしたが、手をひっつかまえられた。






「なんで出て行くんだよ。」

「いや、あの・・・・えっと・・・・、」





 尋ねられて困ったは仕方なく近くにあった椅子に座った。するとギルベルトも安心したのか、
の手を離す。もう窓の外は暗い。こうこうと灯る明かりをぼんやりと見ながらは目を細めた。

 重たげな軍服を脱いでシャツだけの姿になったギルベルトはもう一つ部屋にある椅子に腰を下ろす。そ
して、そのあたりにあった適当な果物を手にとって食べ始めた。と言うことは、あまり今日は外で食べて
きていないのだろうか。





「ご飯、頼みます?」





 まだメイドも執事も料理人も起きている時間だ。が尋ねると、ギルベルトは即座に頷いて、食事
を促した。







「そうだな。軽食が食いたい。ブルストー!」

「・・・ブルストは軽食ですか。」







 肉料理まで出てきてしまえば軽食とは違うのではないかと思ったが、一応外にいたメイドに頼んでおい
た。ゆらゆら揺れるが大きめのろうそくは部屋をしっかりと灯してくれている。ギルベルトはりんごをむしゃ
むしゃと丸かじりしている。

 はすることもないので、先ほどまで見ていた本を開いた。綺麗な装飾の本はマキャベリの君主論
の写しで、国王であるフリードリヒからギルベルトがもらったものだと執事は言っていたが、どうやらもらっ
てそのまま書斎の本棚にしまわれていたようだ。

 彼は戦争と戦略、あとは自分の日記の本は読むが、それ以外はめっきりだったため、彼らしいとも思え
た。





「失礼します。」






 メイドが料理を運んでくる。料理人も心得たもので、量は結構多い。メイドはすぐに退出した。あまり
遅くなっても申し訳ないので、片付けは明日の朝でよいからもう眠るように言っておいた。






「おまえ、優しいなー。」






 わざわざ使用人に気をかけたをギルベルトはブルストをむさぼりながら不思議そうに見た。






「あ、はい。流石に夜遅くまで起こしているのは可哀想ですから。」






 も比較的早寝早起きだが、今が7時半過ぎ、ギルベルトが食事を終えて話したりすれば、9
時を超えてしまう。すると片付けをして、それから台所を閉めてなどしていると、10時だ。彼らの朝は
達 よりも早いのだから、あまり負担を掛けるのはよくない。






「そっか。ま、それもそうだな。」






 むしゃむしゃとブルストにかじりついているギルベルトを見ながら、は小首を傾げる。

 別に行儀が悪いと言うほどでもないのだが、何やらワイルドな食べ方だなぁと思った。






「おまえ、もう食ったのか?」

「あ、はい。頂きましたよ。」

「なぁんだ。面白くねぇの。」






 少し不機嫌そうにギルベルトは言うと、ぎーぎーと頭の上の鳥が鳴いて、の所までやってきた。

 飼い主の不満を訴えるようにをつついてくる。少し憎たらしいな丸くて黄色くて可愛いのに。そ
う思っていると、またつつかれた。どうやら心が分かるらしい。このちまい鳥は。じぃっと睨んでいると
、また鼻の頭をつつかれた。






「嫌われてんなぁ。」

「・・・・・動物に嫌われたのは、初めてなのですが・・・森でも仲良くしてたのに・・・」






 が母が死んでからの2年間を過ごしたフォンデンブロー公国は森も多く、たくさんの狩り場があ
った。猟犬を始め、は森の動物たちに嫌われたことはなかった。人間には嫌われがちのでも
動物には好かれていたのだ。それで狩りをするというカール公子と喧嘩をしたことがある。思えば
の人生の中で初めての喧嘩だった。賢い彼の論法には到底及ばず、敗北は必至だったがが泣いた
ため形勢逆転。結局狩りではなく馬での遠乗りと言うことに路線変更された。





「森なぁ、・・・・今度しばらく休みに入るから、一緒に遠乗りでも行くか?」






 ギルベルトはフォークを加えたままを誘う。






「おまえベルリンに来て日浅いだろ?俺様がついでに案内してやるよ。」






 偉そうにふんぞり返って、彼は言った。

 は少し考えてから、確かに、ギルベルトとの婚約でこのベルリンに来てからどこにも出かけてい
ないと思い至った。舞踏会だけで、それ以外はこの屋敷から出ることもなく、それを不満に思うこ
ともなかった。あまりに心穏やかに過ごせて、は外に出ようとすら思わなかった。

 だが、ベルリンを見て回るのも悪くはないかも知れない。だって誘われれば見てみたいと思う。
ただ、難題もあった。





「あの、わたし、あまり馬上手じゃないんですけど。」






 貴族のたしなみではあるが、は馬を自在に乗りこなすなんて事は出来ない。ましてや長らく乗っ
ていた自分の馬はフォンデンブローに置いてきてしまったので、なおさらだ。最近は屋敷に閉じこもりが
ちであまり乗馬もしていなかったから、元々下手なのも手伝って、危ういかも知れない。






「構やしねぇよ。俺の馬に乗せてやるから。」





 ギルベルトは自信満々にそう言った。





「俺は軍人だぜ。」

「確かに、」






 彼の主張には頷く。貴族で、それも軍人となれば戦場で馬を駆るため、かなりの乗馬技術が必要
とされる。が1人で乗るよりも、彼に乗せてもらった方がずっと安全だろう。





「おねがい、できますか?」

「当然。俺が誘ってンだからな!」






 ギルベルトは無邪気な笑顔を浮かべた。






「フォンデンブローは森が多いらしいが、ベルリンにも森はあるし、何よりは活気がある。宮殿なんかも多い
からな。」

「フォンデンブローは森が多いので、たまにくまさんとか出るそうですよ。まぁベルリンはなさそうで
けど・・・」

「昔は出たらしいぜ。それならそれで狩りも楽しいんだがな。」






 森での狩りは狐だったり、鳥だったりと色々だが、クマを狩れれば確かにそれは大手柄だ。はあ
まり動物を殺すことは苦手だが、男性貴族がそれを好むことは知っていた。





「こっから遠乗りできればシャルロッテンブルクとかも足を伸ばせるしな。行きたい場所とかあるか?」

「い、いえ、あまり、知らないのでお任せします。」

「はいよ。ついでにまた俯いてんぞ。」

「あ、はい。」





 
 注意されて顔を上げてみたが、ばっちりとギルベルトと目が合ってしまった。そらそうにもわざとらし
くて、緋色の瞳をじっと見つめていると、あっちから目をそらされた。

 少し衝撃を受けてまた俯くと、またむっとした顔でこちらを見られた。






「顔上げンの良いけど、こっちばっか向くなよ。」

「え、ご、ごめんなさい、」






 確かにじっと見られていたら気味が悪いのかも知れない。昔その紫色の瞳が気持ち悪いと罵られたこと
もあるので思わず少し落ち込んで、結局は俯いた。

 だから、ギルベルトの耳が赤くなっていることには気付かなかった。









 
蘇生するひかり を