の乗馬技術はたいそうひどかった。





「きゃっ、ま、待って、あ、とまってください、あの、」





 馬に向かって懇願するはどう解釈すればよいのかわからない。完全に人間が馬を操っているのではな
く、馬が人間を乗せて勝手なところに行こうとしている状態だ。あきれを通り越して笑えるシュールな光景にギ
ルベルトは仕方がなく彼女の馬の手綱を持って馬を止めた。





「ひとりで乗るのは無理そうだな。」





 ギルベルトが言えば、は少し困ったような顔をした。





「フォンデンブローに置いてきたわたしの馬は、ちゃんと言うことを聞いてくれたのに・・・」

「そりゃすげぇ馬だな。」





 の言い訳をギルベルトは鼻で笑った

 の懇願を受け入れる馬がいることに驚きだ。は手綱を引くことも足で操ることも出来ない。と
いうことはその馬はきっとの心情を把握して、ちゃんと動く驚異的な才能を持つ馬と言うことになる。
突然馬にそれを求めるのは、まぁ無理だろう。

 ギルベルトはを馬から抱き下ろして、それからもう一度抱き直して自分の馬に乗せる。ギルベルトの
馬は国王から下賜された駿馬だ。足も速いが、を乗せて全速力で走れば、彼女から大きな批判を買う
だろう事は目に見えていた。





「大丈夫ですか?」





 執事が心配そうに馬上に上がったとギルベルトを見上げる。

 ついて行かなくても大丈夫かと心配しているらしい。何を心配しているのかよくわからなかったが、ビール
もブルストも、パンも持ったから、食べ物に関しては大丈夫だろう。

 はこわごわとギルベルトに掴まる。馬の2人乗りは馬にとってはあまり良くないのだが、は軽
いし、馬の動きもおかしくないのでこのまま行くことにした。





「大丈夫か?」





 一応に声を掛けると、ギルベルトの前に乗っているはこくりと頷いた。彼女の意志を確認して
執事を一度振り返ってからギルベルトは馬を走らせた。

 シュプレー川の近くにはベルリン宮殿もある。そのほとりをゆっくりと歩きながら、シャルロッテンブルク
に向かうことにした。





「なんだか四角いですね。」





 はベルリン宮殿を見てそう言った。

 オーストリアのシェーンブルン宮殿は全体として長四角と言った形の外観だが、ベルリン宮殿は四角の横
に長四角の建物が着いているイメージだ。





「でも、綺麗ですね。それにあまりきつい色ではないので、目に優しいです。」





 おまえはどこで一体どんな色の宮殿を見たんだ。

 ギルベルトは少し問い詰めたくなったが、黙っておくことにした。言われて見れば、ギルベルトも昔フラン
スに行ったときにその派手具合に衝撃を受けたから、そう言うこともあるのだろう。それに最近ロココ趣味が
流行っていて、確かに皆派手だった。ちなみに国王のフリードリヒもなんだかんだ言ってロココ趣味を好んで
いる。






「あっちはベルリン大聖堂だな。」

「あら、こじんまり。」





 オーストリア領であったフォンデンブロー公国にいたが知るのは、オーストリアの宮廷と建物だ。
新興国であるプロイセン王国の建物とは、大きさなどが違うのかも知れない。ただ、は大きいことや
派手なことを美徳としているわけではなさそうで、ベルリンに対しての好感が伺えた。

 夏場というのもあって、ベルリン大聖堂にはそこそこ人が集まって木陰で涼んでいた。中にはギルベルトと
同じように休暇中の軍人の姿も見えた。





「バイルシュミット将軍!」





 笑ってやってきたのは将校の1人とおぼしき青年だった。後ろにも何人か軍人が見えて、駆け寄るのを止め
たりしている。一応デートを邪魔しようという気はないようだが、興味は計り知れないと言ったところか。





「なんだテンペルホーフ、おまえら、さぼりか?」

「休みです!恋人ですか?」






 テンペルホーフと呼ばれた将校は笑って楽しそうに訪ねる。対してギルベルトは嫌そうな顔をした。





「馬鹿!婚約したって聞かなかったのかよ!!」





 横から走り寄ってきた別の青年が彼の肩を叩く。






「あ、そうでしたか。お幸せそうで何よりです!」






 敬礼して、テンペルホーフは笑う。

 軍隊というのはの中には怖いと言うイメージがあったが、中はそうでもないらしい。





「まぁ紹介しとくか。だ。」






 ギルベルトは馬上のまま、を部下に紹介する。





「す、すいません。上から。」 





 は挨拶が馬上なんて失礼すぎると思ったが、ギルベルトは馬から下ろしてくれなさそうだったので頭を
下げる。すると、相手の方がきょとんとした。




「あ、テンペルホーフ少尉であります!バイルシュミット将軍と違ってしとやかな方で驚きました!!」





 敬礼をして、テンペルホーフ少尉は言った。






「ほぉ、随分素直じゃねぇか。」

「素直が取り柄であります閣下!」






 ギルベルトが怒れば、上手に切り返してくる。はそのやりとりが面白くて小さな笑いを零した。





 将校達やベルリン大聖堂を通り抜けて、ずっと進めば大きな森が見えた。ベルリンには整備されていない自
然の部分も随分残されている。

 が育ったフォンデンブロー公国にある森ほど大きくはないが、自然そのままだ。






「くまさんは、出てきませんよね。」






 は昨日のギルベルトの話を思いだして不安に思ったが、ギルベルトはそれを一笑に付した。





「出てこねぇよ。出てきたとしても、武器もあるしな。それに馬は速いさ。」





 言われて見ればそうかも知れないと俯くと、ギルベルトがそっとの肩を抱き寄せた。






はクマを見たことがあるのか?」

「・・・一度だけ、フォンデンブローにいた頃、カール公子に泉のお屋敷に連れて行ってもらった時に、見ま
した。」





 は目を細める。今は亡き、カール公子との数少ない思い出の一つだ。






「そこにはおじいさんが住んでいるんですよ。」

「おじいさん?」

「なんか小さくてよく覚えていないんですけど、フォンデンブローの主らしいですよ。」





 おとぎ話みたいでしょうと、は笑う。

 彼女にとっては小さな温もりある小さな思い出だが、ギルベルトははっとした。カール公子はフォンデンブ
ロー公国の跡取りだった。そしてその彼がフォンデンブローの主という発言をしたと言うことは、それはおそ
らくフォンデンブローそのもの。ギルベルトと同じ、国だ。





「そう、か。」






 ギルベルトはの肩を抱きしめながら頷く。

 フォンデンブローにも、国がいるらしい。元々は神聖ローマ帝国初期からの領土であり、シャルルマーニュ
の時代から続くフォンデンブロー公国の姿が、おじいさんでも不思議ではない。

 どんな人物なのだろうと興味を持ったが、ふとギルベルトが空を見上げれば曇り空が広がってみた。





「雲行き、怪しいな。」

「そうですね。」





 も同じように空を見上げて眉を寄せる。

 その途端、ごろごろと雷の音まで聞こえてきた。





「べ、ベルリンの夏は、晴れるんじゃ、ないんですか?」





 雷に怯えながらが尋ねる。ベルリンの夏はあまり雨は降らない。はずだ。例年通りならば。





「異常気象か?ひとまず、宿を探すか。」




 広い森だから、狩猟のための屋敷の一つくらいたてられているだろう。

 ギルベルトはため息をついて馬を走らせた。
















 
蒼に沈没