プロイセンの首都、ベルリンの冬は雪が多い。それはバイルシュミット邸も同じで、庭は真っ白で、ところどころ使用人が人影を作っている以外は白銀の世界だ。窓からそれを眺めていたアーサーはカウチに座る女性を見やった。

 長い亜麻色の瞳は相変わらず細く柔らかに波打ち、紫色の瞳は優しげに目尻が下がっている。数年前よりもずっと成長した面立ちは、すでに大人の女性の風格を漂わせていた。少し落ち着いた色合いの紫色のドレスが、より彼女をつややかに見せる。

 フォンデンブロー公国の統治者は、今年で22歳になっていた。




「久しぶりだな、」

「お久しぶりです。ロード・アーサー、」





 アーサーが言うと、は亜麻色の髪を揺らして微笑んだ。




「あー、カーランド卿だ−、」





 の足下にいた少年が、アーサーを指さして言う。

 フリードリヒ・ユリウスはとギルベルトの息子であり、フォンデンブロー公国の跡継ぎだ。銀色の髪に、少し赤みを帯びた紫色の瞳。精悍な顔つきはギルベルトによく似ている。5歳にして英独仏語を話すという天才君で、乗馬も最近ではかなり上手になり、将来を渇望されている。




「あら、ユリウス、カークランド卿ですよ。それに人に指を指してはだめ、」

「しってるよ。いじわるいってみただけ。」

「まぁ、」




 が口元に手を当てて目を丸くする。だがさして気にした風もなくユリウスはにっとアーサーに笑った。




「そんなことばかりしていると、またギルに言いますよ。」

「それは勘弁してよ!!」




 ユリウスはの腰に抱きついて、体を揺らす。





「とうさま、怖いんだからね。」





 最近その賢い頭をいたずらや人をおちょくるという方面に使い出したユリウスを御せるのは、ギルベルトだけだと言う。ユリウスはすでに子供ながら自分の立場を理解している。それを利用しようするのだが、ギルベルトはいたずらをすれば遠慮なく殴るし、怒る。

 親子関係はうまくいっているが、父の逆鱗に触れるのが恐ろしいことは子供とはいえよくわかっていた。




「ごめんなさい、」

「いいさ、子供は元気なほうが良い。」




 アーサーはの謝罪を気にせず、ユリウスの頭をくしゃと撫でてやった。

 ちょうど、アルフレッドも同じ年頃だ。とはいえ、ユリウスは人間であるので、あっという間に成長するだろうが。




「イギリスから紡績機械を持ってきた。」

「わー!ほんと?最新鋭?」




 ユリウスは歓声を上げて喜ぶ。




「あぁ、ついでに大砲もあるから、モンマス公に見せてもらうと良い。」





 アーサーが向こうにいたモンマス公を示すと、喜んでユリウスは彼について行った。

 まだ5歳の子供が紡績機械で喜ぶというのは正直どうかと思うが、彼は機械製品に興味を持っていた。特にイギリスの紡績機械や物騒なものでは大砲や銃などの構造にも興味があり、この間はギルベルトの銃をばらしてひっつかまえられていた。

 流石に専門家がいなければ暴発の危険性もあり、危ない。怒るのが苦手で大抵のことは許すも、子供の体の危険と故意的なあくどいいたずらだけは叱るようにしているらしい。




「ユリウスはやんちゃだな。おまえも大変だ。」





 アーサーはユリウスの背中を見送ってから、椅子に座る。も向かい側の椅子に腰を下ろした。





「本当に、ギルベルトに二人目をという話もしているのですが、大変で。もうそろそろ手がかからなくなると思ったのですけど。」

「だろうな・・・あの感じじゃ。」




 いたずらっ子世に憚ると言うがまさにその通りだ。あの愛嬌あるかわいらしさと、いたずらっ子の側面はなかなかかわいいが、それでも困った部分がたくさんある。




「ギルベルトは?」




 いつもアーサーがやってくる時、ギルベルトは必ずの側にいる。

 おそらく小さな焼き餅と、大きな危惧からだろう。は未だギルベルトが国であると知らなかった。すでに結婚から7年の時が経過し、子供も一人いるというのに未だにギルベルトはを失う恐怖からか、自分の成り立ちについて話したことはないようだった。

 とはいえ、それは無駄な危惧だ。少なくともアーサーはこの驚くほど穏やかな【家庭】を守る気にはなっても、壊す気にはなれない。驚くほどに、この家族は幸せだった。たとえギルベルトの嘘によって作られたものでも、価値がないとは口が裂けても言えない。




「今はプロイセンのシュレジェン地方の駐屯地からの呼び出しで、また春にはベルリンに帰ってくるでしょう。」




 この時代、雪深くなれば動けなくなるのは常だ。おそらく秋に出かけ、シュレジェンで冬を越しているのだろう。




「相変わらず元気か?」

「元気ですよ。」





 は一瞬、瞳を伏せて小首を傾げて微笑んだ。




「ロード・アーサーもお変わりないようで、」

「あぁ・・・だが、元気でもないな。」




 アーサーは小さく息を吐いた。彼女の元に来た原因は、単なるご機嫌伺いなどではない。




「・・・フランスとの、戦争ですか。」

「その通りだ。」




 長らくイギリスとフランスは戦争を続けている。一度オーストリア継承戦争で和解の条約は結んだが、それでもお互いに納得できずというのは変わりなかった。またオーストリアからシュレジェンを手に入れたプロイセンだったが、オーストリアはその奪還を諦めてはいなかった。

 問題の種は、未だくすぶっている。




「最近の話は、聞いてるか?」




 アーサーが尋ねると、も神妙な顔つきで頷く。




「北米の方での、ヴァージニア民兵の戦いですね。」




 北米で、フランス軍とイギリスのヴァージニア民兵が小競り合いを始めたという報告をもすでに受けていたらしい。まだ完全な戦争とは言い難いが、後々にそう発展するであろうことは明白な様子だった。そしてそれに伴い、ヨーロッパでも戦争が始まるだろう。

 来年の一月で、フランスとプロイセンが結んだ条約は満期を迎え、失効する。それに向けて、来年は条約交渉が本格化するだろう。




「おまえとの防衛協定は変わらないつもりでいる。だが、戦争が始まり、艦隊を派遣の用意をすることになった。」

「えぇ、でしょうね。」

「だから、鉄の輸出を増やしてほしい。」




 数年前、アーサーは鉄の輸出量を増やしてもらっていた。だが、はアプブラウゼン侯爵量との交渉の後、オーストリアやフランスにも接近し、輸出入の量を公には公平に戻していた。実際にはもちろん夫であるギルベルトの母国であるプロイセンが一番多い量を持っていってはいるが、アーサーもそれに準じる程度には鉄をもらっていた。

 だが、それだけでは足りない。




「艦隊、ですか・・・」




 は僅かに眉を寄せて言葉を繰り返した。

 彼女が治めるフォンデンブロー公国の本土は海に面していないし、海側の飛び地があるとはいえそれほどの艦隊を有するわけではない。だがイギリスともなれば話は別だ。ましてや最強の海軍と名高い。




「戦争が、始まるのですか・・・・。」





 は渋い表情を作ってアーサーを見た。

 彼女は戦わなければならないとき、打って出なければ多くを失うことを、理解しているが、それでも戦争嫌いは変わっていなかった。




「あぁ、そうだな。だが、おまえは中立を決め込めばよい。」




 アーサーはに安心させるように笑う。

 直接的に、フォンデンブロー公国は何ら関係がない。オーストリアにも、戦争にもだ。小国の中にはそうやって全く関わらないところもある。プロイセンが戦争に巻き込まれ、ギルベルトが戦争に出てしまえばは有能な将軍の一人を失うことになる。彼女は女性で軍隊を率いることができないのだ。だから、中立をというアーサーの言葉はより現実味を帯びたものだった。








「・・・秘密裏に、掛け合います。」





 おそらく議会は認めないだろう。ましてや中立を装うならば表向きの議決は避けるべきだ。はふぅっと小さく息を吐く。

 戦争は嫌いだった。





  灰となりし日 君想ふ