ギルベルトはベッドの上、蝋燭の明かりの下でフリードリヒから渡された書類を見やる。

 フランスとプロイセンの防衛条約が来年満期を迎えるに当たり、今年各国の交渉は本格化するだろう。オーストリアはシュレジェンの奪還を画策しているので、それに向けてシュレジェンの防衛も考えて行かなくてはならない。

 問題は山積みだったが、ギルベルトは書類をサイドテーブルに放り出した。




「どうなさったのですか?」




 が目を丸くして見ている。ナイトウェアを着たが、上着を羽織って扉から入ってきた。




「遅かったな。」

「ユリウスは興奮気味でなかなか寝付きませんでした。」




 どうやらユリウスを寝かしつけた後らしい。

 ユリウスには当然乳母や傅育官などもついているが、は極力息子の面倒を自分で見るようにしていた。両親が子供に関わるのは良いことだし、何よりは息子に精一杯の愛情を向けている。自分が片親からしか愛情を受けられなかったため、子供を愛情で包んでやりたいとの思いもあるのだろう。




「いや、まー、どうにかなるだろ。」




 ギルベルトは投げやりに答えた。は落ち着いた様子でベッドの上に座る。長い亜麻色の髪がするりと彼女の肌を滑った。蝋燭の明かりに映し出される白い肌は魅惑的だ。ぞくりとした高揚感が背筋を通っていって、ギルベルトはを後ろから抱きしめた。





「シュレジェンはどうでした?」

「相変わらずだったぜ。別に。」






 何も変わりなかった。

 元々シュレジェンの領民はプロテスタントが多く、宗教的にカトリックを押すオーストリアよりも、プロイセンの方が過ごしやすかったのだ。そのためぶんどった領地とはいえ、統治は安定的だった。他国から攻められなければの話だが。

 はぽんぽんとギルベルトの手を叩いて、少し眠たいのか柔らかに目を細める。




「おまえこそ大丈夫だったのか?卒倒したって。」

「もう。」




 意地悪く尋ねれば、はむっとした顔でギルベルトの手の甲を軽くひねった。

 執事からが馬に乗っているユリウスを見て卒倒した話は、どうやら彼女にとっては醜態だったのだろう。使用人たちも皆笑っていた。




「でもやっぱりギルベルトの子ですね。もう馬に乗れるなんて、」




 少し嬉しそうな様子で、は言う。




「ほんとにな。びっくりだぜ。」




 ユリウスの成長は早い。

 数年前は生まれたばかりの赤ん坊だったというのに、あっという間に成長していく。そうしていつかおいていかれることに、ギルベルトはぞっとする瞬間がある。子供は、人なのだ。

 国の子供であるため、どこかで自分と同じように年をとらないのではないかと危惧すると共に、心の中で自分の傍にいてくれる存在となってくれるのではないかと願ってもいた。落胆と喜びと。でも多分、息子が人であって良かったと思う。




「来週フリードリヒ大王が主催する狩猟がある。ユリウスを連れて行こうと思う。」

「気が早いのでは?確かにあの子は馬でもう走れますけど。」




 は息子を心配しているのだろう。彼女自身馬があまり好きではないので、いつも落馬に怯えている。だから息子が狩猟に出かけるのが心配なのだろう。

 ギルベルトはの髪に手を絡める。




、子供は手を離して目を離すな、だぜ。」

「それはどちらの方の受け売りでして?」

「ゾフィー王太后だ。」




 の切り返しにギルベルトはからりと笑った。

 フリードリヒの母であるゾフィー王太后とは親しい仲だ。文通をしているし、王太后の女官との交流もある。




「王太后も出てくるらしい。」

「そうですか。王太后様のご助言とお召しでしたら、従わざる得ませんね。」





 狩猟に参加する子供は少ないが、王太后まで期待しているとなればなおさらだ。




「まぁ、実はちょっと、噂になってるしな。」




 ギルベルトは髪を掻き上げる。




「うわ、さ?」

「あぁ、神童ってさ。」

「しん、どう・・・?」




 は小首を傾げるが、確かにユリウスが賢いのは本当だった。

 彼は子供だ。ただ、少し変わった子供だ。とギルベルトにとっては初めての子供であるため、ユリウスが特別であるとはわからないのだが、たくさんの甥や姪がいるフリードリヒは、ユリウスがとても賢いし、覚えが早いと言っていた。フォンデンブロー公国の臣下たちも跡取りのすばらしい才能に期待している節がある。

 5歳にして英仏独、ラテン語を完全に覚えており、ピアノもに学んでうまく、乗馬などにも長けている。頭の回転は速く、彼のいたずらに誰もが舌を巻くほどだった。彼には自覚が全くないが、周囲のものは期待している。




「そんな・・・買いかぶりすぎです。あの子はただの子供です。ちょっと興味がいろいろなところにあるだけ。」

「まぁ、確かに興味がちょっといろいろなところにありすぎて深いだけだな。」




 ユリウスは子供で、興味を素直に追求する性格なだけだ。特に語学は実際に他国の人に声をかけると言うことも含んでおり、フランス語が話せるのが上流階級の間では普通の今のご時世や、イギリスと仲の良いフォンデンブロー公国の特質を考えれば、必要から身につけたという面も大きい。また機械などに関しても、動くのがなぜかに興味があるのだ。その興味を素直に追求している。




「別のところに、興味が向くようにすれば良いんじゃないのか?」




 ギルベルトは笑いながら、の体をベッドに押し倒す。




「え、あ、あの?」

「最近手もかからなくなってきたしな。」

「あ、えぇ!」




 の寝間着の裾から手を入れると、大きく体を震わせる。

 冬の間帰れなかったから久々で油断していたのだろう。それに子供はしばらく作らないと決めてから、回数も減っていた。子供を産むのは大変だ。初産だったが苦しんだこともあり、並大抵では次をと望めなかったし、ユリウス一人で十分だとも思っていた。

 でも、もうそろそろ二人目を作っても良いかもしれない。ユリウスも手がかからなくなってきた。バイルシュミット邸に滞在しているシェンク家の息子クラウスのところに新たに妹ができたこともあり、ユリウスも弟妹を欲している。




「久々に、俺の相手もしてくれるだろ?お母様、」




 ギルベルトは唇をつり上げて、ベッドに横たわるに微笑む。は目を瞬いたが、小さな息を吐く。




「もぅ、その呼び方はないですよ。」

「けせせ、そりゃそうだぜ。」




 彼女はギルベルトの母ではない。妻だ。




「最近控えていらっしゃったのに、」




 少し頬を染めて、恥ずかしそうに彼女が言う。確かに回数も控えていたかもしれないが、愛しさは変わっていない。

 人は短い命しかない。でも、国は、ギルベルトは違う。

 ずっと、彼女を思い続ける。





「いつでも、おまえを思ってるさ。」




 額をあわせて囁けば、は小さくこくりと頷いた。

 そうした小動物のような仕草は昔からあまり変わっていない。だが、ふくよかな胸元も、赤く熟れた唇も、出会った頃よりもずっとふっくらとした体つきも、彼女が成長をしていることを示している。

 20代後半が、女として一番美しい年頃だと、誰かが言っていた。あと数年後には彼女はそうなって、数十年後にはギルベルトをおいていく。




「ギル、」




 は珍しくギルベルトの頬に手を伸ばしてきて、柔らかく撫でる。





「わたしだって、少しは寂しかったんですよ。だって、ギルったら、ユリウスばっかりかまうんですもの。」




 少しすねたような言葉に、ギルベルトも笑っての手に自分の指を絡める。




「なんだ、おまえもかまってほしかったのかよ。」

「ふふ、だって、ね?」




 の口元が柔らかな弧を描く。ギルベルトはその唇をそっとなぞってから、深く口づけた。

 窓の外では月が煌煌と銀色の光を放っていた。





  無限に尽きることのない