狩猟が行われたのは初夏に近づく6月末のことだった。
「本当にユリウス公子は乗馬がお上手ですね。」
の隣に馬を並べたテンペルホーフが感動したように声を上げる。彼の視線の先にはの息子がギルベルトと馬を歩かせていた。
前にいるのは狩猟を本格的にする集団だ。テンペルホーフはこの間昇進し少佐となり、今回はの護衛という任についているため、狩猟には不参加だ。大々的な狩猟で、猟犬も数十匹おり、貴族も多い。馬を操るのが苦手ななので、たくさんの人や馬がいれば緊張する。だが、ユリウスは上手に馬を操っており、よそ見をしたりギルベルトと話したりと楽しめているようだった。
「そうですね。下手をすればすでにわたしより上手かも。」
「苦手な方もいますからね。」
が肩をすくめて言うと、テンペルホーフはからりと笑った。
「めちゃくちゃ賢いって噂じゃないですか。ユリウス公子。フォンデンブローも将来安泰ですね。」
「まだ、気が早いですよ。」
「いやいや、才能豊かな後継者は重要ですよ。」
国の統治者の意見で左右されるのが今の国家である。次の君主が優れているかというのは重要だ。次の君主が才能に恵まれているとわかっていれば、国民にとっても誇らしいことだ。
「公国の軍人たちは皆、自慢していましたよ。優れた君主になるって。」
「気が早いと、思いますけど。」
は子供のユリウスをよく知っているため、言う。ましてやもし即位するとしてもが死んでからで、それまでに絶対20年以上あるだろう。先の話だ。これから学んでもらわなければならないことも多い。
「!」
ユリウスと話していたギルベルトがを呼ぶ。
「はい?」
は基本的に狩猟の集団の後ろについているだけだ。馬をギルベルトの方に走らせる。
「どうしました?」
「ユリウスを連れて行くぜ。ついでにシェンク家のクラウスもだ。」
ギルベルトの馬の後ろに乗せてある銃がゆらゆら揺れている。後ろにはクラウスがいた。
彼はフォンデンブロー公国の貴族で、今プロイセン王国のベルリン幼年士官学校に入って勉強している。
「ギル、ユリウスはまだ子供ですよ。大丈夫ですか?馬も乗れるようになったばかりなのに。」
「かあさまよりはだいじょうぶだと思うよ。かあさまへったなんだから。」
ギルベルトの向こうの馬に乗るユリウスが生意気に反論した。
確かには乗馬が下手だが、その言葉にはギルベルトの逆鱗に触れたようだ。彼は眉を不快そうによせた。
「ユリウス、あのな。にそういう口の利き方をするんじゃねぇっていつも言ってんだろ。それに公の場では口を慎めって注意したばっかりだ。」
どうやら、ユリウスは先ほどギルベルトに何か注意されていたらしい。
ギルベルトは息子の細かいところに関しては甘いのだが、に生意気な口調で反論したり、礼をわきまえない言葉を言うと、とても怒る。
「そういうことばっかり言うんだったら、狩猟にはつれてかないぜ。フリッツだっているんだからな。」
「ご、ごめんなさい!ごめん!だからお願い連れて行って、だまってるから!!」
慌ててユリウスはギルベルトに謝る。息子の必死な様子には思わず笑ってしまった。
「心配しているだけです。ギルベルトがいるから、大丈夫だとは思いますけれど、落馬などくれぐれも気をつけて、無茶はしないように、ね。」
「かあさまは心配性だよ。もー。」
ユリウスは聞き飽きたと肩を竦めて、ぶーと頬を膨らませる。
「なら何も心配されない方が良いのかよ。落馬したら大けがでも遠慮なく笑ってやろうか。なんだったら馬に蹴られてくるか?」
「・・・ごめんなさい。二度と言いません。」
ギルベルトが諫めるとユリウスはにあっさりと頭を下げた。
「このあたりは狼も多いと聞いておりますから、あまり集団から離れませんように。よろしい?」
「はーい。」
一応返事をして、息子はギルベルトとともに狩猟の集団に加わった。
大人たちに混ざっても遜色がないほど上手に馬を操っているし、銃を持つ人々の邪魔になるようなまねもしていない。まだ彼が銃を持つことはないだろうが、ギルベルトもいることだし、大丈夫そうだとはひとまず胸をなで下ろす。
「行っちゃいましたね。」
テンペルホーフがの近くまでやってきて馬を並べた。
「・・・本当に、怖い子です。わかってるのか、わかってないのか。」
は息子が知識だけは大人で、しかし考え方が子供なのをよく知っていた。
一度、ユリウスはギルベルトの銃を分解したことがある。彼は銃を分解し、もう一度組み立て、そしてヴァッヘンの宮殿の前にある湖で泳いでいた鴨を撃とうとしたのだ。これは非常に危険なことだった。
ど素人のユリウスが分解し、組み立てた銃ではそもそも暴発の恐れが高い。何度かギルベルトが銃を撃つところを見ていたので打ち方は知っていたが、もしも暴発した場合自分が死ぬことも、銃の撃つ時の衝撃は大きく、もしも狙いを外せば他人を謝って撃つ可能性があり、人身に関わることもわかっていなかった。
当然ギルベルトはユリウスをこっぴどく叱りつけた。その銃はフリードリヒ大王から下賜された品だった。またフォンデンブロー公国の首都にあるヴァッヘン宮殿の前の湖で狩猟をすることは、統治者であるの許可なくしては違法だ。
ユリウスは子供のくせに賢い故にしでかすことが大きく、一点にしか目がいかずに自分や他人の危険、状況などを視野に入れるだけの度量の広さがまだない。いつか他人と自分の命を危険にさらすことをしでかすのではないかと、は心の中で恐れていた。
「本当にかわいがっていらっしゃるのですね。」
テンペルホーフはの心配に苦笑した。
「そりゃ、息子ですもの。」
「母親というのはそういうものです。」
彼はどうやらの気持ちに賛同しているようだ。
「我が母と様を同列に語る無礼をお許しください。ですが私の母も、やはり心配性で軍に入る時は反対いたしました。」
「・・・」
テンペルホーフは幼い頃から軍人であると聞いている。家系的にもユンカーと言われるプロイセンのそれほど豊かではない下級貴族の出身で、父親も軍人であったが、父が早くになくなったために、彼はすぐに軍人として働きに出ることになった。下級貴族のよって立つ瀬は少ない。男性ならば軍人になる、女性なら女官になるか、家にいるくらいしか道がないのだ。
は確かに母も亡くし、父からも疎まれたが、母の実家であるフォンデンブロー公国は莫大な財産を持ってを援助していたし、父であるアプブラウゼン侯爵領も大きく、財政的には豊かだった。
「では、心配性にはならない方が良いのでしょうか。」
は叱られたような心地がして、テンペルホーフを見る。すると彼は首を振って即座にの言葉を否定した。
「いえ、違います。そのありがたさが、今はわかります。要するに慎重になれと言うことです。無謀で命を失うなと。兄を失って思いました。」
テンペルホーフは先の戦争で兄も失っている。
「もちろん命をとして戦わなければならない時はあります。だが、それまでは、命を粗末にしてはならないと、」
彼もまた、母に大切にされてきたのだろう。軍人である限り命を落とすことはたくさんある。だが、それは国を守るためでなくてはならない。決して無駄なしではなかったと、自分も、そして待つ家族も思いたいのだ。
「きっと公子も、母の言葉に感謝する日がこられます。それまで言い続けなければならないのかもしれませんが、・・・すいません。言葉が過ぎました。」
テンペルホーフはに頭を下げる。口を慎まず、いつもギルベルトに怒られていた、生意気だった彼も少し大人になったらしい。
「いえ、とても参考になりましたよ。やはり先人のお話は聞くものですね。」
は柔らかに笑った。なんだか少し心が軽くなった気がする。
たまにユリウスに自分が注意することは言い過ぎではないかと、何も言わない方が良いのではないかと考えていたのだ。は元々人に注意したりすることが苦手なので、息子とはいえ、結構な精神力がいる。
だが、彼のようにいつかわかる日が来るのなら、それでもがんばる意味はあるかなと思った。
それが定めというものか