ユリウスの機嫌はすこぶる良かった。

 母は父の言うことには基本的に逆らわない。だから父がOKを出せば自分が狩猟に参加できることはわかっていた。特にプロイセン王国において父は有数の将軍であり、狩猟団をよく率いているのは知っていた。とはいえ今回は国王であるフリードリヒもおり、ユリウスも勝手ができないことは承知だった。それでも、行きたかったのだ。大人がすることについて行ってみたかった。





「あまり、集団から離れるんじゃねぇぞ。」




 ギルベルトはユリウスに鋭く言う。興味が散漫なのは自分でもわかっている。父の言葉にユリウスは素直に頷いた。





「遅れは、とらないよ。」

「このあたりは狼の群れだっているらしい。気をつけろよ。」





 馬に乗っていたとしても、群れから離れれば狼にとっては餌だ。追われ続ければ馬は疲れて狼に捕まり、馬上の人も命を失う。狼は一匹では絶対に動かず、必ず群れを呼ぶので気をつけなければならない。





「わかってるよ。大丈夫。後ろからついて行くだけだよ。」





 ユリウスはまだ5歳の子供であるため、当然一緒に獲物を追いかけることはできても、撃つわけではない。ただそれでもユリウスは満足だった。本当は、父にかまってもらいたかっただけというのも、少しあった。




「あと、あんま心配ばっかにかけんなよ。」

「うーん。」

の心臓はちっちぇえんだからな。」




 ギルベルトは笑ってくしゃりとユリウスの頭を撫でてきた。

 母は心配性なのだ。気も小さい。

 危険性と共に物事をきちんと説明する癖に、母はいろいろなことをやらせてくれない。二言目には、また今度というのだ。どうやら同年代の子供よりもずっと賢く、進むのが早いことに、ユリウスは気づき始めていた。

 だが、それが何をもたらすのか、全然想像もつかない。




「ユリウスは本当に乗馬がうまいな。」




 ギルベルトの傍に、国王であるフリードリヒがやってくる。ユリウスはプロイセンの国王を見上げた。

 ユリウスの傅育官たちは皆、ユリウスにフォンデンブロー公国の後々の統治者として、フリードリヒのように文武両道の優れた人物になるように求める。だがそれがどういうものなのか、ユリウスにはまだわからない。ただ、彼が皆の理想だと言うことだけは強く感じた。




「あんま誉めんなよ。調子に乗る。」




 ギルベルトは眉を寄せて、フリードリヒに言う。その口調は国王に向けるにはおおよそふさわしくはないが、旧知の仲であるため許されているらしい。フリードリヒも気にした様子はなかった。




「良いではないか。誉められて伸びることだってあるだろう。」




 そういってユリウスに視線を向けてくる。国王と直接会うのは1年ぶりだ。母は礼儀にうるさく、特に地位のある人間や年上の人に敬意を払わないといつもは怒るのが苦手なのに、酷く怒る。




「はい。」




 答え方に迷って、結局ユリウスは素直に頷くことを選んだ。途端父はあからさまに呆れた顔をした。




「おまえ、素直に頷くか。」

「・・・だって。」




 なんて答えろと言うんだ。ユリウスはよくわからなかった。




「はっは、流石おまえの子だよ。ギルベルト。」




 幸い、フリードリヒが気を悪くした様子はなく、彼は声を上げて笑った。ユリウスは少しだけほっとした。

 父はいつも優しいし、母よりおおらかで細かいことは気にしない。だが怒るととても怖いのだ。母に礼を欠いた行動をしたり、人に対して危害を加える可能性のある行動をするとその怒りは母より遙かに怖い。そして父は物知りで小手先のごまかしが通じないため、真っ向から怒られ、逃れられない。だから怖い。あまり逆鱗に触れたくはなかった。




「なかなか良い父上をしていらっしゃいますね。バイルシュミット将軍。」




 まだ30前半とおぼしき男がギルベルトに声をかける。

 ユリウスが知らない人物だった。薄い金色の髪に薄茶色の瞳、細く円形の眉は軍人としては鋭さに欠けていた。少しふっくらした体躯もそれを示しているようだ。軍人としての服を着ていたが、ユリウスとギルベルトに向ける視線は酷く穏やかだった。





「それは過ぎた言葉だ。アウグスト王太子。」





 ギルベルトが言うと、言われた彼はいや、と首を振った。




「良い父上だよな、ユリウス公子。なぁ、」

「はい。」





 ユリウスは淀みもなく頷いた。




「父も母も、ぼくにとっては誇りです。」




 母はフォンデンブロー公国の女公で、父は婿のためあしざまに言う人もいるが、彼はプロイセン有数の将軍であり、それをユリウスは誇らしく思っていた。男として軍事に優れると言うことは、最高の誉れだ。

 また、ユリウスに対しては心配性な母も領民に慕われる良い公爵であり、人々はが賢明な統治者であると誉めていた。ユリウスもまた、彼女のように、そして彼のように立派な統治者、軍人になりたいと願っている。

 それは心からの言葉だったが、子供の答えとしてはできすぎている。聞いていたギルベルトやフリードリヒ、そのほかの将軍などはあまりに大人びた回答に目をぱちくりさせたが、ユリウスは真顔だった。




「はは、噂通り、ユリウス公子は賢いな。私の息子にもちょっとは見習ってほしいものだ。」





 アウグスト王太子はそう言って、馬を翻して離れた。

 彼の息子と言うことは、将来的にはプロイセン国王になるかもしれない子供のようだ。ユリウスは頭でそう思ったが、彼の子供にあったこともないし、どんなふうなのかも興味がなかった。

 父の逆鱗に触れるのは怖かったが、権力にこびを売ったり、野心を持つ神経は子供のユリウスには全くなかった。





「よくできたご子息だ。」





 老齢の将軍が本気で感心したようにユリウスを見た。




「・・・あんま誉めんなって。言動は大人、頭を子供だぜ。」

「あ、鹿だ。」




 ユリウスは父の話を全く聞かず、遠くに見える鹿を指さす。牡鹿らしく、立派な角だった。




「みたいだな。」




 ギルベルトがにやりと笑う。鹿を追う気のようだ。軍人を含む貴族たちがこぞって馬を走らせる。それについて行くことはユリウスには簡単だった。ギルベルトに幼い頃から乗せてもらっていたので、速く走ることに恐怖心もない。

 だが、興味は常にいろいろなところにあった。

 ふと後ろを見れば、視界をかすめたのは大きな鳥だった。ゆっくりとユリウスはそちらの方に目を向ける。鷲だろうか、悠々と空を舞う様子に目を奪われる。黒い影は、しかしどんどん増えていた。




「あれは?」




 ユリウスは空を見上げる。鷲がいると言うことは、このあたりにウサギやネズミがいるのだろうか。辺りを見回すが見あたる場所にはいない。




「ユリウス様、どうしました?」




 一緒についてきていたクラウスが尋ねる。彼はフォンデンブロー公国の貴族で、5歳のユリウスよりも7つ年上の12歳だ。士官学校に入っていることもあり、乗馬はうまい。




「皆行ってしまいますよ。」




 慌てた様子でクラウスが言うが、ユリウスはそれよりも頭上にいる鳥を目で追いかけている。




「・・・カラスがいるの。」

「カラス?」




 クラウスも空を見上げれば、少し向こうのところにカラスが集まっていた。



「・・・おかしいよ。」




 ユリウスは独り言のように呟いて、馬を違う方向に向ける。





「え、ちょっと、公子!」





 クラウスは慌てて止める。だがすでにユリウスの耳には届いていない。完全にカラスを追いかけるつもりのようだ。

 クラウスは迷った。ユリウスの父親であるギルベルトに知らせに行くべきなのか、それとも彼について行くか。彼は結局、ユリウスについて行くことを選んだ。

 それは正しい道であり、間違いだった。



  御伽噺を信じるような子供じゃないけれど