カラスについていくようにやってきたのは、森の外れの少し開けたところにある集落だった。おそらく4、50人ぐらいのこじんまりとした集落だが、頭痛がするほどの煙が立ちこめていた。




「・・・ユリウス様!」





 クラウスがただならぬ様子を察して早くこの場から逃げるように名を呼ぶが、幼いユリウスはあっさりと馬から飛び降りた。

 クラウスは焦っていた。おそらくギルベルトたちの集団を離れればもちろん失態をとがめられるだけでなく、身分の高いユリウスの身も危険に晒すことになる。プロイセンでフォンデンブローの後継者が死んだとなれば国際問題になるかもしれない。

 12歳となり、士官学校に通うクラウスは自分とユリウスの立場を明確にわかっていた。

 だが当然まだ5歳でしかないユリウスがそれに気づくはずもない。ユリウスはじっと地面を見ている。





「おおかみのあしあとだ。」








 煙は明らかに人工のものなのに、狼の足跡が点々とそこら中に残っている。

 どういうことだろうとユリウスは首を傾げて村の方に目を向け、ぽかんと口を開いた。強盗だろうか、そこにはたくさんの死体が転がっていた。焼けた家には人の陰はあるが、動いている風はない。





「ゆ、ユリウス様!!」





 クラウスが耐えられなくなって言う。だがパニックになっているクラウスよりも、ユリウスの方がずっと冷静で、ものを知らない。





「たいへんだ。」





 ユリウスはそう言って馬の手綱を引っ張って、死体の方へとかけていく。





「ユリウス様!」

「だいじょうぶですかー、」





 叫ぶクラウスを無視して、明らかに死んでいるとわかるほどの傷のある遺体に、ユリウスは声をかけた。





「な、なにをなさってるんですか!彼はもう、」





 死んでいます。とクラウスが首を振るとユリウスは理解したのか、また別の遺体に声をかける。答えはない。するとまた次の死体という風に、ユリウスは順番に声をかけ、生死を確認していく。





 死は動かなくなり、もう戻ってこないことだと、ユリウスは母親である女公から教わっているのを、聞いたことがある。だがおそらく子供で、よくわかっていないからこそできるのだろう。死の意味がわかっている上、一度も戦場に出たことのないクラウスは震えが止まらなかった。

 逃げ出してしまいたい。

 そう思うのが本音だが、狩猟の集団から離れた上に一緒にいたユリウスを見捨てたとあれば重罪になることも考えられる。明確な法律の名前などは思い浮かべられなかったが、幼い頃、初めてあった赤子のユリウスに忠誠を誓ったことを思い出し、震える奥歯をかみしめた。





『おまえはこの方にお仕えするんだ。』 







 鉱山の近くに領地を持つしがない貴族だった父は、銀山の街アガートラームがアプブラウゼン侯爵領に攻められた際、ユリウスの母であるフォンデンブロー女公に従って勝利に貢献し、議会にまで取り立てられた。

 クラウスがベルリンの士官学校で勉強できているのも父の功績のおかげだ。アガートラームの一件のすぐ後に生まれたユリウスをクラウスは生まれた時から知っているし、将来は彼と共にあると思ってきたし、そう言われてきた。

 自分の存在意義である彼を、見捨てることなんてできない。

 今にも怖くて泣き出しそうだったが、クラウスは馬を下り、ユリウスについて村へと入っていく。





「・・・だめだな。」




 死体に順番に声をかけていたユリウスは、ぽつりと言った。

 強盗が火をつけた後に、どうやら狼の襲撃にあったらしい。ほとんどの人間がとどめを刺され、食い散らかされている遺体もあった。




「ユリウス様、もしも狼が戻ってこれば大変です。逃げなければ、」





 クラウスは震える声もそのままにユリウスに訴える。ユリウスはことの重大さがわかっていないのか、小首を傾げて見せた。





「ひとが、いきてるかもしれないでしょ。かくにんしなくちゃ。」

「ですが、御身の安全が第一です。」





 ユリウスはただの子供ではないのだ。フォンデンブロー公国の跡取りとなるべく唯一の公子。彼の父はプロイセン王国の将軍であり、だからこそプロイセン王国はフォンデンブロー公国と友好関係にある。そして将来にわたってそれが続くだろうと言われているのだ。だが、彼が亡くなれば、それは揺らぐかもしれない。オーストリアとプロイセンという大国の狭間にあるフォンデンブロー公国にとって大きな損失となる。





「なんで?いきてるひとがいるかもしれないのに、」






 ユリウスはぷぅっと頬を膨らませて、腰に手を当てた。






「じゃあクラウスはかえればいいよ。ぼくはここにいるから。」




 長い棒を持ってユリウスはそれを軽く振ってカラスをどける。その下にあった遺体は明らかに生きているレベルの損傷ではなかった。

 ユリウスはどの程度が生きていて、どの程度が生きていないのか、わかっていないのだ。声を発するかどうかを生きているか死んでいるかの基準にしている。クラウスは仕方なく、ユリウスの手をぎゅっと握った。





「いえ、俺も一緒に行きます。」




 この小さい手を、守ると誓ったのだから。そう言うと、ユリウスは屈託なく笑った。




「あはは、じゃあ、一緒におこられよーね。」

「・・・」




 まったくわかっていない様子のユリウスに、クラウスは頬をひくつかせる。だが一瞬物音が響いて、ユリウスを背中に庇った。ごそごそと音がする。出てきたのは、小さな少女だった。

 ぼろぼろの容姿ですすか何かわからないもので体中が汚れている。年の頃はまだ数歳、ユリウスよりもまだ幼いだろう。よたよたとこちらへ歩み寄ってきたが、すぐにぱたりと倒れた。




「だいじょうぶ?」






 ユリウスは先ほどと同じ質問をする。だが、幼女はまったく返事をしなかった。どうして良いのかわからないのか、ユリウスは困った顔をする。

 本来子供ならば泣き叫んでいるだろう。おそらく声を失っているのだ。





「ユリウス様、この子を運びましょう。怪我もしているようですし。」





 クラウスは幼女を抱き上げる。意識はあるがぼんやりした幼女はけほっと小さな咳をした。




「でも、まだいるかも。クラウスはさきにいってていいよー。」





 ユリウスはひょこひょことクラウスと幼女をおいて先に行こうとする。




「だめです。俺はギルベルト様や様から、ユリウス様をお守りするようにと仰せつかっているのですから。」




 クラウスは勝手に行こうとするユリウスを、慌てて止めた。するとユリウスはくるりとクラウスの方を見る。




「・・・とうさまに、クラウスがおこられるの?」





 唐突にユリウスは尋ねた。

 とうさま、とはおそらくユリウスの父のギルベルト・フォン・バイルシュミット将軍のことだろう。彼はプロイセンの将軍で、フォンデンブロー女公の夫、ユリウスの父である。ユリウスが彼の言うことだけはよく聞くのを、クラウスはよく知っていたため、必死で頷いた。





「はい。俺がギルベルト様に怒られます。」

「そっか。じゃ、もどろ。」





 ユリウスはあっさりと言うことを聞いた。クラウスはあまりの素直さに目をぱちくりさせるしかなかない。





「え、あ、あの?」

「もどるんじゃないの?もどらないととうさまにしかられるんでしょ?」




 むかつくほどの正論をユリウスは言う。

 いったい何のだ、とクラウスが怒りを感じるほどのあっさりさに、呆れるしかなかった。だが、ふと耳をかすめたのは、声だった。

 遠く響き渡る、狼の声だ。







「あ、とおぼえだ、」






 ユリウスがあまりにも危険を感じない、気のない声で言う。




「おおかみが、近いのかな?」




 あまつさえ、小首を傾げてすら見せる。



「ユリウス様、来てください!」




 危機感のないユリウスとは違い、クラウスはその危険性をよく知っていた。慌てて幼女を抱きかかえ、馬の方へと走る。

 狼が近くに来る。餌を食べに戻ってくる。それがどれだけ危険なことなのか、よく知っていた。



  ぼくときみをむすぶいと