ギルベルトは愕然とした。
「ユリウスがいない?」
から近くの村での有事の報告を受け、狩猟にばらばらに散っていた人々を呼び戻したギルベルトは、初めて足りない人員に気がついた。
「はい。フォン・シェンクもです。」
「あと、アルトナイトハルト少佐も。」
兵は冷静に報告する。アルトナイトハルト少佐がどうなったかについては捨て置いても良い。だが、ユリウスがいなくなったことに関しては重大だった。ユリウスはフォンデンブロー公国の後継者である前に、自分の息子なのだ。
心が凍り付くような心地がする。
「アルトナイトハルト少佐はなぜいないんだ?だが、ひとまずユリウスにクラウスもついて行っていると言うことか?」
フリードリヒは顎に手を当てて小首を傾げる。
クラウス・フォン・シェンクはフォンデンブロー公国の貴族で、ベルリンに勉強に来ている。父親は今フォンデンブロー公国の議会の議員で、の側近でもあった。そのため生まれた時からユリウスを知っており、ユリウスとも仲がよい。やんちゃなところのある子ではあるが、もう12歳。自分の役目などに関しては強い意識があるので、身分をわきまえているクラウスがユリウスを連れて行ったとは考えにくい。
「ユリウスか・・・。」
ギルベルトは僅かに憤りを孕んだ声音で呟いた。
おそらく、ユリウスがクラウスを連れ出したか、もしくはユリウスが勝手に集団から離れてしまったのを危ぶんだクラウスが探しに行ったか、どちらかだろう。
ユリウスはわかっているようでわかっていないところがある。賢いのでその表面だけに皆がだまされがちなのだが、うわべ部分だけわかっていて、根本的な部分を理解していないことが多いのだ。
例えば川で泳ぐなと言うとする。それは川に入っては危ないという警告も含んでいるのだが、本人は泳がなければ入ることはよいと思っていたりする。
へりくつのような気もするが、本人は至って真面目なのだ。
それでもユリウスは警告されれば一応頷くだろう。そしてわかっているという言葉と共に、川に関する自分の知っている知識を相手に話す。それはたわいもないことだが5歳児が知るにはあまりに詳しくて、皆、彼はよくわかっていると勘違いを起こすのだ。しかし、ユリウスは知識としては知っていても、まだ現実と繋げることができない。
「ひとまず、フリッツ。おまえは戻れ。」
ギルベルトはフリードリヒを振り返る。ユリウスは心配だが、フリードリヒに何かあっても困る。
「おまえはどうする。」
「俺はユリウスを捜す。」
早く探し出さなければ、何かあってからでは遅いのだ。第一ギルベルトの息子とはいえ、彼は人間だ。死なないわけではない。
「・・・私も捜す。」
フリードリヒは少し考えて、そう答えた。
「おい、フリッツ。」
「ユリウスは公子だ。そしてフォンデンブロー公国の跡取りだ。何かあっては困る。」
フォンデンブロー公国が友好国であり、将来にもわたってそうであるかは、ユリウスという未来にもかかっている。彼の父親がプロイセンの将軍をしているギルベルトであるため、安泰だが、違うとなればまた敵となる可能性だって考えられるのだ。フォンデンブロー公国は戦略上重要な位置にあり、鉱山資源も豊富。今、悪い感情を生み出すのは得策ではない。
ましてやここにいるのは軍人だ。軍人の集団の中央にいるフリードリヒがそう簡単に殺されることもないだろう。
「たちの一団はシューネン離宮に戻るそうだ。」
兵たちの報告を受けて、フリードリヒが言う。
これでまで行方不明になられては困る。王族たちを安心させる意味でも、がいったん離宮に戻ることはよいことだ。そして、ギルベルトの精神衛生上もありがたかった。が無事だとわかれば、少しだけ心は軽くなる。
「だが、アルトナインハルト少佐はなぜいないんだ?ユリウスたちを追いかけたのか?」
フリードリヒは考え込んで、自問するように言った。
「・・・アルトナインハルトがそんなタイプには思えねぇな。」
彼は妻への暴力沙汰で離婚に追い込まれたが、もともと独断行動が多く、また勝手な行動も多かった。何度となく禁じられている略奪未遂で裁判沙汰になっている。そのたびに無罪を勝ち取っているのだから、それはそれでせこいがすばらしい。ギルベルトのことも将軍としてしか実情を知らされていないため、疎ましく思っている節がある。
そんな彼が、ユリウスをわざわざ好意で追いかけたとは思えない。またユリウスが勝手な行動をしたとして12歳のクラウスが、とっさに戻ってきてギルベルトなどに知らせる形でユリウスを止めることを思いつかなかったのは若さと焦り故の失敗だ。幼いとはいえ地位が高いユリウスに、クラウスは逆らえない。自分の君主に逆らう方法をとっさに思いつくことはできなかっただろう。
だが、長年軍に従ってきたアルトナインハルト少佐がそんな愚行を起こすとは思えない。もしもユリウスを止めなければ、クラウスは子供故の失敗で終えられるが、アルトナインハルト少佐は大きな責任を問われる。ならば、彼は悪意を持って追いかけたか、もしくは偶然集団を離れたかのどちらかだ。
「ひとまず、強盗団が未だ潜んでいる可能性が高い。よって、十数人の集団で動くべきだ。」
フリードリヒが捜索班を分けていく中、ギルベルトは馬上で息を吐いた。
の言うとおり、ユリウスを狩猟に連れてくるのは早かったのかもしれない。否、自分がきちんと見ていれば、こんなことにはならなかったのだ。ユリウスを思えばいてもたってもいられない。早くユリウスを探しに行きたい気持ちでいっぱいだった。
これではに顔見せできない。彼女は泣くだろう。
「ギルベルト、おまえも焦るな。」
フリードリヒははやる心を抑えるギルベルトを諫めることも忘れなかった。
「・・・心配な気持ちはわかる。だが、落ち着いた判断をしなければ、」
「わかってる!」
ギルベルトは大きな声で答えて、いななく馬を落ち着ける。だが早く捜さなければならない。狼の遠吠えが先ほどから耳をついて、ギルベルトは不安になった。狼に襲われれば、クラウスとユリウスの二人ぐらい、ひとたまりもないのだ。
狼は酷く賢いのだから。
「第12連隊の奴らは私たちについてユリウスの捜索だ。第13連隊は・・・」
フリードリヒが兵たちに順番に指示を与えていく。それをギルベルトは他人事のように聞いた。それぞれがフリードリヒの指示通り動いていく。ギルベルトたちは襲われた村へと行くことになった。
村は4,50人の小規模な集落で、村には砦もない。
「生存者がいないか、確認しろ。」
フリードリヒが兵に鋭く命じる。
だが、望み薄なのは誰の目から見てもわかった。強盗団に襲われた後に狼に襲われたらしく、銃撃や斧、剣の傷だけではなく、狼が食らった傷跡も多数見られた。火が放たれた民家も多く、見る影もない黒こげの遺体がいくつも見えた。
「だめですね。」
遺体を確認していた兵士がぽつりと呟いた。
生きてここにとどまるしかなかったものは、すべて狼にやられてしまったのだろう。残念だが仕方がない。
「ここには、幸いいなさそうだな。」
フリードリヒは小さく息を吐いて、辺りを見回す。だが、兵たちがざわめき、ひとり走り寄ってきた。
「子供の、足跡があるのです。」
兵がそう言ってフリードリヒとギルベルトを案内する。
少しぬかるんだ道に残るのは小さなブーツの後だった。それもかなり質の良さそうなもので、なぜか二つと、裸足のような後が三つあり、三つ目は途切れていた。二つの大きさもばらばらで、小さい方がユリウスと大きいクラウスと考えることもできた。足跡は、途中で途切れている。馬に乗ったようだ。馬の方の足跡は途中までしか追うことができないようだった。
「・・・ユリウスか?」
しっかりしたかかとのついた靴を履いている階級などしれている。少なくともこの貧しい村にはいなかっただろう。それを考えればこの足跡をユリウスとクラウスと考えることはまったく不自然ではない。
だが、遠くから聞こえる狼の遠吠えが耳をついた。
「・・・不吉だな。」
フリードリヒは思わず小さく呟いた。
笑えない冗談心臓を貫く