国王主催の狩猟が行われたのは夏の盛りの頃だった。

 主要な貴族、軍人が集まり、その家族も来る狩猟にが呼ばれるのは、やはり今をときめくバイルシュ
ミット将軍の婚約者だからだ。本来ならばこのような場所にお呼びがかかるような身分ではない。はギ
ルベルトにつれられながらも、あまり気乗りはしなかった。

 この狩猟にはの父アプブラウゼン侯爵と、の遠縁であり母の死からを預かっていたフォ
ンデンブロー公爵の姿もあった。





「こちらにおいでになって、」





 男性たちが狩猟に出かけた後、を呼んだのは王妃であるエリーザベトだった。

 ギルベルトたちは狩りに出かけてしまったのでその間は女性たちと老人ばかりが残る。は屋敷からほ
とんどでず、知っているのもオーストリアの宮廷くらいで、知り合いも少ない。なので心配をしていたが、それを
払拭してくれたのが王妃だった。



 子供のない彼女に会ったのはこの間の舞踏会が初めてだったが、幸いにも悪い印象を与えることはなかった
らしく、ゆるく微笑んで自分の輪に加えてくれたのだ。

 ギルベルトはをアプブラウゼン侯爵の娘と言うよりは、フォンデンブロー公爵に縁のある少女として
皆に紹介したようで、国王もそれに沿っている。彼は、の父であるアプブラウゼン侯爵を好いてはいな
いようだった。もちろんへの仕打ちもあるのだろうが、人格としてもプロイセンが優勢とわかった途端
オーストリアを裏切ってプロイセンにへつらった態度が嫌いなようだ。





「仕方ないんですけど、」





 への冷たい仕打ちは、故のあることだ。もそれは仕方がないと承知している。だからギルベル
トと父がもめることへはやはり抵抗があった。

 父の手紙にあった、『帰って説明しろ』という文言は、ギルベルトの手によって完全につぶされた。手紙と
ともに。父は怒っているだろう。今日の狩猟でもをものすごい表情でにらみつけていたため、怒りはか
なりのものだ。

 不安渦巻く胸中のままうつむいていたの肩を、とんとんと手袋をつけた白い手が叩く。





「このパン、いかが?」





 柔らかに笑んだエリーザベト妃が、にブルストののったパンを差し出す。





「あ、ありがとうございます。」





 ギルベルトに注意されたのでうつむかないように気をつけながら、はそれを両手で受け取った。





「すいません。このような場は初めてで不慣れなのですが・・・」

「よろしくてよ。それにバイルシュミット将軍のお妃になられるなら、これからいらっしゃるでしょう?」






 エリーザベト妃は穏やかな笑顔をそのままにの謙遜に答えた。

 確かに高位の称号を持つ貴族であり、気さくな性格も手伝ってか、ギルベルトはいろいろなところに足を運
ぶ。は屋敷に引きこもりがちだが、結婚すればそういうわけにはいかないだろう。慣れなければならな
い。






「そうですわ。それにそもそも最初から不慣れじゃない人なんていませんよ。」






 女官の一人が野の花を摘みながら朗らかに笑う。

 柔らかな雰囲気につられて、もうなずいたが、すぐに目の端に止まった女性に表情を凍らせた。






「それにしてもバイルシュミット将軍がご結婚なされるなんて、驚きですわ。」






 少し遠くにいるの姉・ヒルダが、ちらりとを伺ってから言う。

 の父・アプブラウゼン侯爵とともに、姉のヒルダと兄のヨーゼフも狩猟に参加している。彼らにと
って憎憎しいがバイルシュミット将軍の妃となるのにはもちろん反対だった。






「人の婚約者に手を出しておいて、厚顔無恥もよいところだわ。」





 これみよがしに聞こえるように言われた言葉に、は俯く。彼女の言葉は、すべてがすべてはずれ
というわけでもないのだ。

 ヒルダは、今は亡きフォンデンブロー公子カールと婚約する予定だったが、カールがヒルダを望まず、
を望んだのは、オーストリア継承戦争にフォンデンブロー公国が巻き込まれる少し前のことだった。


 『うるさい女より暗い女のほうがまし、』というご達しによりヒルダは婚約者候補からはずされた。母に連れ
られてフォンデンブロー公国を訪れることが多かったからカールには面識もあったが、それでも婚約するほど
10歳も年上の公子と仲良かったわけではない。ただ冷たい無表情の公子はほかの人のようにを嫌
うこともなく、普通に接してくれた。がまだ幼いことから、口約束だけで婚約はされなかった。

 オーストリア継承戦争でフォンデンブロー公国がプロイセン王国と争うことになった時、カール公子は、ま
だ幼いとの婚約を急ごうとはしなかった。





 ―――――――俺が死んだら、おまえはプロイセンの軍人に嫁に行け。





 彼は馬上からそう言った。

 オーストリア継承戦争の折、フォンデンブロー公国はオーストリア側についた。にもかかわらず、カール
はそう言ったのだ。意味がわからず首をかしげるだったが、彼はすでにプロイセンが勝利すると知
って いたのかもしれない。





 ―――――――祖父には俺から話した。時代はローマにもオーストリアにもない。プロイセンにある。





 カール公子は、オーストリアの肩を持つ祖父フォンデンブロー公爵に反対し、プロイセンに着くことを提
案していた。にはよくわからなかったが、彼はオーストリアにもう未来を感じていなかったのだ。




 ―――――――フォンデンブローとおまえに、幸多かれ




 彼が自分の幸せを願う言葉を言ったのは、初めてだったかもしれない。だが、は彼を信頼していた。
彼はのそばにいて、を少なくとも庇護してくれたから。


 それでもは彼への感情を恋ではなかったと断言できる。もしかしたら、恋になるものだったのかもし
れないが、理解できる前に、戦争の風が彼をさらっていってしまった。

 残されたのは、庇護者を失った絶望だけ。





さん。」





 エリーザベトの穏やかな声音が響いて、は顔を上げる。





「どうなさったの?寂しそうなお顔、」





 そういって、彼女はの頬をそっと撫でた。

 はあわてて大丈夫ですと答えたが、やはり自分の表情が引きつっているのはわかった。






「あなたのお姉さまなのに、ひどいことをおっしゃるのね。」





 珍しく、批難を口にした彼女はの表情を伺う。





「・・・・でも、しかたのない、ことなんです。」





 は思わずそう口にしていた。





「どうして?あなたはバイルシュミット将軍以外に婚約したことはないでしょう?」





 エリーザベトはゆるりと微笑んで言った。

 フォンデンブロー公子とのことは口約束だけでも幼かったので正式なものではない。記録上は
は一度も婚約していない。がどうやって育ってきたかの概要はすでに調べられているのだろう。当然
だ。国王の側近である将軍の妃になる人間を調べないはずもない。





「ないです・・が・・・、」





 は王妃の下問にいけないと思いながらも黙り込んだ。

 どう答えればよいのかわからない。そしてカール公子のことを思い出せば感極まって泣いてしまいそうだっ
た。

 涙とは色あせないもので、一度出てしまえばいくらでも出るし、どれほど泣いても絶えることがない。いく
らでも故人を思い出せば流れてくる。うれしかった小さなことすらすべて押しつぶして、悲しみだけが胸を満
たす。






「違うお話をしましょう。」






 エリーザベトは気を取り直すようににこりと笑う。も突然の話題転換に驚いたが、ためらいがちにう
なずいた。






「今日の狩りの成果を一番に持って帰ってくるのは誰だと思う?」





 女官たちにも話を振って、エリーザベトはにたずねた。女官は顔を見合わせてを見て笑う。





「・・・・国王陛下ですか?」

「あらうれしいことを言ってくださる。でもわたくしは違うと思うの。」






 エリーザベトはの殊勝な答えをくすくすと笑った。





「王妃様、意地悪ですわ。」





 女官たちは苦笑しながら王妃をたしなめる。






「だって、」






 エリーザベトは少女のように楽しそうに、のほうを見て微笑んだ。は意味がわからず戸惑いを
浮かべたが、女官たちも答えを知っているらしい。





「一番に帰ってきた殿方には、嬢から花冠と口付けの祝福を、と言っておいて頂戴。」





 恐ろしいことを言ってエリーザベトはの頭に自分が作った花冠を乗せる。は自分が作る途中だ
った花冠をひざから取り落とした。







 
痛みばかりを抱え込むその手に